
一般的に「哲学」という言葉を思い浮かべると、大体頭に浮かぶのはプラトンやアリストテレスなどの古典ギリシャ哲学かデカルトやニーチェといった近代西洋哲学になりがちじゃないでしょうか。
古代ギリシャ・ローマの哲学が哲学者タレスを祖として紀元前620年ごろから新プラトン主義にいたる紀元300年ごろまでとして
一般的に近代哲学と言われる時代はその後紀元1500年頃からと言われます。
ではその古典哲学と近代西洋哲学の間のおよそ1000年の間、人々はずっと新プラトン主義をやっていたわけでもなく、だからと言って何も考えていなかったわけではありませんでした。
そこにはいわゆる「中世哲学」と呼ばれる時代があり、その頃はキリスト教が広く普及し、そのキリスト教を中心とする哲学が非常に盛んでした。
今回はこの「中世哲学」の時代を切り取って、さらに(私が個人的に)一番面白い時代である「スコラ学」で巻き起こった「普遍論争」について紹介したいと思います。
各論者や哲学者の名前を上げだすと結構な人数になる上、名前がとてもややこしいので極力人物名は省き、主要な流れをできる限り簡潔にまとめていきます。
目次
・信仰による知の獲得
・普遍論争:「唯名論」と「実念論」
・唯名論と存在論
・絶対的存在と創造論
・近代哲学の幕開けとルネサンス
信仰による知の獲得

「スコラ哲学」は10世紀から15世紀頃の長きに渡り西洋哲学の主流となったものです。
プラトンやアリストテレスを起源としつつキリスト教の教義と信仰の上に成り立つ哲学で、その信仰の中で世界の真理、ひいては”神の実在”という真理を獲得しようとしていました。
11世記当時の哲学観は”神”という絶対的な存在を前提として成り立ち、教会や修道院で語られるようないわゆる”神の教え”がそれこそ絶対的でしたが、
一方スコラ哲学は教会や修道院に付属する形で組織された現代のでいうところの学校の形に近く、現に英語の「School(スクール)」とスコラ学を意味する「scholasticus(スコラスティクス)」は語源を同じものとしています。
そこでは聖職者かそれに準ずる形での哲学者や学者が教えを説くスタイルで、聖書を第一の教科書としながら現実の出来事と信仰の間に生まれる矛盾に対して理性(ある種の合理)的な解答を求めたと言う点でそれまでの”一方的な神の教え”とは一線を画すものでした。
また同時にスコラ学は信仰を主軸とした哲学と言う性質上、そこで取り扱う哲学に対していくら理性的で理論的な疑問であってもそれが”信仰”に対する懐疑であることは許されませんでした。
こうした信仰による下支えのあったスコラ学は「信仰による知の獲得」がメインテーマとなり、”神学”としての哲学を築き上げていきます。
普遍論争:「唯名論」と「実念論」

スコラ学の哲学は長く続いたものの、それだけ続けばやはりそこには考え方や解釈の仕方にズレが生じ、13世紀頃には「唯名論」と「実念論」と言う2大派閥が生まれて大激論が繰り広げられます。
この大激論が後に「普遍論争」と呼ばれるものです。
例えば「リンゴは果物である」と言った場合に、「リンゴ」という個物に対してより普遍的な”果物”と言うものが存在するのかが争われました。
何を言ってんだって感じですが、
つまり、リンゴという個物に対して”果物”というより普遍的なものがあるとしたら、それはリンゴよりも先に”在る”のかといった具合です。
これはプラトンの「イデア論」とそれに批判的であった弟子のアリストテレスの構図とほぼ同じ形を取っています。
「実念論」(イデア論的な主張)ではリンゴという実在に先立って普遍性を持つ果物という存在があり、リンゴは普遍性を内在していると説くのに対して、「唯名論」は”果物”という普遍性は単に名前に過ぎずそこに「それ(リンゴ)が在る」ということが本質なのだと説きます。
これは「普遍性」と言うものの定義を問う論争であったとも言えるでしょう。
わかりにくいので例えを付け加えますと、
「このリンゴ」「あのリンゴ」と言う時の”リンゴ”とは、イデア論で言うところの”リンゴのイデア(普遍性)がある”から「リンゴ」だと認識できる。すなわち普遍性こそが本質のだとするのが「実念論」であり、
「このモノ」「あのモノ」がリンゴであってミカンではないと言うことを指し示すために「リンゴと言う名前(普遍性)が付けられただけ」でありそれはそこにそのまま存在すると言うことが本質だと言うのが「唯名論」です。
なんだかややこしい話ですが、最終的には「実念論」が優位になります。
と言うのも、「唯名論」で「神」を扱おうとすると”普遍的存在”であるはずの「神」がただの名前(呼び名)でしかないことになり極論的に神の実在証明を否定することになってしまうためです。
神は目の前にそのままそこに在るものではないからこそその実在証明を求めようとしていたのに、
「唯名論」はまず先に個物(目の前の実体)があってそれが本質だと説くわけですから、個物としての「神」を見つけなくてはならなくなるのです。
「”神”ってただの呼び名であって目の前に”それ(個物)”がないなら実在しないんじゃね?」と言うまさに神を否定する形になってしまうのですね。
対して「実念論」側の考え方は「人間」と言う普遍的概念が在るからこそ、人間の祖であるアダムとイヴの原罪に対するキリストの救済が普遍的人間(すなわち現在の我々人類全体)の救済として解釈できるとしたのです。
もし、アダムとイヴは「人間である」と言う”普遍性”が空虚なものなら(その普遍性が単なる”名前”に過ぎないなら)、キリストの救済は人類全体に対するものではなくあくまでも「アダムとイヴの原罪」と言う個別の事象に対するものになってしまいます。
つまるところ解釈の方法にしろ説明論的な部分にしろイデア的存在として全知全能の「神」が存在していると迷打つことのできた「実念論」の方が教会側としては受け入れやすかったわけです。
唯名論と存在論

「実念論」の考え方の方が神の存在を否定しなかったとは言え、「唯名論」が神を否定したわけではありません。先ほどの例えはあくまで極論です。
プラトンとアリストテレスの対比で言えば「実念論」はプラトンの「イデア論」によって強化されますが、「唯名論」はアリストテレスの「存在論」によって強化されます。
アリストテレスの「存在論」では形而上学的な概念はやはり”実在”していないとしながら、それ(形而上学的な概念)は個物としての存在の根本原理としてより”上位の存在”と位置付けました。
※アリストテレスはこの上位存在としての形而上学を「第一哲学」と呼び、対して実在する自然や物事を「第二哲学」と呼びました。そしてこの「第一哲学」こそが最重要なものだとしています。
「実在」と「存在」と言う言葉のニュアンスが難しいのですが、端的に言うと目の前にある個物としての存在(第二哲学)と概念的存在(第一哲学)については分けて考えなきゃいけないよねって感じです。
そんなアリストテレスの第一哲学にとってその存在の根本となるものが「神」でした。
ここで、スコラ学は「神」を理性的かつ理論的に存在すると証明をしようとするわけなので、「唯名論」側は概念的存在を存在たらしめるための理論武装を行います。
「唯名論」側は状況的に少々不利であることを念頭に「実念論」との折衷的解釈を打ち出します。
唯名論者は物事の存在を目の前にあるその個物として存在するとしているわけですが、それが存在するというのは他の別の存在との対比によって成り立ち、その存在もまた別の存在によって成り立つといったように
個物は個物であるものの、それを個物として存在させているのは他の個物が存在しているからだとします。
あるリンゴは別のリンゴと対比することで個物として存在が成り立ち、またリンゴという果物はミカンという別の果物との対比で成り立ち、果物は野菜という植物との対比で成り立ち、植物は動物との……
といった具合に、存在を存在たらしめる対比として捉えた時にどんどんと物事の普遍的概念へと突き詰められていきます。
そうしていつかどこかの時点で存在を存在たらしめられない存在、すなわち他の存在に裏付けされ得ない存在に突き当たります。
それを「神」としたのです。
そして「神」は「存在するから存在する」というある種のトートロジー的な存在となり、それがまた神秘性を深めることとなりました。
絶対的存在と創造論

このような半ば無理やりな論法で唯名論的存在論は「神」の存在を証明しようとしたわけですが、この論法だからこそ理性的説明が可能となったのが「創造論」です。
いわゆる旧約聖書の「創世記」における7日間の話ですね。
神が天と地を分け、「光あれ」と昼夜を生み、動物を作り、人間を作って、最後は休んだっていうアレです。
神が7日目に休んでくれたからこそ日曜日はお休みってのが定番なわけで、キリスト教を信仰しているわけではない私としても「神様!休んでくれてありがとう!」と言いたくなります。
閑話休題。
唯名論的存在論がなぜ創造論を理性的に裏付けるかというと、先ほどの存在の対比を逆行させるわけですね。
つまるところ、絶対的存在である神が存在するからこそ天と地が存在し、昼夜があり、動物と人間が存在し、お休みもある!といった具合に。
これは「実念論」ではなかなか難しい論法です。
何せ「イデア界」を元とした「普遍性の存在」の証明だけでは「じゃぁなぜ”存在”するの?」という疑問に答えにくいわけです。
「神が存在しろと仰ったから存在してる」という論法は現代人(特に無神論と言われる日本人にとっては)容認し難い結論ではあるものの
「信仰による知の獲得」がメインテーマであったスコラ学にとってはそれで十分であったのでしょうし、それで都合が良かったのです。
近代哲学の幕開けとルネサンス

さてはて、4〜500年も西洋哲学の主流として続いたスコラ学ですが、14世紀頃に「ルネサンス」という文化運動が巻き起こります。
ルネサンスは日本語で「文芸復興」とも呼ばれますが、何を復興したかというと古代ギリシャやローマの文芸をもう一度見直そうというものです。
この「ルネサンス」について詳しく語るのは別の機会にして、古典を見直そうという運動は哲学の世界にも少し遅れて波及しました。
その古典哲学のあり方はまさピュタゴラスやアリストテレスといったに自然哲学そのもので、それまでスコラ哲学が行ってきた聖書をテキストとして行う哲学ではなく、
神学的神秘論も含めた上でもっと経験的に実質的に哲学をして行こうという気運が高まります。
そこで後に歴史に名を残すこととなる人物がたくさん出てきます。
例えば、言わずと知れた芸術家であり発明家であるレオナルド・ダ・ヴィンチや、天文学の父と言われ「地動説」を唱えたガリレオ・ガリレイ、ケプラー式望遠鏡を発明したヨハネス・ケプラー
哲学の世界ではスコラ哲学的演繹法ではなく実験や観察を重んじる「帰納法」で哲学したフランシス・ベーコンや、これまでの神学から見れば正反対のような機械論的世界観を打ち出すトマス・ホッブス、そして「我思う故に我あり」で有名なルネ・デカルトなどなど
科学や哲学で割と聴き馴染みのある名前がゴロゴロと出てくる面白い時代になります。
また、科学と哲学は古典のころから密接ではあったもののこの頃から特にその関係性・関連性が強くなる印象のある時代です。
そして現代科学においては脳科学や遺伝子工学、そして素粒子などの超微視的世界観の発見によって倫理的問題や哲学の意義するところがとても大きくなっています。
近代哲学の幕開けがルネサンスによる古典への回帰であったように、現代の私たちもまたどこかでふと立ち止まって過去を見つめることで新しい時代へと誘われて行くのかもしれませんね。
参考書籍