「右」と「左」の咄嗟の判断がつかないと言うと「そんな簡単なこともわからないなんて(笑)」と思われるかもしれません。
どっちが左でどっちが右かなんて説明するまでもなく自明であり、それがわからないってどういうこと?と感じられてしまうかもしれません。
しかし、この「左右」の違いがとっさに判断できない人は結構多いのです。
俗に「左右盲」と呼ばれるものですが、この言葉は医学用語でもなければ学術用語でもないいわゆる”俗語”で、主だった研究すらあまりありません。
”盲”という言葉のネガティブイメージから「左右識別困難」とも言われたり、英語表記の「left-right confusion(左右錯乱)」とも言われますが、本記事ではとりあえず俗語として一般的な「左右盲」という言葉を使っておきます。
今回はこの「左右盲」について大学生に対して行われた調査と、実際の左右盲がどういうものなのかを少しお話ししたいと思います。
左右盲は左利きの人に多いと言われますが、それもまだ確実なことはわかっていません。
しなしながら実は私自身が左利きであり重めの”左右盲”です。
記事後半では私の経験談をもとに左右盲との向き合い方についてもお話ししたいと思います。
目次
・「左右盲」とは
・健常大学生における左右識別困難調査
・「左右盲」の人ってどれくらいいるの?
・【経験談】左利きは左右盲が多いのか
−自分の感覚とは逆に左右を教えられる
−矢印と言葉が結びつかない
−怒られることでコンプレックスになる
−左右の基準が自分ではなくなる
・カミングアウトとコンプレックス
「左右盲」とは
「左右盲」とは文頭にお話しした通り「右」と「左」の判断が咄嗟にできないことを指します。
日常生活において「右」と「左」をたまに間違えるということは多くの人で経験があるかと思いますが、「左右盲」の人々にとってはそれが”たまに”ではなく”毎回”です。
そのため「左右盲」の人々の多くは「右は鉛筆を持つ方だから…」とか「左は指輪をしている方だから…」など左右を識別する際に頭の中でワンクッション思考を挟まなくてはなりません。
そのため視力検査などの「c(ランドルト環)」の向きなどを「左」「右」と言った言葉で回答することが難しく、最近の視力検査では指で方向を指し示したりレバーやハンドルを使って検査するのが一般的です。(私が小学生の頃は「右・左・上・下」で答えさせられていました。)
また、車の運転中に同乗者やカーナビでの音声指示で「そこを左に曲がって」など指示されても間違って右に曲がってしまうことが頻発します。
他にも「右回り」「左回り」と言った言葉も混乱することが多く「時計回り」「反時計回り」と頭の中で一度言葉を変換する必要があったりします。
このような「左右盲」ですが、日常生活においてはあまり大きな問題にはならず「バカだなぁ」「おっちょこちょいなんだから」と割と性格的な面で揶揄されることが多いのですが、
当人にとってはむしろ「なんで左右が一瞬で判断できるのかがわからない」と言った感覚ですので、バカにされるとちょっと凹みます。(もう慣れましたけど。)
「右も左もわからないもので……」という言葉が仕事や土地に対して不勉強であったり無教養であったりする自分を卑下する慣用句として使われるため
”本当に右も左もわからない”ということはなかなかに言い出しづらいかもしれません。
しかし、この後紹介する実際の調査の結果、右と左を咄嗟に判別できないという人は案外多く、また「左右を判断する能力に自信がない」と感じている人もまた多くいるのです。
自分が左右に対する判断に自信がないこと、または実際に左右を間違えやすいということを周りの人に認知しておいてもらうことで
小さなトラブルを避けることもできますので、あまり気負いし過ぎ無いようにした方が良いかもしれません。
健常大学生における左右識別困難調査
ではこの「左右盲」と考えられる人がどの程度の割合でいるのかを見てみましょう。
愛媛大学教育学部での調査「健常大学生における左右識別困難- 自己評価質問紙による検討 -(PDF)」において
学生390人に対して聞き取り調査が行われました。
調査内容の要約は以下のようなものです。
対象者:全390名
平均年齢:19.5±1.0歳
質問内容
前質問:あなたは自分が左右を判断する自信がありますか Yes/No
以下の質問に対して当てはまるものを5段階の評定で回答を求める。
1:まったくない
2:めったにない
3:たまにある
4:よくある
5:ほとんどいつも
質問①:「右手をあげる」「左手を上げる」などの命令に咄嗟に反応できない
質問②:「右を向け」「左を向け」などの指示にとさには従えない
質問③:正面に立っている人の手や体の部分の左右がとっさにはわからない
質問④:「向かって右」のは「向かって左」と言われるととっさにはわからない
質問⑤:鏡の中の自分の左右を混乱する
質問⑥:車に同乗している時、運転者絵の「右折」「左折」の指示がとっさにはできない
質問⑦:視力検査の時、環が開いているのが左右どちらかを答えるのに混乱する
質問⑧:車の運転中に道路の左側、右側がわからなくなる
質問⑨:車の運転中に同乗者の「右折」「左折」の指示にとっさに反応できない
さて、これらの質問についての結果
まずは「あなたは自分が左右を判断する自信がありますか」という質問に対して
ある(YES)で答えた割合は69.5%、ない(No)で答えた割合は30.5%になりました。
この時点ですでに3割の学生が「左右の判断に自信がない」と答えているのです。
次に5段回評定での9つの質問に対しての結果です。
評定で1と2までを「混乱なし」、3〜5までを「混乱あり」とした場合
最も混乱が生じやすいのは【質問④:「向かって右」のは「向かって左」と言われるととっさにはわからない】でありその割合は40%にも上りました。
続いて【質問③:正面に立っている人の手や体の部分の左右がとっさにはわからない】【質問⑤:鏡の中の自分の左右を混乱する】の項目で30%の学生が「混乱あり」とされる結果となりました。そのほかの質問では20%以下の値となっています。
「左右盲」の人ってどれくらいいるの?
さて、この「健常大学生における左右識別困難- 自己評価質問紙による検討 -(PDF)」による調査結果から「左右盲」と言える人はどのくらいの割合でいると言えるのでしょうか。
正味なところ、この調査では対象人数が少ないということもあって統計学的に見て正確にその割合を算出することはできず
また、先述の通り「左右盲」は医学用語でもなければ何かの専門用語でもない単なる俗称ですので明確な線引きや定義はありません。
そのため、この調査結果から○%の人々が”左右盲”だと言うことはできません。
しかしながら、調査結果からみるに「左右のとっさの判断」に対しては少なくとも苦手意識の強い学生やよく間違うことがあると回答する学生が20%〜30%程度はいることが伺えます。
かと言って、彼らがその後もずっと左右の認識が困難であるとも言えず、左右の識別能力に関しては人の基本的な認知機能において成長とともに獲得されるものであり
特に鏡写しや対面者の左右などの識別(心的回転)はかなり後の獲得となることが当調査でも指摘されており、今後の経験によって識別困難な状態が改善する可能性は大いにあります。
車の運転に対しても同じことが言えそうですね。
調査対象が学生であることから免許取得者が少なくまた、免許を持っている学生も運転経験が少ないでしょう。
そう言ったことからもこの調査だけでは「左右の識別困難」について正確なことはあまりわからないのですが、
ともあれ、「左右の識別が難しい」と感じている考えている人は思っている以上に多いことがわかるかと思います。
実は周りの人もけっこう左右を間違えているし、とっさの判断はみんな苦手なのです。
「自分は左右盲かもしれない」と感じてもあまり気にしなくても良いことであるのかもしれません。
”左右盲”と言う言葉自体に自分を縛り付けてしまっているかもしれませんよ。
【経験談】左利きは左右盲が多いのか
左右盲について調べると「左利きは左右盲が多い」と言う記述が多く見られます。
”左右盲”を自覚する私も左利きです。
先の調査でも実は右利きと左利きでの左右識別困難割合も出ており、結論から言えば左利きの方が左右識別困難である割合が多いことが伺えます。
ただし、左利きの人数自体が全390人中18名しかおらず、これも統計学的に見て必ずしも左利きの方が左右識別困難であると言うことはできませんが
私の経験上、左利きは左右識別困難に”なりやすい”とは感じています。
ご家庭や幼稚園などで「お箸を持つ方が右、お茶碗を持つ方が左」と教えられたことはないでしょうか。
まさに左利きはそれが逆なのです。
自分の感覚とは逆に左右を教えられる
この教えられ方は左利きにとってかなり致命的な識別方法で、「みんなはこっちの手でお箸を持つけど私はこっちの手でお箸を持つからお箸を持ってない方が右か!」と言う幼児ながらに理論的な思考を働かせて左右を覚えようとします。
さらには私が幼い頃にはハサミは右利きと左利きで分かれており、普通のハサミ(右利きのハサミ)では左手で紙を切ることができません。(これ案外知られてない)
そのため先生たちはハサミは右手で持ちましょうと言うのですが、私は左利きのハサミを使っていたためもちろん左手で持ちますが
周りの友達から「ハサミは右手だよ」と注意を受けたりと、左利きはなんだかんだ左右を訂正されがちなのです。
そんなこんなを毎度毎度やっていると、どっちが右でどっちが左かを一旦頭の中で考えないと識別できなくなる”癖”がついてしまいます。
先ほどの大学生への調査でも見たように、”左右のとっさの判断”は右利き左利き問わず苦手な人が多いことがわかっています。
その上で左利きは「こっちがこうだから右で、逆が左だから…」と無駄な思考が挟まる”癖”がついてしまっているので、いわゆる”左右盲”と言われるような状態になりやすいと考えられます。
矢印と言葉が結びつかない
また「←」と「→」でどっちが「左」でどっちが「右」でしょうと言う質問にも答えが詰まります。
もちろん矢印の指し示す”方向”は認識できる(私の場合)のですが、「←」が「左」と言う言葉と結びつかないのです。
「←」を「左」と言葉として識別する際、私の場合には「←は私がペンを持つ方で、私は左利きだから”左”か」と頭の中で考えてしまいます。
怒られることでコンプレックスになる
小学校などで「右むけー!右!」と号令をかけられた時、私は周りの友達がどちらを向くかを見てからでないと判断できないためワンテンポ遅れます。
そのため”鈍臭い”と言われたこともありましたし、「号令をちゃんと聞きなさい」と怒られたこともありました。
「右」と「左」を判断するために周りの人はなぜそんなに早く反応できるのか私にはわからなかったので、やはり自分は”鈍臭い”のであり”ボーっとしてて話を聞いていない”のかもしれないと自分に対するコンプレックスが形成されます。
これがまたより強く「右」と「左」を意識させることとなり、苦手意識も強くなるばかりです。
考えれば考えるほど反応は鈍くなるわけですから、反射的・感覚的に左右に反応できる人と比べればもっともっと遅くなってしまいます。
左右の基準が自分ではなくなる
どうにか左右を一瞬で識別するために小学生の頃は校庭の遊具の位置などで左右を判断していました。
高学年にもなればそれが癖付くので号令にも比較的簡単に反応できるようになるのですが、
中学生になると環境が変わり、遊具や時計などの左右を判別する目印がなくなってしまいます。
全部覚え直しです。
さらには、私は中学時代に軟式テニス部に所属していたのですが、軟式テニスは基本的に2vs2のペアで行う競技で、ペアとなった友人と指示を出し合うのですがこれがまた「右!」「左!」などの掛け声もあったりするんです。
わからん。右と左がわからん。
普段の校庭でプレイしている分には”目印”をつければいいのですが練習試合で他校に行ったり大会に出ると大混乱です。
目印がない。右と左がわからん。
「左手でラケット持ってるんだから、ラケット持ってる方が左じゃん」
と思われるかもしれませんが、そもそもが「お箸を持つ方は右」と言う刷り込みがあり、それと同じことが起こるために自分の利き手がどちらであるかはそもそも識別の基準になりにくいのです。
カミングアウトとコンプレックス
そんな学生時代を過ごしながらも左と右の判断が咄嗟にできないことは生活にあまり支障をきたしませんでした。
しかし、社会人になり上司や先輩を車に乗せて営業先へ向かうとなると、運転するのは後輩である私。
先輩は助手席で道を指示してくれるのですが、この指示が「そこを左折」「次を右折」などなわけです。
案の定、私は何度も道を間違え、道に迷い、と言うことが頻発しました。
そんな中で先輩が「左利きだから左右が苦手なんかな」と聞いてくださり、「実はカクカクしかじかで……」と事情を話すと、
それ以降先輩は進行方向を指で指し示してくれたり建物の名前(「マクドナルドの方向に曲がって」など)で示してくれたりとすごく理解ある対応をしてくださりました。
たまに「あんたがお箸持つ方(笑)」など笑いを含めながら案内してくださり、だんだんとコンプレックスが和らいだことを記憶しています。
お恥ずかしながら30歳を過ぎてもいまだにこうした「右」「左」の識別があまり得意ではありません。と言うかほぼ改善していません。
現にこの記事を書いている時も「右はこっちで…左は…」と考えながら記事を書き、何度もタイピングミスを繰り返しています(笑)
これらのことを踏まえた上で逆に言えば、私としては”左右盲ではない”と自覚している人たちがどのように「左右」を見分けているのかが全然わかりません。
同じように私がなぜ「左右を見分けられないのか」も他の人にはなかなか分かってもらい辛いものでしょう。
しかしながら、今ではそれも笑い話として人に話せるようになりましたし、間違えても訂正すればいいだけのことなのであまり重くは考えていません。
私と同じように”左右盲”を自覚していて日常生活にストレスを感じている人は多いかもしれませんが、
笑い話程度に「右と左が判断つきにくいんですよー」と軽くカミングアウトしておくと変なミスや無駄なストレスを回避することも可能なことが多いです。
医学的に、科学的にどのようなものかを定義すらされていない俗称”左右盲”ではありますが、そういった悩みを抱えている人は案外多いのです。
そもそもやはり”左右盲”と言う言葉自体が何かの病気や障害であるかのようなネガティブイメージを植え付けている節は大いにあると思いますので
そんな言葉のイメージに惑わされず、苦手なものが苦手なだけだと自分自身を自分で受け入れることも大切なのではないでしょうか。
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