早朝にゴミ袋を漁る真っ黒なカラスたち。真っ黒と言うだけでもなんだか不気味な風貌なのに近くで見ると案外大きくてちょっと怖いですよね。ピンクとか黄色とかだったらもうちょっと可愛らしく見えるかもしれないのに、なんでカラスって黒いんでしょう。
いやまてよ、黒くないピンクや黄色のカラスもいるんじゃないだろうか。「全てのカラスは黒い」とはいえないじゃないか。「全てのカラスは黒い」ということを証明してみなさい!
ちょっと強引な導入になりましたが、論理学の帰納法という方法を使って「全てのカラスは黒い」ということを調べて見ましょう。
帰納法とは「○○’は××である。○○’’も××である。○○’’’も××である。だから全ての○○は××である。」といった具合に、複数の経験や観測から普遍的な結論を導き出すことを言います。特に、個別の同じような事柄を調べて結果を導き出そうとする論理を枚挙的帰納法と呼ぶのですが、この枚挙的帰納法には欠点があります。
かの有名な「ヘンペルのカラス」とは、ドイツの科学哲学者カール・ヘンペルが提示した論理学の帰納法における欠点の指摘です。これについて可能な限りわかりやすく紹介していきます。
目次
ー太陽は東から昇る?
ーヘンペルのカラスと帰納的思考
太陽は明日も東から昇る?
枚挙的帰納法のわかりやすい例を見て見ましょう。
太陽はいつも東から登りますよね。明日も太陽は東から昇るのでしょうか。これを帰納法で考えると……今日の太陽というとても明るい天体は東から昇った。昨日の太陽も東から昇ったし先週からも毎日そうだった。だから明日からの太陽もずっと東から昇るだろう。
といった具合に、帰納法では個別の現象が同じように繰り返すからそれは普遍的だ(変わりがない)という結論に至り、そうではないものは偽だとされます。
ただ、ちょっと待ってください。太陽の昇ってくる方向を枚挙的帰納法によって結論づけるのは早計です。もし隕石の衝突によって地球の地軸が傾いたり、公転軌道がずれてしまったら、太陽は明日も東から昇ってくるとは限りません。
東から昇って来ないからといってそれは”太陽ではない”とでも言うのでしょうか。
私たちは毎日空に昇るひときわ明るい恒星を太陽と呼んでいます。帰納法的には「太陽は東から昇る」わけですから「東から登らない恒星は太陽ではない。」とも言えます。
このことを証明するためには、東から登らない天体をすべて調べてそれが”太陽のような明るい恒星”ではないことがわかればいいわけです。
もし東から登らない天体で太陽のように明るい天体が見つかった場合には、いままで見てきた東から昇る太陽も固有の太陽ではない可能性が出てきてしまい、同時に太陽が東から昇るという命題が否定されかねません。
幸い、太陽のような明るい恒星は(地球にとって)一つしかありません。ですので、全ての明るい恒星を調べることは現実的に可能(太陽だけ)となり帰納法の方法論でも「太陽は東から昇る」ということが経験則からは言えてしまいます。
しかし、太陽が東から昇ることは経験的に確かなことであっても東から昇ることが太陽の本質ではありません。太陽とは何かを知るには太陽やその現象自身のことをよく観察し、”なぜ東から昇っているのか”までをも理解してこそ太陽という物の本質に近づけるのです。
このように”本質を理解せずに経験則から短絡的に定義づけすること”において帰納法には欠点があると解いたのが「ヘンペルのカラス」なのです。
ヘンペルのカラスと帰納的思考
では改めて、「全てのカラスが黒い」ことを帰納法を用いて考えて見ましょう。
「全てのカラスが黒い」のであれば「黒くないものはカラスではない」ことが成立するので、世の中の全ての”黒くないもの”を調べた中にカラスが含まれなければ一匹のカラスも調べることなく「カラスは黒い」ということが証明できます。
繰り返しになりますが、この方法論による証明ではただの一匹もカラスを調べていませんが、カラス以外のものを全て調べることで逆説的に「全てのカラスは黒い」ことが証明できてしまいます。
カラスの例では一見問題のないように感じますが、実はこの方法論では”存在が証明されていないものの定義”まで論法的には証明されてしまうのです。
幽霊って信じますか?信じてはいなくても、なんだかイメージでは幽霊って透けてますよね。
では「全ての幽霊は透けている」という命題を挙げるとした場合「透けていないものは幽霊ではない」という対偶が成り立ち、もし全ての透けていないものを調べた時にそれらの中に幽霊がいなかったら、「全ての幽霊は透けている」という命題が帰納法的には証明されてしまいます。幽霊の存在すら証明できていないのに!!
このように、枚挙的帰納法ではそのものの実態や実体の本質の観察そして証明を必要とせずに命題が正しく見えてしまう錯覚が起こります。
前提が正しいからといって結論が正しいとは限らないという意味において、科学的な文脈ではこの帰納法は詭弁として嫌われることが多いです。
蛇足ですが、私がこのブログの基盤にしている「ミーム論」って帰納法的な話が結構多い気がするんですけどね(笑)まぁミーム論は科学ではないので目を瞑ってやってください。
で、「全てのカラスが本当に黒いか」なんですが、実際にはアルビノの白いカラスは存在しますし、カラス科というくくりで言えばスズメもカラス科の仲間なので黒くはないんですよね。
「幽霊の存在すら証明できていないのに!!」とか言っておいて何なんですが、幽霊の存在を否定することって簡単だと思いませんか。それがなかなか難しいんですよ。この難題のことを「悪魔の証明」と言います。これについては下記の記事で紹介しています。