第5回【これから考えるミームについて】

 これまでの回でミームとはどのようなものかをざっくりと説明してきましたが、これからは私が考えるミーム論についてを掘り下げていきたいと思っています。もちろん補足も含めて遺伝子とのアナロジーもまだまだ語っていきますが、こればかりやってもキリがないので前回で一旦区切りです。それではこれからどのようなことを考察していきたいかを以下にまとめておきたいと思います。

「ミーム論概説」
第6回【ミーム論概説:様々なミーム論】

 ”概説”なんて大層な言い方をしてしまいましたが、やりたいのはこれまで行われたミームについての議論を代表的なミーム論者の紹介とともにやっておこうかと思います。

「動物にミームはあるのか」
第7回【動物にミームはあるのか#1】

 ミーム論者の多くはミームはヒト特有のものとしています。人間至上主義的に聞こえるかもしれませんが、事実上文明から始まる文化を持つのはヒトのみですので致し方ありません。しかしながら動物の社会性の中にミームを見出す人たちも少なからずいますので、そのあたりの話をしたいと思っています。

「主観」と「客観」と「共同主観」

 ミームの忠実性には模倣能力と主観が大きく影響すると述べましたが、そのうちの「主観」についてとミームにとって重要と思われる「共同主観」について考察します。

「ミーム格納庫としてのシェマ」

 ジャン・ピアジェによる「発生的認識論」はヒトがどのように外界を認識しているかを研究したものです。その中で語られる「シェマ」の概念は外的環境と主体の内部(主観)の相互作用によって起こる「同化」「調整」そして「均衡」の枠組みとされます。ミームはまさに外的環境から主観の中に情報(ミーム)を取り込む作業であるので、シェマの概念はミーム論にとって有益な概念だと考えています。

「環境情報:アフォーダンス」

 ジェームズ・ギブソンによる著書「生態学的視覚論」で提唱されたアフォーダンス理論。外的環境と主観との調和を認識の理論としたシェマに対して、アフォーダンスは環境そのものが情報をすでに持っているとする理論です。簡単に説明するのは難しいですが「このリンゴは食べることができる」という主観とは独立して「食べられるリンゴ」は実在しているというものになります。また、この「食べられるリンゴ」は同時に「食べられないリンゴ」としての情報も持ち、それを新式する主体が持つ主観的な価値観や経験則によってどの情報を選択するのかは異なります。

 ミームは基本的にはヒトとヒトとのコミュニケーションによってやりとりされますが、建築物などの人工物がミーム表現型であり、本のように直接的に情報が書かれていなくても受け取られるミームがあります。これをアフォーダンスとして解釈しミーム論的に考察すると三次的コミュニケーションによるミームの繁殖の可能性が見えてくるかもしれません。

「ミームのホロン的階層とニューラルネットワーク」

 攻殻機動隊が好きな方はアーサー・ケストラーの著書「機械の中の幽霊」をご存知かもしれません。その著書の中でケストラーは「ホロン」という概念を提唱します。ある特定の文脈においては全体であるが、別の文脈においては部分となり得るような単位のことを指すのですが、わかりやすく言えば学校という単位の中に学年という単位があり、学年単位にはクラスが、クラスの中には班が、というようにそれぞれにひと塊りに独立して機能ながら上位階層の一部としての機能も持ちます。

 AIについての研究は最近よく見かける話題のひとつですが、AI研究に用いられるニューラルネットワークにも「ホロン」という考え方が出てきます。具体的にはニューラルネットワーク内のノードがそれぞれ個別に情報を持っているのではなく、ひとつひとつのノードが全体の情報を持ってい流というものです。それら個別に全体性を持つノードが相互作用することでニューラルネットワークが形成されるため各ノードは全体性を持ちながら部分でもあるホロンであると言えます。そしてそのニューラルネットワークは人間の脳を模して作られたものです。とすれば、ヒトの脳のニューロンはニューラルネットワークのノードと同じように脳全体の情報を持っているのでしょうか。もしニューロンが全体性を持つならば、シナプス結合のパターンや電気信号のパターンにミームを見出す事はより難しくなり、ホロンとしてのニューロンからミーム分子を探さなくてはなりません。

「ミームの進化と指向性」

 進化とは一方向に進むのではなく無作為に四方八方へ変化し、環境に適したものが生き残るというのが一般的な進化論です。しかし、無作為に、四方八方へ、というのは少々誤謬があります。この話もケストラーの「機械の中の幽霊」から紹介しますが、生物の形質変化における複数の部位の同時的形質変化の調整の統合的傾向を見ることで進化が無作為で無鉄砲なものではないことがわかります。

「都市伝説とミーム」

 ミーム論者にはオカルト好きが少なくありません。「ミーム論概説」でも紹介することになる心理学者のスーザン・ブラックモアもまたインテリジェントデザインや体外離脱といった超常現象を追う作家でもあります。先述の通りミームもまた疑似科学でありオカルトと評されるものですから都市伝説とは相性がいいんですよね。例えば、UFOが最初に発見された時はブーメランの形であったのに今では円盤型が主流となり、さらには葉巻型などの派生形が生まれていくのかなど科学的発展とともに都市伝説を追うとミーム伝播の傾向が見えるものがあります。ミーム論的に都市伝説を視るというのは単に都市伝説をあるのかなーないのかなーと楽しむ以上に楽しめると思います。これについては様々な都市伝説を取り上げながら色々考察してみたいと思っています。

「ベートーベンの交響曲第五番のミーム」

 リチャード・ブロディのミームについての著書「心を操るウイルス [Brodie, 1998]」ではブロディが職場の友人3人とベートーベン作曲の交響曲第五版のメロディ「ジャジャジャジャーン」について議論することから始まります。楽曲が内包しているミームは曲全体を指すのか、コード進行か、ある部分の旋律を指すのか、ではそれらがミームであるのならそれ以外はその曲が持つミームではないのか。ミームとは何かを説明しようとしてもなかなかできないもどかしさ。私はこの「じゃジャジャジャーン問題」をホロンを用いながらミームの所在を考察しようかと思います。

これらの他にもまだまだ書き溜めていることがたくさんあるので、整理しながら少しづつここでの記事用に手直ししていこうと思います。

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