「エントロピー」という言葉は「乱雑さ」という表現に変えられることが度々ありますが「その”乱雑さ”ってのがワカンねぇんだよ!」と突っ込みたくなります。
「エントロピー(乱雑さ)」とは何かを説明しやすいのはトランプです。
トランプは新品の状態では全てのマークが揃い、数字が順番に並んでいます。これがエントロピーが低い状態。
トランプについているスペードやダイヤと言った「マーク」のことを正確には「スート」や「スーツ」と言いますが、今回は「マーク」で統一して話を進めますね。
そのトランプをシャッフルするとマークや数字はバラバラになり”乱雑”になります。これがエントロピーが増大した状態。
今回はこのトランプの例を用いながら「エントロピー」のことをもうちょっと深く知っていきたいと思います。
今回の解説では難しい数式などは一切使わない感覚的な理解を目指します。そのため専門的に厳密で正確であるとは言えないかもしれませんが、「熱力学」や「エントロピー」といった言葉に興味を持ち始めた方々への入り口となれるような記事にしています。
目次
・熱力学第二法則(エントロピー増大則)
・トランプをシャッフルして元に戻る確立
・トランプは任意に並び替えできるけど?
・情報エントロピーと熱力学的エントロピー
-音楽は情報エントロピーが低い
-物理的な記録媒体は劣化する
-脳の記憶は物理現象かデジタルデータか問題
・数字を使わずエントロピー量を計測する「アルゴリズム的ランダム性」
-アルゴリズム的ランダム性
-トランプを並び替えよ
-トランプの枚数が少ない場合
・生態系と熱力学的エントロピー
-ゼンマイ仕掛けのバネを巻く
-生物の体は細胞が規則的に並んだ状態
-生態系のエントロピーの増大
熱力学第二法則(エントロピー増大則)
簡単に解説するとは言え度々出てくる用語については先に出しておきましょう。
「エントロピー」という言葉が最もよく使われるのが「熱力学」という分野です。熱力学は普段目に見えていない”エネルギー”について取り扱う分野で、エネルギーの中でも特に”熱”の動きや力を基本とした物理法則の学問となっています。
熱力学には4つの法則があり、今回の本題である「エントロピー」はその熱力学第二法則(別名「エントロピー増大則」)のなかで重要な概念となります。
【熱力学第二法則】
断熱系において不可逆変化が生じた場合、その系のエントロピーは増大する。
難しい言葉で言われてもわからないので簡単な言葉に変えましょう。
・「断熱系」というのは外部からエネルギーを受け取ることのない環境のこと。
・「不可逆変化」というのは変化したら元には戻らないということ。
・「その系」とは「断熱系」のこと。
・「エントロピーは増大する」というのはより”乱雑”になっていくということ。
これらをつなげて簡単に意訳しますと
外部からエネルギーを受け取ることのない環境での変化は乱雑さを増す方向にしか変化しない。
という感じになります。
トランプは新品の状態はエントロピーが低く、シャッフルするとエントロピーが増大すると表現されました。
トランプをシャッフルするということは状態の変化に他なりません。シャッフルされたトランプは何度シャッフルしても新品の並びに戻ることはありませんよね。
トランプをシャッフルして元に戻る確立
何度もシャッフルすればいつかは新品の並びになるって?
ではその確率を計算してみましょう。(計算式出てこないって言ったのに……)
トランプの枚数はジョーカーを除いて52枚です。この52枚が作り出す配列のパターンの計算方法は、
52×51×50×49×48×47×46……×6×5×4×3×2×1
という計算になり、
そのパターン数は
80658175170943878571660636856403766975289505440883277824000000000000
です。
68桁という恐ろしいほど桁数の多い天文学的数字となりました。
これはすなわち同じ並びになる確立が天文学的確立となると言うこと。ですので統計的に無視できます。
世界人口77億人が全員100回ずつシャッフルしたとしても770000000000回(12桁)にしかなりません。そのくらい低い確立なので「熱力学第二法則」としては無視できるレベルの確立であるとするのです。
トランプは任意に並び替えできるけど?
トランプをシャッフルし続けても元の新品の状態には戻らないという話は納得いただけたかと思います。
しかーし、トランプって1枚ずつ並び替えることができますよね。
1枚ずつ並び替えれば新品と同じ並びにすることができるのでエントロピーは減少したということが可能です。
これは「熱力学第二法則」に反する現象なのでしょうか?
人間が特別な存在だから物理法則まで覆せるほどの神秘性を持っているとでも言うのでしょうか?
いえいえそうはなりません。
トランプの任意の並び替えと言うのは「断熱系において不可逆変化が生じた場合、その系のエントロピーは増大する。」と言う熱力学第二法則において「断熱系」を無視していることになります。
人が作為的にそのようになるように手を加えたと言うことはそれ相応のエネルギーを消費する行為です。
そのエネルギーの消費こそエントロピーの増大であり、結果的にトランプを任意の形に揃える時に減少したエントロピー量よりも人間がトランプを揃えるために消費したエントロピーの増大量の方が多いのです。
もちろんランダムにシャッフルしている時も人間の行為が仲介しますから、その分のエントロピーも含めて増大しています。
情報エントロピーと熱力学的エントロピー
エントロピーと言う言葉が使われるのは何も熱力学をはじめとする物理学だけに限りません。
今あなたが手に持つスマートフォンや目の前のパソコンのなかに入っているデータもエントロピーを持ちます。
この分野は「情報エントロピー」とも呼ばれ「情報量」を計算式として定義できるようにした分野です。
「熱力学的エントロピー」と「情報エントロピー」を同じ概念として捉える考え方と全く異なる概念として捉える考え方とに分かれるのですが、そこで使われる「エントロピー」と言う言葉自体はその”乱雑さ”と言う意味でほぼ同義です。
それぞれの違いを事細かに述べるのは冗長になりすぎるのでやめておきますが、「情報エントロピー」についてちょっとだけ例を挙げておきます。
■音楽は情報エントロピーが低い
例えば「情報エントロピー」において、ピアノやギターの演奏などはエントロピーが低い状態として示され、適当にジャカジャカ鳴らした時には音楽的にエントロピーが大きい状態とされます。
楽譜を見るとわかりやすいですね。音楽性を持った楽譜は音符がその曲が持つ規則に則って並んでいますが、適当に音を鳴らしただけのジャカジャカを楽譜に起こすとメチャメチャな音符配列になります。
どちらが乱雑でどちらが整っているかはたとえ楽譜が読めなくても明らかでしょう。
ただ、エントロピーの低い整った楽譜を放って置いたらいつの間にかオタマジャクシが逃げていた!なんてことはなく楽譜はそのままです。
音楽性においてエントロピーが増大してしまうのは人の記憶や技術の方。楽器は練習しなければどんどん下手になりますし、楽譜もどんどん忘れてしまいます。
■物理的な記録媒体は劣化する
一方、紙の楽譜の方はと言うと、こちらは物理的に劣化することでエントロピーは増大しています。紙が日に焼けて黄ばんできたり、破れたりすることはエントロピーの増大です。
デジタルデータとして保管していたとしてもその記録媒体は金属やシリコンでできている物理的な物体ですので当然劣化します。
ですので、デジタルな情報としては閉じた系であってもそれが保管されている記録媒体は周囲の環境との相互作用をする”物”ですので情報が入っているからといって紙やHDDが丈夫になるわけではありません。
このように「エントロピー」と言う言葉が使われる文脈を正確に捉えておかないと、「楽譜のオタマジャクシは逃げないじゃん!」と言ったような的外れな議論を始めてしまいかねません。
今回テーマとしているトランプの並びでは、その並び方は「情報エントロピー」についてを指し、人間による作為的な並び替え時に消費されるエネルギーの関係は「熱力学的エントロピー」です。
トランプの並び方や楽譜の譜面は物質の物理的な並び方ではなく、それを整った状態として評価することで得られるエントロピーなので「情報エントロピー」の側に行きます。
音楽なら心地よいメロディや音楽理論と言った物が整った状態として評価されています。
■脳の記憶は物理現象かデジタルデータか問題
人の記憶や技能のその本質は脳ニューロンの結合や信号の強弱という物理的な現象です。しかしながらここで難しいのが記憶の仕組みなどをはじめとした脳が持つ情報は完全な物理現象として解明されていないという問題が残っています。
そのため、人の記憶そのものを「情報エントロピー」として扱うのか「熱力学的エネルギー」として扱うのかが微妙になってくるため、それらが同じ概念なのか別の概念なのかという議論の余地がある一例となってきます。
ただ、繰り返しの言及ではありますが、それぞれの「エントロピー」と言う言葉は”乱雑さ”と言う意味で同義です。
「トランプは勝手に混ざらないじゃん!」とならないように気をつけておきましょう。
数字を使わずエントロピー量を計測する「アルゴリズム的ランダム性」
「乱雑さ」をもっと別の言い方で言うならば「無秩序性」や「ランダム性」と言い換えることもできそうです。
バラバラにシャップルされたトランプの並びには規則性がなく「無秩序」ですし、無作為と言う意味で「ランダム」です。
さて、バラバラになったトランプの「ランダム性」を計ることはできるでしょうか?
専門的な数式を使えば科学的に正確な数字は出せるでしょうが、門外漢にとってそれは非常に難しいことです。
■アルゴリズム的ランダム性
そこで、難しい数式や理論などを使わずに「ランダム性」を示すことのできる「アルゴリズム的ランダム性」と言う方法を用いて、トランプの並びがどの程度のエントロピー量を持っているかを測ってみましょう。
「アルゴリズム的ランダム性」とは端的に言えばコンピューターに命令する際のアルゴリズム(命令文)の長さをエントロピーの大きさの尺度としようとするものです。
とは言え相手が言葉の通じないコンピューターである必要はありません。こちらの意思を伝え、それを実行さえしてくれればそれが人間であっても機械であっても構いません。(機械相手に意思を伝える方法を「アルゴリズム」と言う)
そこで伝えられる命令文(アルゴリズム)の長さが長いほどランダム性が高い(エントロピーが大きい)と評価し、短くシンプルであるほどランダム性が低い(エントロピーが小さい)と評価します。
■トランプを並び替えよ
さてではトランプの例に戻ります。
二組のトランプをそれぞれAさんとBさんに持ってもらい、Aさんが持っているトランプの並び順と同じにしてもらうようにBさんにお願いする状況を想定してみましょう。
Aさんの持つトランプの中身が買ってきたばかりの新品状態であれば並び順を指定するのは非常にシンプルな命令文になります。
新品のトランプの並び順を指定する
それぞれのマークごとに昇順に数字を並べ、それぞれの束をスペード・ハート・クラブ・ダイヤの順に並べてください。
これだけの命令文でBさんは難なく新品のトランプと同じ並びに並び替えることができるでしょう。
対して、シャッフルされたトランプの場合、Bさんに再現してもらうには以下のような命令文を用意しなければなりません
シャッフルされた並び順を指定する
まず1枚目は「クラブの3」、2枚目は「ハートのQ」、3枚目は「ダイヤの「7」、4枚目は「スペードの2」、5枚目は……
…………
……49枚目は「クラブの4」、50枚目は「ハートのA」、51枚目は「ダイヤの2」、52枚目は「スペードの5」
このように1枚目から52枚目までをひとつひとつ指定せねばなりません。
どちらの命令文がシンプルかは一目瞭然ですね。新品状態の並びの方が明らかに命令文がシンプルです。これは規則性がその並びに規則性があり、その規則を伝達するだけでそのように行えるためです。
対してシャッフルされたトランプでは規則性がなく、ひとつひとつ懇切丁寧に指定してやる必要があります。
ということで、「アルゴリズム的ランダム性」を指標とした場合には新品状態の並びはエントロピーが小さく、シャッフルされた状態はエントロピーが大きいという評価を得ることができました。
■トランプの枚数が少ない場合
ランダム性というのはその対象となる物自体の情報量も関係してきます。
例えばトランプが2枚だけの場合、「ハートの1」と「スペードの2」をどちらを先に並べたとしても命令文の長さは変わりません。
そのため「アルゴリズム的ランダム性」の尺度では等価です。
「ハートの1」が1枚目、残りが2枚目
とするか
「スペードの2」が1枚目、残りが2枚目
もっと単純に数字だけやマークだけの指定でも同様のシンプルさで命令文を作れます。
ではトランプが3枚だった場合、「ハートの1」と「スペードの2」に「クラブの3」を加えてみましょう。
この場合には、
数字を昇順に並べよ
もしくは
数字を降順に並べよ
という2パターンのシンプルな並びが想定されますが、どちらのエントロピーが大きく、どちらが小さいかは言えません。これらの「ランダム性」は比べることに意味がありません。
しかし、「ハートの1」→「クラブの3」→「スペードの2」とした場合にはそれぞれを1枚ずつ指定しなければならないのはもうお分かりいただけるかと思います。
その意味で、昇順(降順)と比較してエントロピーが増大している状態と言えます。
3枚のトランプの数字を無視してマークの並び順のみを指定するのであれば
・「ハート」「スペード」「クラブ」
・「ハート」「クラブ」「スペード」
・「クラブ」「ハート」「スペード」
・「クラブ」「スペード」「ハート」
・「スペード」「ハート」「クラブ」
・「スペード」「クラブ」「ハート
と言った6パターンがありますが、これらを命令文に変えてもその”命令文の長さ”に差はないため「アルゴリズム的ランダム性」の指標としてはエントロピー量を比べることに意味を持ちません。
これらトランプの並びは先述の通り「情報エントロピー」についての指標となりますが、「エントロピー」が持つ意味については感覚的にでも理解しやすいのではないでしょうか。
生態系と熱力学的エントロピー
トランプの並び順という「情報エントロピー」の話だけではやはりエントロピーの本質である熱力学的な意味を理解できませんので、最後に熱力学的エントロピーについて生物の生態系を例にお話ししてみたいと思います。
冒頭にも述べました通り、エントロピーという概念を正確に理解するには難解な数式を用いることになるのですが、ここでもやはり数式を使わない形で”感覚的”な理解を目指します。
■ゼンマイ仕掛けのバネを巻く
まずはエントロピーの低いものはたくさんのエネルギーを持っているということを理解してみましょう。
ゼンマイ仕掛けのバネはゼンマイを巻くことでエントロピーが低くなり、バネが弾ける(エントロピーが増大する)力を利用して動力としています。
端的に言えばこれが低エントロピーの物がエントロピーを増大させるときにエネルギーを放出するという最もわかりやすい例かと思います。
エントロピーは必ず増大するはずですが、バネを巻くということはエントロピーの減少を意味していますね。一見「熱力学第二法則」に反する現象に見えます。
しかし、これはバネを巻くときに加えられる力が摩擦などによる熱エネルギーとして外の系へと同時に放出されているため(バネを巻く人を含めた)全体としてエントロピーが増大しているので「熱力学第二法則」に反しない物理現象となります。
生物の体を作るというのはこのバネを巻く行為に近い現象です。
■生物の体は細胞が規則的に並んだ状態
私たちの体を構成する細胞の数は一般に約60兆個と言われます。
これらのたくさんの細胞はそれぞれの役割に応じて規則性と関連性を持って並んでいます。それが意味するところは生物体はエントロピーの低い状態であるということです。
またそれらの細胞はより小さな単位である分子、それよりも小さな単位である原子、もっと言えば量子にまで小さくなって行きますが、生物体を構成するためにそれらが寄り集まって並んでいるのが生物の体です。
エントロピー増大則(熱力学第二法則)に則れば、エントロピーの低い状態である生物の体はバラバラになるはずですが”生きている生物”の体がバラバラにならないのは外からエネルギーを自ら得ることで”バネ”を巻き続けている状態に他なりません。
その外からのエネルギーとは、動物であれば食事であり、植物であれば光合成です。
■太陽を根元とした生態系のエントロピーの増大
動物の行う消化とエネルギーの摂取は巻かれたバネ(底エントロピー)を解く作業(エントロピー増大)からエネルギーを得る過程に置き換えることができます。
植物は太陽からのエネルギーを用いて土壌中でバラバラになっている有機物のエントロピーを減少させて成長しています。太陽からのエネルギーが植物の体のバネを巻くのですね。
その植物を食べる草食動物は植物が持つエントロピーを消化によって増大させそこで得られるエネルギーで体を作り(エントロピー減少)、同じように肉食動物は草食動物の体が持つエントロピーから得られるエネルギーで体を作ります。
生物の細胞の数を「アルゴリズム的ランダム性」の指標で情報量を測れば、植物(野菜)よりも動物の肉の方が情報量が多く、それはより多くの情報量が規則的に並んでいるということなので植物(野菜)に比べて肉の方が強く大きなバネが巻かれていると言い換えることもできます。
そのため、草食動物である牛は1日に50~60kgという量の青草を食べなくてはならず、肉食動物であるライオンは1日に4〜5kgの肉で済むのです。
また、地球の生態系の根元となる太陽は自重などによる核融合で水素原子がヘリウム原子へとエントロピーを減少させる過程で膨大な量の熱エネルギーを放出しています。これをバネを巻くときに発生する摩擦による熱エネルギーだと言い換えるのもありです。(現象としての本質は異なります)
いかがでしたでしょうか。
エントロピーとは何かというのが感覚的にわかるよう数式などは一切使わず解説してみました。
厳密な話をしようとすればそれこそ数式を用いた解説やそれぞれの用語の定義などをもっとしっかりしなければなりません。そのため非常に難解になります。
しかし今回の解説は誤謬を恐れず感覚的な理解をしようという試みなので、もし専門分野の方が読んでいらっしゃったら「それは違う!」と突っ込みたくなる部分も多いかと思います。申し訳ない。
ただこういった感覚的な理解が専門的な分野への入り口になると私は考えているので、もしこの記事を読んで興味を持たれた方は専門書や専門のwebサイトへ行くきっかけにしてみてください。