発生的認識論とシェマの獲得

 ヒトはどのようにして外界を認識し、世界を見ているのでしょうか。スイスの心理学者ジャン・ピアジェは彼の著書「発生的認識論」でこの疑問に心理学的な答えを与えました。

 ジャン・ピアジェ氏は子どもの成長を観察することで、人がどのような手順を踏んで世界を認識しているのかを説明します。「発生的認識論」ではヒトが外的環境の在り方を認知するための認知的枠組みを「シェマ」と呼びました。言い換えればシェマは物事に対する社会的な概念のようなものです。

 ピアジェは何も知らない生まれたての子どもがどのようにして様々な社会的な概念(シェマ)を獲得していくのかを「同化」「調整」「均衡」「操作」の順で形成されていくと説き、それらの相互作用によってシェマが強化されていく認知体系を提唱しました。

 それとともにヒトの子どもの認知的成長を「感覚運動期」「前操作期」「具体的操作期」「形式的操作期」の4段階に分けて「時間」「空間」「因果性」といった認識の形成を醸成していくものだとしました。

 ちょっと難しい内容ですが、それぞれについて噛み砕きながら解説していきたいと思います。

目次
・シェマの獲得
ーシェマの「同化」
ーシェマの「調節」
ーシェマの「均衡」
ーシェマの「操作」
・論理的思考の獲得
ー感覚運動期
ー前操作期
ー具体的操作期
ー形式的操作期
・人間は考える葦である

シェマの獲得

 まずはシェマの獲得において基本となる「同化」「調整」「均衡」「操作」について紹介します。ヒトは外界を認識する(内的に世界を構築していく)ために外的環境から獲得してきた情報を処理して「認知的枠組み」を構築していきます。これが「シェマ」です。人は外界を認識するために様々な変数(情報)をシェマに取り込みながら概念を形成していくことになります。


シェマの「同化」

 幼少期のシェマは非常に単純な情報から成り立っています。初めてリンゴを見た子どもはリンゴに対して「丸くて赤い果物」という枠組みだけを持っているでしょう。この状態は「丸く赤い果物はリンゴである」という概念をシェマの中に“同化”している状態にあります。しかしこのままでは、リンゴよりも小さなイチゴチェリーなども「丸く赤い果物」なのでリンゴとして認識してしまいます。幼い子どもによく見るどの果物を見ても「リンゴ!」と答えてしまうような認知の不一致が起こります。場合によっては「指さし行動」と「リンゴ」という単語が結びついてしまい、何を指差しても「リンゴ!」と答えることもあります。

 このような認知的な間違えを親や兄弟といった周囲の大人などに指摘されることで次の段階である「調整」を行うようになります。


シェマの「調節」

 未熟な同化状態にある「リンゴ」の概念は様々な食べ物を見て触れて食べ、そして教えられることでそれらの食べ物の形状や味や名称などを次々に獲得していきシェマが書き換えられていきます

 このように、間違っていたり認知が不十分な既存のシェマ新たな情報を同化していくことを「調節」と言います。この調整がうまくいけば「リンゴ」「イチゴ」「チェリー」と言ったそれぞれ個別の果物の形状と名称をより正確に同化することができ、同時に「指さし=リンゴ」と言ったような間違った認識を改めることができます。シェマは同化調節を経て、外的環境と主体の内部との相互作用によって構築されていき外界を観察しながら、新しいシェマを獲得していくのです。


シェマの「均衡」

同化調節の相互作用を繰り返しながらシェマ(認知的枠組み)を作り出すことで、シェマは「均衡」を構築していきます。シェマの均衡が構築されることで様々な品種のリンゴ「リンゴ」の概念の内に収めることができるだけでなく、抽象化したシンボルやキャラクターといった高度なシェマも獲得していくことができるようになります。

 絵に描いたリンゴを「これはリンゴだよ」と言われても大きな認知の不一致を起こさず、絵に描いたリンゴをリンゴとしてシェマに同化してもリンゴの現物のイメージを見失うことはありません。つまりひとつの情報に対して認知の枠組みが大きく振り回されることが少なります。


シェマの「操作」

 シェマの「同化」「調整」の繰り返しによる「均衡」で世界を認識し、その過程で外的環境に対する行為が内在化され、具体的に実物を動かしたりする動作を行なうこと無く頭の内で行為をイメージし結果を想像することができるようになります。これが「操作」です。

 すでに同化されているシェマの情報を頭の中だけで分解し再構築することができれば、論理的な思考へと発展させることができます。論理的な思考ある程度のシェマの形成過程と並行して行われ、同時に形成されたシェマを元にしていろいろな事柄を道筋立てて考えることが可能になっていきます。


論理的思考の獲得

 ピアジェシェマの獲得過程についでヒトの子どもの認知的成長過程とした「感覚運動期」「前操作期」「具体的操作期」「形式的操作期」の4段階を説きました。

 子どもは言葉や物事の社会的な概念であるシェマを獲得するために、周囲の大人にいろんなことを聞いて試行錯誤を繰り返しながら周囲のヒトとの認知的な一致を獲得していきます。

 ある程度のシェマが形成されると認知的な間違えの指摘について”何が違うのか何が合っているのか”と言った論理的な思考を巡らせることになります。


「感覚運動期」

 まずは生まれて間もない「感覚運動期」のシェマの獲得です。この「感覚運動期」は0歳〜2歳までの24ヶ月間に起き、この間の認知的発達はさらに6段階に分けられます。

 第1段階は生後0ヶ月〜1ヶ月の時期で、この時期は生得的な反射によって外界からの刺激に反応します。第2段階は生後1ヶ月〜3ヶ月に起きる自分の体への反応が中心となる時期で、自分の手を見つめたり咥えたりします。第3段階は生後3ヶ月〜8ヶ月、ここからは子どもは物を使うようになり、物を掴んだり投げたりするようになります。第4段階は生後8ヶ月〜12ヶ月、この時期に自分の目的と行為が紐付けされていきます。第5段階は12ヶ月〜18ヶ月目的達成のために行為(手段)を変化させて試行錯誤するようになります。第6段階は18ヶ月〜24ヶ月、第5段階の試行錯誤がさらに複雑化していきます。

感覚運動期の成長段階をまとめると
・第1段階(生後0ヶ月〜1ヶ月):生得的な反射
・第2段階(生後1ヶ月〜3ヶ月):自分の体への反応が中心
・第3段階(生後3ヶ月〜8ヶ月):子どもが物を使うようになる
・第4段階(生後8ヶ月〜12ヶ月):自分の目的と行為が紐付けされていく
・第5段階(生後12ヶ月〜18ヶ月):目的達成のために試行錯誤する
・第6段階(生後18ヶ月〜24ヶ月):試行錯誤が複雑化する

 この「感覚運動期」に起こる発達に見るように、シェマを獲得し変化させるためにヒトが受け取る情報のうち最も初期のものは、主体を取り巻く環境と主体の生得的な反射から始まる試行錯誤の相互作用です。この時点ではまだシェマの操作はほとんど行われません。同化調整を始めたばかりでそれに手一杯です。この段階では「同化」「調整」「均衡」を繰り返すことでそのシェマの適用範囲を広げ、体の発達とともに徐々に「操作」を行なう基礎を身につけていきます。

また、ピアジェ氏は生後0ヶ月〜1ヶ月の行動を「生得的な反射」としていることから「新生児模倣」を模倣行動ではなく生得的な反射であるとしていることが伺えます。


「前操作期」

 「感覚運動期」の次の段階が2〜7歳の時期の「前操作期」です。この時点でもまだ“”とつくので完全な「操作」ではないにせよその発端をみることができます。前操作期はさらに「前概念的思考段階」と「直感的思考段階」に分けられます。

 「前概念的思考段階」ではある液体を形の違うコップに移した時に液体が同じものだと認識できません。具体的には、幅が広く背の低いコップAに入ったジュースを幅が狭く高さのあるコップBに移し替えたとき、容れられた液体をそれぞれ個別に認識してしまい、同じものだとは認識できない状態です。

 「直感的思考段階」になってようやく同じ液体が別のコップへ移動したと認識することができるようになりますが、その認識は視覚的な情報に左右されてしまい、コップの幅が狭く高さが増したコップBに容れられたジュースを見て「量が増えた」と認識してしまいます。

 しかし、“直感的”というだけあって、極端に幅が狭く背の高いコップCに対しては「幅が狭いから量が減った」と認識するようになります。このように直感的な知覚情報を調整しながら目の前にある事象を説明しようと試みるという点で、論理的な思考が芽生え始めた時期と言えます。

 そして、この時期にもっとも重要なのは「象徴化」を行なえるようになることです。具体的には「ごっこ遊び」ができるようになります。「おままごと」のように目の前にない食べ物を食べる仕草ができたり、積み木などを犬や車などに置き換えて遊ぶことができるようになります。これは「操作」にとって非常に重要で、頭の内で現象や実体を概念的な思考として発現可能な段階に達し「概念の抽象化」を行なっていると言えます。


「具体的操作期」

 次の「具体的操作期」は7歳〜11歳の時期です。この時期では数の保存系列化などを具体的な事象を想像しながら簡単な数学的思考が行なえるようになります。

 この時期は物理的対象に対する操作を取り消して元の状態へ戻すことができるようになる「思考の可逆性」が芽生えます。さらに、並べてある5つのボールを間隔を空けて置き直した時に改めて数えることなく同じく5つのボールであると認識できるようになる「保存」の概念が形成されます。

 しかし、あくまでも具体的な事象を観察したり、リンゴやミカンなどの物体を想像したりしなければ思考は困難なものになるのが特徴です。


「形式的操作期」

 「形式的操作期」でようやくシェマの「操作」を行なう基盤が形成されます。この時期では、「具体的操作期」から発展し、具体的な現実の事象を扱うこと無く論理的な思考が可能になります。

 この段階になるとより数学的思考を行なうようになり「a>b」「b>c」であるならば「a>c」であるといった命題理論を行なえるようになのが特徴です。

 「a>b」を思考するときにわざわざ「aのリンゴはbのミカンより大きいからcのイチゴよりも小さいのだ」といったような具体的な物体を想像すること無く命題を抽象化したまま関連付けて結果を導くことができるようになります。

 さらに、複数の要素を組み合わせて別の目的の要素に組み替えるとき、ランダムに試行錯誤するのではなく、a+b,a+c,a+d,b+c,b+d…と系統化して調べることができるようになります。

 また、事象が変化する時にその変化を的確に予測することができるなど、これまでより高度な認識で内的世界を構築するようになっています。抽象化して論理的な思考を行なうようになることで、変化を伴う未来予測はその後の経験によって更に正確さを増して行くことになります。

 形式的操作期を迎えることろには周囲の大人ともちょっと込み入った話ができるようになっているでしょう。そして、大人たちもまた形式的操作を繰り返しています。


人間は考える葦である

 かの有名な哲学者パスカルが残した「人間は考える葦である」とは、ヒトは自然の中で葦のように弱くちっぽけな存在に過ぎないが思考することで宇宙とも対峙する事が出来る偉大な存在になれることを説いた言葉です。

 しなしながらヒトは生まれながらにして複雑な思考ができるわけではありません。生まれたてのころは周囲と自分との関係性を学習し、次いで物事の意味性や概念を獲得していきながら”思考する葦”になっていく事ができます。

 進化の過程でいえば、自然界の中でちっぽけな存在であった私たちの祖先思考を獲得した事でその思考と知識が蓄積されていき、今日の私たちの科学的な社会が構築されてきました。逆説的には思考をやめてしまった人間は葦同然という事です(めっちゃ葦ディスるやん)。

 いくら便利な世の中になったとはいえ、自ら思考することをやめたくはないなと思うのでした。



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