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【悪魔の証明】現代の魔女裁判:痴漢冤罪と悪魔の証明

 悪魔は存在するでしょうか。幽霊や宇宙人は存在するのでしょうか。そんなものいないって?それではそれを証明して見てください。

 「悪魔なんて誰も見たことがないのだから、誰も見たことないものは存在しない」というのなら、あなたは世の中の全ての事象を漏れなくその目で見て調査したのですか?そうした結果だと言うのなら”悪魔は存在しない”ということを認めましょう。さぁこれから世の中の全てをその目に焼き付けるため、悪魔の非存在を証明するための旅に出るのです!

 そんなこと無理ですよね。存在するもの存在すると証明するにはその事実を持ってくるだけでいいのですが、存在しないものを存在しないと証明するのには無理難題が伴います。これを「悪魔の証明」と言います。

目次
悪魔の証明とは
説明責任はどちらにあるのか
魔女裁判
痴漢の立証責任は原告にあり

悪魔の証明とは

 悪魔が存在すると考えている人たちにとって悪魔の存在を証明することは簡単です。「私は悪魔に惑わされたことがある」「あの事故は悪魔によってひき起こされた」「悪魔によって毎晩悪夢に悩まされている」これらは主観的経験においては悪魔は存在していることになるのですが、それを否定するのは非常に困難です。

 「あなたが惑わされたのは禁欲生活を送っていたためだ」「あの事故の原因はブレーキの故障によるものだ」「悪夢を見るのは枕があっていないからだ」と言ったところで主観的経験においては悪魔によって引き起こされたということを否定できません。

 「禁欲生活を強いられるのはやはり悪魔による誘惑なのだ」「ブレーキを壊したのは悪魔だ」「夜な夜な悪魔が枕をずらすのだ(妖怪枕返し!)」と言った具合に存在するとと主張する側にとって事象としての原因と結果はほとんど無意味です。起こった事実の原因が何であったかは悪魔の非実在の証明にはなりえず、あくまでも悪魔の存在自体を否定し得る証拠を明示しなければなりません。

 また「悪魔がいると言う証拠はない」という言及ができたとしても、存在の証拠がないということが存在を否定する証拠にはなりません。

 悪魔はいるんだ!幽霊を見たんだ!という人をバカバカしく思う人もいるかもしれませんが、それを否定するのは案外難しい問題だったのです。 


説明責任はどちらにあるのか

 存在しないということを証明するのはとても困難ですが、存在することを証明するにはそれを事実とする証拠を提示することができれば良いので比較的容易です。

 そのため、何かの事物に対してその存在の可否が問われる場合には”ある”と主張する側に説明責任が生まれることが多く、それができないからと言って「ないという証拠をだせ!」というのは責任転嫁になります。


魔女裁判

 「魔女狩り」という言葉はSFやライトノベルなんかでもよく聞きますが、端的に言えば魔女に対する大規模な迫害です。キリスト教にとって「悪魔」は神と敵対する存在ですから、その悪魔と契約を交わす”魔女”たちは忌むべき存在であるとされ16世紀当時からしても人権を無視したような拷問まで行われました。

 16世紀に大規模な魔女狩りが起こった原因ははっきりわかっておらず学者のよって諸説ありますのでここで詳しく話すのは割愛しますが、問題はその魔女を探すときに「悪魔の証明」が用いられたということです。

お前は魔女だろう

いいえ、魔女ではありません!

皆がおまえを魔女だといっているぞ

そんな!ちがいます!

ではおまえが魔女でないことを証明して見せよ

そんなぁ!悪魔の証明じゃないっすか!

 本来であれば”魔女である証拠”を持ってこなければならないのは”魔女である”と言及している側であって否定する側に責任はありません。が、そんなことは魔女狩りをする側もわかっています。

 実は「悪魔の証明」という言葉ができたのが中世ローマ法の時代ですから、中世ヨーロッパで起こった魔女狩りにおいて「悪魔の証明」の概念はあったものと思われます。

 そこで無理矢理にでも自供させるために様々な拷問が行われます。「水は聖なるものであり、水が魔女を拒否して魔女は水に浮くのだ」という民間伝承から被告を縄で縛って水に放り込み、浮いてこれば有罪(魔女)沈めば無罪(人間)というとんでもないことをやっていました。どちらにしても助かりませんやん。(他にも理不尽な魔女裁判はいろいろあるのですが……残酷すぎるので割愛します。)


痴漢の立証責任は原告にあり

 痴漢冤罪は現代の魔女裁判であるなんてことが言われたりします。痴漢は犯罪ですし罰せられるべきことですが、痴漢冤罪が多いのもまた確かなのです。

ある女性が痴漢の被害を訴え被告である男性がそれを否認した場合、痴漢の有無について証拠を出さなければならないのは痴漢被害の事実を主張する女性の側と言うことになります。

 痴漢に関する裁判では、周囲にいた人たちの目撃証言や体液の付着などから事実の存在を立証していきますが、もしそれらの証拠を否定するのであれば次は被告人が”非存在”について立証せねばなりません。さぁ「悪魔の証明」の始まりです。

 とはいえ、実際の痴漢裁判においては”ない”ことを立証するというよりも、原告側の証拠を崩すことができれば十分であり、それができれば証拠不十分として不起訴になるようです。

 ただ、この裁判が長引くことも多く職場での立場や社会的な風評被害を最小限に抑えるため多くの痴漢事件が示談になるようですね。裁判の労力や資金を考えると起訴前の示談で済ませようということなんでしょうけれど、この示談金を得るための冤罪事件が少なくなく被告側からすれば(冤罪であれば)裁判だろうが示談だろうが何らかのリスクを支払うことになります。まさに現代の魔女裁判というわけです。


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