これまでの回でミームとはどのようなものかをざっくりと説明してきましたが、これからは私が考えるミーム論についてを掘り下げていきたいと思っています。
もちろん補足も含めて遺伝子とのアナロジーもまだまだ語っていきますが、こればかりやってもキリがないので前回で一旦区切りです。
それではこれからどのようなことを考察していくかを簡単に以下にまとめておきたいと思います。
ミーム論概説
第6回【ミーム論概説:様々なミーム論】
第10回【web辞典における「ミーム」の定義】
”概説”なんて大層な言い方をしてしまいましたが、やりたいのはこれまで行われたミームについての議論を代表的なミーム論者の紹介とともにやっておこうかと思います。
動物にミームはあるのか
第7回【動物にミームはあるのか#1】
第8回【動物はミームをもつか#2】
ミーム論者の多くはミームはヒト特有のものとしています。人間至上主義的に聞こえるかもしれませんが、事実上文明から始まる文化を持つのはヒトのみですので致し方ありません。
しかしながら動物の社会性の中にミームを見出す人たちも少なからずいますので、そのあたりの話をします。
脳の進化とミームについて
第11回【脳の進化とミーム論#1】
第12回【脳の進化とミーム論#2】
ミームの伝播には模倣が伴いますが、その模倣の能力を持っているのはずばり脳です。ミーム論者の中では脳の進化がミームという自己複製子の発生には不可欠であるという考え方もあります。
これは「動物にミームはあるのか」という疑問にも繋がる部分であります。ミームは高度な構造を持つ脳が生み出したものなのか、それとも社会性ないしは群を作る生物が持つ脳の特定の機能が生み出したものなのか。なかなか難しい問題です。
ミーム格納庫としてのシェマ
ジャン・ピアジェによる「発生的認識論」はヒトがどのように外界を認識しているかを研究したものです。その中で語られる「シェマ」の概念は外的環境と主体の内部(主観)の相互作用によって起こる「同化」「調整」そして「均衡」の枠組みとされます。
ミームはまさに外的環境から主観の中に情報(ミーム)を取り込む作業であるので、シェマの概念はミーム論にとって有益な概念だと考えています。
環境情報:アフォーダンス
ジェームズ・ギブソンによる著書「生態学的視覚論」で提唱されたアフォーダンス理論。
外的環境と主観との調和を認識の理論としたシェマに対して、アフォーダンスは環境そのものが情報をすでに持っているとする理論です。
簡単に説明するのは難しいですが「このリンゴは食べることができる」という主観とは独立して「食べられるリンゴ」は実在しているというものになります。また、この「食べられるリンゴ」は同時に「食べられないリンゴ」としての情報も持ち、それを認識する主体が持つ主観的な価値観や経験則によってどの情報を選択するのかは異なります。
ミームは基本的にはヒトとヒトとのコミュニケーションによってやりとりされますが、建築物などの人工物がミーム表現型であり、本のように直接的に情報が書かれていなくても受け取られるミームがあります。これをアフォーダンスとして解釈しミーム論的に考察すると三次的コミュニケーションによるミームの繁殖の可能性が見えてくるかもしれません。
ミームのホロン的階層とニューラルネットワーク
第16回【ニューラルネットーワーク】
第17回【ミームネットワークのノード】
攻殻機動隊が好きな方はアーサー・ケストラーの著書「機械の中の幽霊」をご存知かもしれません。
その著書の中でケストラーは「ホロン」という概念を提唱します。ある特定の文脈においては全体であるが、別の文脈においては部分となり得るような単位のことを指します。
わかりやすく言えば学校という単位の中に学年という単位があり、学年単位にはクラスが、クラスの中には班が、というようにそれぞれにひと塊りに独立して機能しながら上位階層の一部としての機能も持ちます。
AIについての研究は最近よく見かける話題のひとつですが、AI研究に用いられるニューラルネットワークにも「ホロン」という考え方が出てきます。
具体的にはニューラルネットワーク内のノードがそれぞれ個別に情報を持っているのではなく、ひとつひとつのノードが全体の情報を持っているというものです。
それら個別に全体性を持つノードが相互作用することでニューラルネットワークが形成されるため各ノードは全体性を持ちながら部分でもあるホロンであると言えます。
そしてそのニューラルネットワークは人間の脳を模して作られたものです。とすれば、ヒトの脳のニューロンはニューラルネットワークのノードと同じように脳全体の情報を持っているのでしょうか。もしニューロンが全体性を持つならば、シナプス結合のパターンや電気信号のパターンにミームを見出す事はより難しくなり、ホロンとしてのニューロンからミーム分子を探さなくてはなりません。