身近な”菌”と言えば大腸菌やサルモネラ菌、ピロリ菌などをよく耳にしますが、これらはすべて”細菌”つまり「バクテリア」と呼ばれる生物系統の一種です。よく似た分類に”古細菌(アーキア)”というものもあり「バクテリア」とは異なる系統なのですが、今回はその話は傍に置いておきましょう。
「バクテリア」は生物に寄生することでその宿主に様々な影響を及ぼします。もちろん宿主にとって無害なバクテリアも多くいるわけですが、対して生物にとって致命的な影響をもつバクテリアも存在します。
今回は特定の生物にとって致命的な症状を引き起こす「スピロプラズマ」というバクテリアのお話。スピロプラズマは「オスを全滅させる」と言うエゲツナイ症状を引き起こすため「メールキーラー(オス殺し)」の異名を持っています。
さて、そんなオス殺しのスピロプラズマが「なぜオスを殺すのか」と言う話をした後に、その「オス殺し」と共存するある昆虫たちの生態についてお話してみます。
目次 ・「スピロプラズマ」がオスの卵を全滅させる ・細胞内共生細菌 ・なぜオスだけを殺すのか ・なぜオスが全滅しないのか ・オス殺しとの共生:近交弱勢 ・クリサキテントウの場合 ・オス殺しのバクテリアいろいろ
「スピロプラズマ」がオスの卵を全滅させる
今回の話の中心である「スピロプラズマ」についてまずは紹介していきましょう。
生物学的な分類はバクテリア・テネリクテス門・モリクテス網に属するグラム陽性菌と呼ばれる細菌の一種です。同じ系統の仲間にブドウ球菌やボツリヌス菌などかいます。
ブドウ球菌やボツリヌス菌はヒトにとって様々な感染症をひこ起こす病原性の強い菌のひとつですが、スピロプラズマがヒトに感染して何か症状を引き起こすと言った資料は見当たりませんでしたのでとりあえず無害なのでしょう。
スピロプラズマの感染先は植物や甲殻類(カニやエビ)を含む節足動物などに広く感染が見られますが多くの場合は宿主に対して悪影響を与えないのですが、先にも述べましたように「スピロプラズマ」は特定の生物にとって「オス殺し」の症状を持ちます。男性諸君、ヒトに感染するタイプじゃなくて良かったですね。
さて、その”オス殺し”の症状を引き起こす生物でよく知られているのがショウジョウバエです。ショウジョウバエは古くから実験のしやすいモデル生物であるため「スピロプラズマ」に関する実験資料もたくさん出てきます。
ではスピロプラズマがどのようにオスを殺すのか。端的に言えば「オスが産まれるはずの卵が孵化しなくなる」と言う症状を引き起こします。そしてこの症状を引き起こすのは”メスだけ”であることがひとつ重要なポイントになります。
細胞内共生細菌
ショウジョウバエに寄生するスピロプラズマがどこにいるのか。彼らは細胞の中に暮らしています。
大腸菌やピロリ菌といった普段私たちにとって聞き馴染みのある細菌たちは腸内や表皮などに巣食っているイメージですが、なんとスピロプラズマが住んでいるのは細胞の中。
細胞の中といえばDNAが格納されている場所ですね。そこでスピロプラズマは宿主の細胞が分裂する時に宿主のDNAと一緒に自身もコピーしてもらうように働きかけます。
するとどうでしょう。生物は細胞分裂を繰り返して成長するわけですから、スピロプラズマに感染しているショウジョウバエは身体中のほぼすべての細胞にスピロプラズマを宿していることになります。
このように細胞の中に寄生して宿主の細胞分裂と共に自身も増やしてもらうと言う細菌を「細胞内共生細菌」と言ったりします。
実は私たち人間の細胞にも”元”細胞内共生細菌であったと考えられているものがいます。それが「ミトコンドリア」です。真核生物の細胞内にほぼ普遍的に存在するミトコンドリアや植物が持つ葉緑体はこの「細胞内共生細菌」が起源であったという説が有力なものになっています。(この話についてはまた別の記事でやりましょ。)と言うわけで、細胞内に寄生すると言うのはバクテリアにとって特別な寄生先ではなくむしろ原始的でフツーのことなのかもしれません。
”共生”と言うからには宿主にとって何かメリットがないとただの”寄生”なんですよね。ミトコンドリアは動物にとって重要なエネルギー(ATP)を作り出すことで宿主と共存(と言っていいのか?)しているわけですが、ここで「オス殺し」のバクテリアを”共生”と呼べるのか?と疑問が湧きます。これについてはまずスピロプラズマはなぜオスだけを殺すのかを考えねばなりません。
なぜオスだけを殺すのか
要因のひとつはスピロプラズマは母子感染という形で感染が伝播していくからです。母親から子供に感染していくと言う経路ですね。この母子感染をすると言う感染経路を取るとスピロプラズマに感染した母親が産む卵は全てスピロプラズマに感染しています。
仮に父親がスピロプラズマに感染していても感染していないメスとの間に生まれた卵は感染しません。これはスピロプラズマが細胞内に感染していることに原因があります。
有性生殖を行う生物の場合はオスが精子をメスが卵子を提供するわけですが、オスが提供する精子にはDNAの情報以外ほぼ何も入っていません。対してメスの提供する卵子には母親が持つミトコンドリアなど細胞内の物質をたくさん持っています。
この時、オスが感染していたとしても精子として子を残そうとした時にはスピロプラズマは精子に乗っかっていくことができません。しかし、メスの作り出す卵子の形成過程においては細胞がそのまま大きくなるようなイメージで卵子になるため細胞に取り憑いたスピロプラズマは卵子の中に自動的に取り込まれることになります。
ここでなぜ”オスだけを殺す必要があるのか”です。直感的にはオスとメスが1:1で生まれてくることを考えればわざわざオスだけを殺す必要はないはずです。というかその後の繁殖のことを考えるならオスがいなければ母子感染を起こすことすらできません。
少し余談:生物学的なオスとメスの生まれてくる割合のことを性比と言います。オスとメスの生まれてくる比率は多くの生物の場合おおよそ1:1になるようになっています。が、その生物の生態によって必ずしも1:1であるとは限りません。ハチやアリのような社会性昆虫は繁殖期以外はほとんどがメスですし、魚類の中にもオスとメスを産み分けたり成長してから一部がオスやメスに性転換すると言った生物たちもいます。なぜ1:1になるのかという点も含めて性比の研究は面白いのでまた改めることにしましょう。
この時考えなければならないのはスピロプラズマからの視点です。幼虫期には子世代のオスとメスは互いに近場の餌を取り合うため繁殖可能となる成虫に成長するためにオスの存在は”スピロプラズマにとっては邪魔な存在”となります。
加えて、スピロプラズマは「成長したら母子感染しなきゃいけないからオスもちょっとだけ残しとこっかな」なんて考えたりしません。自分自身がまず全力で成長することだけを考えています。(こうした生物の利己的な行動はさまざまな生物に普遍的です。)
そのため、スピロプラズマにとって母子感染を主とした感染経路を使って遺伝的に有利なコピーを引き継ぎ続けようとすると、自分自身のコピーを増やすにあたってはオスに感染するメリットがなく、むしろ近くのオス(卵にとっての兄弟)を全滅させてメスだけを有利に成長させたいわけです。
そしてスピロプラズマに感染し成長したメスのショウジョウバエが繁殖する際は誰でも良いのでオスさえ見つかれば繁殖可能であり、スピロプラズマは母子感染することができます。
なぜオスが全滅しないのか
勘の良い方はお気づきかと思いますが、母子感染を通してオスがすべて殺されてしまうと次第にオスの数が減っていき、最後には繁殖できなくなって種が絶滅してしまうのではないか。
それが現在存在している昆虫、今回でいうショウジョウバエはスピロプラズマによって絶滅の危機に瀕しているわけではありません。
これは明確な原因はわかっていないのですが、ショウジョウバエ側にも耐性のある個体や集団がある可能性や極めて稀にオスが生き残る可能性などさまざま考えられます。本記事最後にも紹介しますが、スピロプラズマに対する耐性を短期間に会得した生物の報告例もあります。
また、スピロプラズマのオス殺しには感染した卵がオスの時点で殺してしまう”初期オス殺し”と幼虫期以降に殺す”後期オス殺し”のパターンが存在し、宿主(ショウジョウバエ)の遺伝的な系統や感染している細菌の密度によって”後期オス殺し”となることが確認されています。
こうした理由から全てのオスが必ずしも全滅させられてしまうというわけではなさそうで、スピロプラズマ側の”オス殺し”の能力とショウジョウバエ側の遺伝的な抵抗性であったり抗体であったりがバランスを保っている状態であると考えられます。
オス殺しとの共生:近交弱勢
宿主(ショウジョウバエ)からすればすプロプラズマによるオス殺しはデメリットでしかないように見えます。産んだ卵の半数がオスだとすれば自身の子供を半分失うことになりますし、いくらメスが生き残るとはいえオスの数が減ってしまっては種の絶滅への袋小路になりかねません。
そこでなぜ”細胞内共生細菌”と呼ばれて「共生」と言われているのか。
これも実は「これが答えだ!」という明確な解答がないのですが、共生といわれる所以のひとつに近交弱勢を回避する役割があるのではないかということが挙げられます。
近交弱勢とは遺伝子の近いもの同士が交配を繰り返す事で遺伝的に潜在していた有害な表現型が発露したり、遺伝的な多様性を作ることができず環境に対して適応度の低い個体が増えてしまうことなどを指します。
昆虫などのように一度にたくさんの卵を産んで一斉に孵化するような種の生物は自分の兄弟姉妹間での餌の奪い合いがあると同時に、繁殖の機会も環境的に近い位置にいる兄弟姉妹で済ましてしまうことがあります。
そうなると兄弟姉妹は各個体が持つ遺伝子は近いわけですからいわゆる近親交配となり、これを繰り返していると近交弱勢が起こりやすくなります。
そこで登場するのがスピロプラズマのオス殺しです。
スピロプラズマに感染したメスは生まれながらに(オスと一緒に生まれたものたちに対して比較的)餌が豊富な環境であり、繁殖可能な成虫にまで育つ可能性が高くなる一方で手近なオスを見つけることができません。これは遺伝的に近いオスの個体が存在しないことと同義で、繁殖しようとすると必然的に別の遺伝的系統を持ったオスを探すなりオスから見つけてもらうなりしてもらわねばなりません。
つまりスピロプラズマに感染したメスは近交弱勢を回避することができすわけです。加えて、オス側はスピロプラズマに対して耐性のある遺伝的バックグラウンドを持っている可能性があるため次世代にはオスを生む可能性すらあるわけです。
こうしたショウジョウバエとスピロプラズマの戦いとも共存とも取れる関係があるためどちらもこれまで絶滅していないわけです。
もちろん過去には全てのオスがスピロプラズマのようなオス殺しの最近によって絶滅させられてしまった種もあることでしょうし、その絶滅とともに一緒に絶滅した最近の数も少なくはないのでしょうね。少なくとも現存しているショウジョウバエとスピロプラズマはお互いに”うまくやっている”と言えるでしょう。
クリサキテントウの場合
オス殺しのスピロプラズマと共存している面白い例をもうひとつあげておこうと思います。それはテントウムシの一種であるクリサキテントウです。
クリサキテントウは日本では本州の東北から沖縄にかけて非常に広く分布しているテントウムシです。
クリサキテントウの中でも本州に生息する自然環境下でのクリサキテントウは少し変わった生活と食性を持っていて松の木にしか生息せず、松の木についたマツオオアブラムシしか食べません。
クリサキテントウに近縁の種であるナミテントウはクリやらマメやらさまざまな植物に生息しておりいろいろなアブラムシを食べているのにクリサキテントウは松の木だけなのです。
これには理由があって、ナミテントウとクリサキテントウは互いに交配して繁殖することはできないものの誤って交配してしまうくらいに似ていて、その間違った交配が起きた時にクリサキテントウはナミテントウの繁殖力に負けてしまうため同じ環境下に生息するとクリサキテントウはナミテントウに勝てません。
こうした配偶過程での相互作用のことを繁殖干渉と言います。クリサキテントウとナミテントウの繁殖干渉は非常に興味深く面白いのですが、これも話が逸れ過ぎますのでここでは概要だけに留めておきます。
要するにクリサキテントウとナミテントウは同じ環境下で一緒に暮らすことができないのです。
そのためナミテントウに比べて繁殖能力の低いクリサキテントウはナミテントウができるだけ近づかないような環境へ追いやられてしまうことになります。そしてその環境こそが松の木なのです。
松の木に生息するマツオオアブラムシは他の植物についているアブラムシに比べて手足が長くすばしっこいためナミテントウの幼虫がマツオオアブラムシを捕まえるのはとても難しいのです。
しかしクリサキテントウの幼虫はナミテントウの幼虫に比べて頭部が大きくすばしっこいマツオオアブラムシを捉えるのが得意です。
ナミテントウの幼虫には捕まえられなくてもクリサキテントウの幼虫ならなんとか捕まえられるマツオオアブラムシを主食にすることでクリサキテントウはナミテントウの生活環境を避けて暮らしていけるわけです。
と、ここまではオス殺しとの共存関係における前提の話。
ナミテントウにせよクリサキテントウにせよ卵から孵ったばかりの幼虫は小さ過ぎてアブラムシをうまく捕まえることができません。そのため親のテントウムシはあらかじめ孵化しない「栄養卵」と呼ばれる孵った幼虫の餌用の卵を一緒に産み落とします。
生まれてばかりの幼虫ままずその栄養卵を食べて成長し、大きな体になってからアブラムシを捕食していきます。
ナミテントウの場合には比較的捕まえやすいアブラムシがたくさんいる植物に生息しているため、幼虫の成長もある程度大きくなれれば問題ありません。しかし、クリサキテントウの場合にはナミテントウの幼虫よりも大きな体が必要となるため親のクリサキテントウは(ナミテントウに比べて)大きな卵を産み、栄養卵の数もナミテントウに比べて多いです。その代償として孵化する卵の数は減りますが、成長して生き残る数を増やそうとすればこのようなトレードオフは致し方ないのでしょう。
と、ここで急に話が戻りまして登場するのがスピロプラズマです。本州に生息するクリサキテントウの半数以上がスピロプラズマに感染しています。生態学者である鈴木紀之氏が行った京都の岩倉でサンプリングされた調査によると60%を超えるメスがスピロプラズマに感染していました。この高い感染率は滋賀や仙台でも行われましたが同様に高い感染率でした。
同じく鈴木紀之氏の調査においてはナミテントウ21匹のうちスピロプラズマに感染している個体は1匹だけであったことからするとクリサキテントウの感染率は異常です。
このことを鈴木氏は幼虫の体が大きくなるまでマツオオアブラムシ捕食できないという栄養環境の悪い中で生まれてきたメスの幼虫は殺されたオスの卵を栄養卵として食べることができるためではないかとしています。
これの証拠にナミテントウの生息していない奄美大島や宮古島・石垣島に生息しているクリサキテントウはなんとスピロプラズマに感染しておらず餌の競争相手となるナミテントウがいないためさまざまな植物でクリサキテントウが生息しているのが確認されました。
つまりナミテントウと生息域の被る本州においてクリサキテントウは良質な餌場をナミテントウに追いやられ、生きていくためにはなんとかメスだけでも成長してくれればという環境下にあってはじめてスピロプラズマのオス殺しを利用して栄養卵の数を増やすことで生存率を高めているという”共生関係”にあると言えます。
誤解なきように付け加えておきますが、クリサキテントウが自らの意志でスピロプラズマに感染しようとしたわけではありませんし、「メスだけでも生き残ってくれ!」と願ったわけではありません。あくまでも自然環境下でたまたまそうなったという関係が一定のバランス下において”共生関係”を生み出しているだけなのです。
オス殺しのバクテリアいろいろ
オス殺しのバクテリアとして今回紹介したのはスピロプラズマでしたが、他にもボルバキアやリケッチアなど色々といましてそれぞれに様々な生物と共生していたり押しつ押されつしています。
もちろんオス殺しのバクテリアとの綱引きは今回紹介したショウジョウバエやクリサキテントウだけではありません。
2011年に千葉県松戸市のカオマダラクサカゲロウという昆虫の集団がスピロプラズマに感染したことが確認されその集団内で性比が極端にメスへ偏っていた(オスが11%しかいなかった)ことが発見されました。
しかし2016年にもう一度調査が行われたところスピロプラズマの感染率は依然として高いままであったのに対してオスの数が38%にまで回復していることがわかりました。
この報告は細菌の生殖操作に対する宿主の抵抗性進化を観測した数少ない実証例だそうです。
自然の中で生物たちが手を取り合って生きているわけではありませんし、現実的なことを言ってしまえば生物は基本的に利己的に振る舞うわけですが、その利己性のバランスが他の生物の助けとなったり自分の属する種の保存に働いていたりして生態学というのはとても興味深いです。
だからと言って人間も利己的に振る舞えばいいんだというわけではありませんよ(笑)自分の意思次第で利他的に振る舞うことができるのは人間が持つ素晴らしい能力のひとつなのですもの。
参考
共生細菌が宿主昆虫をメスだけにするしくみを解明(産業技術総合研究所)
共生細菌の産生するオス殺し毒素(春本敏之)
共生細菌スピロプラズマによる雄殺し:その表現型と分子機構(春本敏之)
オスを抹殺する細菌にあらがう昆虫:抵抗性進化を観測(琉球大学)