
光は粒子なのか波なのか。今日では多くの人が聞いたことのある「量子力学」という分野で光は「粒子」と「波」の両方の性質を持つことがわかっています。
これがよく聞く「粒子と波動の二重性」というやつです。
そのため「光は粒子なのか波なのか」という疑問に対して量子力学では「量子である」という答えが返ってきます。
しかし量子力学による「粒子と波動の二重性」は私たちの目に見えないとっても小さなミクロの世界の話で、私たちが普段目に見えるレベルでの話ではありません。
では、目に見えている”光”は粒子なのか波なのか。結論から言えば私たちは「波」としての光を見ています。
そのことを実験的に再現した「ヤングの干渉実験」という話をご紹介します。
目次
・対立する「光の粒子説」と「光の波動説」
・ニュートンが説明できなかった光の「回折」と「干渉」とは何か
・ヤングの干渉実験
・光の粒子性「光子(フォトン)」の発見
対立する「光の粒子説」と「光の波動説」

そもそもなぜ「粒子」か「波」かという議論が生まれたのか。
光に関する研究や考察は紀元前の古代ギリシャ時代から行われていましたが、やはり近代的な科学的実験方法が確立されていない時代にはその本質まで辿り着くことはできませんでした。
近代的な科学的手法と論法を用いて「光の性質」について考察され始めるのは17世紀以降となります。
かの有名な科学者ニュートンは性能の良い望遠鏡を開発するために「光」についての研究を始めます。
そしてこの時の研究で出した結論が「光の粒子説」でした。
光は空気中で常に真っ直ぐに進み、鏡にぶつかると跳ね返ってくる。太陽光をプリズムに通すと虹色に光が分解される(スペクトル)などのことから「光」は「粒子」であるとしました。
しかし、ニュートンによる「光の粒子説」は光のスペクトルや反射についてはよく説明していたものの、光の「回折」や「干渉」についてはうまく説明できず不完全なものでした。
これに対して、同時期にホイヘンスという物理学者が「光の波動説」を提唱します。
ホイヘンスによる「光の波動説」は読んで字の如く「光は波である」としたもので、波の性質の説明によって光の「回折」や「干渉」を説明でき、直進性や反射についても矛盾しませんでした。
ただ「光の波動説」は理論的には矛盾していないものの、「波ってなんやねん!」という感覚的な疑問に答えられず、権威あるニュートンの「光の粒子説」を根底から覆すような支持を得られませんでした。
理論的には現象を矛盾なく捉えられている「光の波動説」と、当時から権威あるニュートンが提唱した「光の粒子説」。
この二つの説はほぼ同時期に出され、これらの説のうちどちらが正しいのかと言う論争に終止符が打たれるのはそれから150年も後のことになります。
ニュートンが説明できなかった光の「回折」と「干渉」とは何か
■波の回折
波が障害物に当たると、その障害物に沿うように波の形状を変化させます。
そのため波は直接当たっていない側にも波を発生させます。

これが光の場合には障害物の背後がぼんやりと明るく見えると言う現象が起こります。

懐中電灯などの前に光を通さない板を立てると「懐中電灯の光」は遮られますが、板の周囲がぼんやりと明るくなります。
光が直接当たっていない場所が明るくなるのです。
ニュートンが言ったようにもし光が粒子であるなら、光は直進するはずなので光の粒子が回り込むように板の裏面を照らすことはしないはずです。
しかし実際にはその現象は起きています。
これが光が回り込むように折れると言う意味で「回折」と言います。
この「回折」をうまく説明できたのが「光の波動説」の側です。
■波の干渉

次に波の干渉を見てみましょう。
2つの波を発生させてぶつけてみます。
この時、2つの波がぶつかり合って波を大きくしたり打ち消しあったりすることを波の干渉と言います。
上の図の中で示した「赤い点」の場所では波と波がぶつかってより大きな波へになっています。
もうひとつ例を挙げてみましょう。
ピント張った紐に両端から同じ強さの波を作ってぶつけてみます。このとき話を単純化にするためにそれぞれの波の振れ幅は減衰しないものとします。
上下に振れた凹凸の波が力の加わった方向に向かって進んでいくと真ん中でぶつかります。

ぶつかった波は凸同士なら凸方向に大きくなり、凹同士なら凹方向に大きくなり、凹と凸がぶつかったときにはそれぞれが打ち消し合います。

ぶつかった後は何事もなかったかのように通り過ぎて行きます。

これが横から見た時の波の干渉です。
そして、こうした「波の干渉」が光でも見られることがわかっていました。
後に詳しく説明しますが光も同様に波の性質を持つのでこの「波の干渉」が起こります。光の場合には波が高くなる(振れ幅が大きくなる)と強い光になり、波が低くなる(振れ幅が小さくなる)と暗い光として見えます。
ヤングの干渉実験

波の性質について理解したところで、いよいよ「ヤングの実験」を見てみましょう。
ニュートンとホイヘンスによる光の性質についての2つの説が出てからおよそ150年後の18世紀初頭、イギリスの物理学者トーマス・ヤングがこの論争に終止符を打つ実験を考案します。
「光の干渉性をもっと具体的に見ることができればいいんでしょ。」
とヤングが言ったかどうかは置いといて(笑)
懐中電灯の光が回折していることだけでは何か別の物体に反射している可能性や、障害物が原子レベルで粒子の進行方向に影響を与えているだけかもしれないと言う可能性を否定できません。
もっと直接的に波の現象を見ることができないのか……
以下の実験装置が「ヤングの干渉実験」で用いられる実験器具の図解です。

強い光を生み出す光源(ここでは懐中電灯にしています)の目前に1本の細いスリットの入った板を立てます。
さらにその先に2本の細いスリットの入った板を立て、その向こう側に光を捉えるためのスクリーンを立てます。
もし光が粒子であるなら1枚目のスリットを通過すれば1本の光の線が、2枚目の2本のスリットの板を通過したときには2本の線がスクリーンに浮かび上がるはずです。
では実験の結果を図として見てみましょう。

結果としては、スクリーンには縞々の光の模様が浮かび上がります。
もうこうなると光が粒子だと言うのには無理があります。
仮に光が粒子であったとした場合、縞々の模様ができる理由を説明できませんし、そもそも直進するはずの粒が届くはずのないスクリーンの真ん中にまで光が届いています。
これは光が水の波のように干渉しあいながら進んでいると言うことを示す実験結果です。
光を波として見た図を描いてみます。

波がぶつかると高め合いや打ち消し合いが起こり、波の振幅の大きい光は強い光となります。
そのことを思い出せば、スクリーンに光の縞模様が浮かび上がることを矛盾なく説明できます。
この実験は再現性が高く(誰でも同様の実験と結果を得られる)、いくらニュートンに権威があったとしても疑いようのない実験結果として突きつけられます。
こうして「ヤングの干渉実験」によって「光の波動説」の方が現実の物理現象をうまく説明できると言うことになり、「光の波動説」が広く支持されることになりました。
光の粒子性「光子(フォトン)」の発見

おっとっと。話はまだ終わりません。光は「粒子としての性質」も持つのでした。
がしかし、この光の粒子性を説明するにはまだまだ長くなってしまうので詳しくは別の機会にするとして、非常に簡単に触れるに留めておきます。
めっちゃくちゃ簡単に言いますね。
もし光が波としての性質しか持たなかったら、その波がボールにぶつかってもボールが振動するか波として通りすぎるだけですが、原子レベルで光を何かにぶつけるとボールが別のボールにぶつかって弾き出されるように電子が飛び出してくるのです。
これは、原子に対して周波数の高い電磁波(光)を当てると、原子内の電子が飛び出してくる「光電効果」と言う現象です。
電子もまた光と同じ電磁波と言う「波」ですので、波としての性質しか持たないのであれば電子と光は互いに干渉しあってもぶつかって弾き合うようなことはしないはずです。
しかし「光電効果」では光が電子を弾き出すと言う「粒子的な振る舞い」を見ることができます。
そしてこの「光電効果」によって、1つの電子から放出される1つの波動エネルギー(電磁波)のことを光子(フォトン)と言います。
この発見により、ニュートンが提唱したような「物質的な粒子」ではありませんが「粒子のような振る舞いをする」と言うことにおいて「粒子性」を持つと言えるようになったのです。
科学理論やそれを再現する科学技術が発展するにつれ、20世紀には非常に微弱な光である「光子(フォトン)」を発生させる装置と、その弱い弱い光を検出できる鋭敏な装置が開発されました。
これによって後に「二重スリット実験」という「ヤングの干渉実験」の発展系が行われ、2つのスリットを用いても光の粒子性が再現されることが判明しました。
「ヤングの干渉実験」よりも「二重スリット実験」の方が一般的には有名かもしれませんね。
ということで、「二重スリット実験」についてはまた別の記事に書くとしまして今回は目で見える世界では「光」は「波」なんだよ、というお話でした。
参考web
「光」 は 「電磁波」 の一種~「電磁波の性質と人間生活との関わり」~
量子化学/光の波動性と粒子性
光って、波なの?粒子なの?
光は波?-ヤングの干渉実験-
ニュートンもわからなかった光の正体
光の性質について論争・実験をしてきた人々