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【線分の比喩】プラトン哲学の全景:イデアにたどり着くための方法

 「洞窟の比喩」に対して「線分の比喩」はあまり有名ではありませんが、プラトンのイデア論という思想を理解する上では大切な要素のひとつとなります。

 そもそもイデア論とは何かを知りたい方はこちらの記事「イデア論:プラトンの「洞窟の比喩」とソクラテスの「無知の知」そして実在論へ……」を読んでみてくださいね。

 「線分の比喩」では人々が”知る”というときどのような過程を経ているのか、その過程で何が知られるのかを説きます。具体的には目に見えているモノから目に見えぬ本質を想起するための手順を説明した物となっており、イデア論を理解する上で重要と言ったようにまさにイデア(本質)へたどり着くためのプラトンなりのプロセスを語ったものになります。

文章だけだとめちゃくちゃ分かりにくいので図を用いながら順を追って説明していきます。


図解:線分の比喩

 まず最下層である点Aから最上層である点Bを想定します。非常に分かりやすくするため点Aを無知な状態点Bを全知の状態だと考えましょう。この線ABに対して点Aから点Bに向かって人が知るという過程が描かれていきます。

 まず、点Aと点Bの中間に点Cを取り、線分ACと線分CBに分けます。

 線分ACは「可視界」であり私たちが普段目に見えている物事を指します。線分CBは「可知界」であり幾何学数学などを用いて捉えることのできる物事です。ここまでは、まず私たちは物事を目で見て把握しそれを数学や概念的な知性を用いて認識しているという図像になります。

 さらにこの「可視界」と「可知界」をそれぞれ二つに分けるため、点Dと点Eを取ります。

 「可視界」と「可知界」はそれぞれ「似像」と「原物」に分けられます。

 「可視界の似像(線分AD)」は影や鏡像、写像などといったいわゆる洞窟の影であり、「可視界の原像(線分DC)」は影の本体である物そのものを指します。

 「可知界の似像(線分CE)」は幾何学や数学などで捉えることのできる物事で、私たちの身近なところで言うと物理法則熱力学と言った学問的に把握できる物事。「可知界の原像(線分EB)」はソクラテス的な対話によって把握することのできる実相、つまりイデアです。

 これら4分割された知の階層は下から順に「エイカシア(模倣知・映像知覚)」「ピスティス(信念・知覚的確信)」「ディアノイア(悟性知・間接的認識)」「ノエーシス(理性知・直知的認識)」と区分され、それぞれの下層の知を踏み台にすることで知の上昇を得られると説きました。

 これらの名称の日本語訳は解説されている書籍やwebサイトごとに若干異なりますが、おおよそ語感から言いたいことの共通点はわかるかとは思います。

 「物を見て」→「触り」→「概念的に見つめ」→「実相を知る」と言った具合に知性が発展していくことを説いています。プラトンの「線分の比喩」による知の上昇の考え方は近代の認識論にも似たものがあります。それはジャン・ピアジェの「発生的認識論」です。

 ジャン・ピアジェの「発生的認識論」では人間の子どもが成長するにつれどのように学習し世界を認識していくのかが説かれていますが、概ね似たような過程を経て人が知性を知性を身につけていく様が解説されています。

詳しくは「発生的認識論とシェマの獲得」を読んでいただければと思います。


洞窟の比喩への発展

 この「線分の比喩」において知を上昇させるためにその”線分”を超えるには「洞窟の比喩」的手法が必要となります。

 「洞窟の比喩」では真実にたどり着くために壁に写った影から光の方向へ振り向かねばならないわけですが、それぞれの線分を跨ぐ度に影から光へ、影から光へ……と魂の方向を転換しなければならないのです。

 プラトンの師であるソクラテスが問答により当時の賢人たちの矛盾を突き論破しまくっていたのは、賢人たちが知の上昇すなわち魂の転換を怠ったためであり、賢人たちはそれ故に「無知である」とソクラテスに言われてしまったのです。

 物事の本質を見極めようとせず、今自分に見えているものが全てだと思い込んでしまったが故に本質へたどり着けなかった賢人たち。

 対してソクラテスは「自分は何も知らない(無知の知)。だからこそ物事の本質を知るために探求するのだ。」と賢人たち相手に質問しまくりました(ソクラテスの問答法)。

 その様子をみていたプラトン知ると言うことはどのような活動なのか、そしてソクラテスが知ろうとしていた「善」とは何なのかを「線分の比喩」を用いることで物事の本質(イデア)にたどり着こうとしていました。

 しかしながら「線分の比喩」ではなかなか人々に伝わらない。と言うことで「洞窟の比喩」を用いて知性階層のステップアップをどのように行うかを説こうとしたのです。

 「線分の比喩」ではそれぞれの知性階層を跨ぐごとに「洞窟の比喩」的な思考の転換が必要となります。物を見つめているだけではその実態を掴めないし、それがどう言ったモノなのかを概念的に捉えねば実装には辿り着けない。この思考の転換洞窟の中の囚人が光の方向(外の世界)へ目を向けることに喩えたわけです。


参考web
プラトンの「線分の比喩」における四つの認識の比例関係の図解、直接的認識と間接的認識の間の三重の比例関係、認識論③

線分の比喩(Wikipedia)



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