第8回【動物はミームをもつか#2】

この記事は第7回【動物にミームはあるのか#1】の続きになります。

精神的活動を無視して動物の学習を見る

 前回、第7回【動物にミームはあるのか#1】ではミームの伝播繁殖に生物の自由意志はあまり関係がないのではないかと言うことから始め、動物の学習方法である「オペラント条件付け」「レスポンデント条件付け」そして「社会的学習」についてまとめました。これらの学習方法の紹介の前になぜ自由意志や精神的活動を無視したかと言うと、特に「オペラント条件付け」には生理的欲求が多分に影響を与えるであろうことからその自発的な行動(オペラント行動)が欲求に基づいて行われているのか精神的活動によって行われているのかが区別しにくいためです。例えば、スキナー箱に入れられたネズミは生理的欲求である食欲に基づいてレバーの操作を学習するのか、単にレバーを押したら餌が出てくるのを“楽しんでいる”だけなのかがわからないからです。学習によって何度もその行動を繰り返すネズミは、もしかしたら食欲に関係なく「あと何度レバーを押すまで餌が出続けるのか」を実験しているのかもしれません。このようなネズミの精神の内部を今の私たちでは確かめようがありません。そのため一先ずは精神的活動を無視することにしたわけです。

 しかしただ単に無視したのでは「じゃぁヒトはどうなんだ。確かに精神的活動をしているではないか」となってしまうのでリベット氏の「マインド・タイム」を引用してヒトですら精神的活動なしに行動を起こしていることを紹介しました。ヒトも精神的活動なしに行動することができるのであれば、精神的活動を直接的に観測できなくともミームを「動物のミーム」にまで拡張してお話しできるであろうと言うことです。人の精神的活動も主体による主観では観測できているように思えますが、隣人の精神的活動は実のところわかりません。これを「哲学的ゾンビ」と言うのですがこれはまた別の機会にしましょう。

 そんなこんなで、精神的活動を無視して客観的な観察に基づいた動物の学習行動を紹介しました。個体による学習は「オペラント条件付け」と「レスポンデント条件づけ」によってある程度説明でき、そしてそれが集団全体に広がる仕組みを「社会的学習」として紹介しました。その例をあげていくとシジュウカラやニホンザルのように個体が起こした新しい行動を集団が学習してグループ内に共有される行動の伝播が見えます。この時、伝播されている行動はミームによるものなのか否かが今回の論点です。ボナー氏はこれをミーム的な伝播であると言い、ブラックモア氏は刺激による再生産であり模倣を通じたミーム伝播ではないとしました。そこでまず、ブラックモア氏の言う「模倣」とはどのようなことを指すのか考察してみます。

スーザン・ブラックモアの“摸倣”

 ブラックモアは彼女の著書「ミーム・マシーンとしての私」の中で「『摸倣』という言葉を広い意味で使う [Blackmore, 2000]」と言いました。その著書から模倣についての記述を引用してみましょう。

たとえば、友達があなたにある話をし、あなたがその骨子を覚えていて、他の誰かに伝えたとすると、それは摸倣と認められる。あなたはその友達のあらゆる仕草や言葉を厳密に摸倣したわけではないが、その友人から何か(話の骨子)があなたにコピーされ、次にほかの誰かにコピーされたのである。[ミ-ム・マシ-ンとしての私 上 /草思社/ス-ザン・ブラックモア]

そしてこの直後に

これが『摸倣』という用語を理解しなければならない『広い意味』なのだ。[ミ-ム・マシ-ンとしての私 上 /草思社/ス-ザン・ブラックモア

と続きます。そして摸倣の技能について以下の三つの技能が必要であるとしています。

・何を摸倣するかについての決定
・一つの視点から別の視点への複雑な変形
・および適合した体の動きの創出。

これらの引用文からブラックモア氏の言う友人から友人への会話ではコピーされていて、シジュウカラの刺激強調ではコピーされていないものとは何なのでしょうか。端的に言えば「複数の情報」のやり取りではないかと思われます。シジュウカラやニホンザルの例では、確かに行動が複製されて集団内に広がっていくように見えるのですが、それはやはり刺激に対する反応でしかないとも言えるでしょう。一方、友人同士の会話では「話の骨子」といった抽象化された情報がやりとりされています。友人との会話では話の一言一句を間違えなく伝えることを目的にしているのではなく、話の大筋や話し方など含めた個別の情報を様々なレベルで受け取っています。人によっては話の大筋が面白かったのでまた別の人に話すであろうし、別の人にとっては友人の話し方が素晴らしいと感じて、自分の話し方に影響を与えるかもしれません。友人の話を三つの技能を利用して“摸倣”するのは、かなり高度なことであるのがわかるかと思います。

 他の個体から複数の情報を受け取り、その情報を様々な視点で複雑に活用する力のことが「摸倣」で、そこでやり取りされる情報がブラックモアの言う「ミーム」なのです。「友人の話」というひとつの出来事から複数の情報を受け取り、様々な方法で活用することが出来る仕組みを持つのは、いまのところヒトという種がどの生物よりも秀でているのは確かでしょう。シジュウカラの瓶開けは、片足を上げて瓶の蓋を開けた方が美味しいミルクを飲むことができるだとか、じゃあ私も片足を上げてみようだとか「瓶の蓋を開けてミルクを飲む」ことに関係のない情報は伝播しません。あくまでも他の個体の食事方法を刺激として受け取り、刺激強調としてそれを再生産しているのだとブラックモア氏は言っているわけです。

 では、ヒトにより近いニホンザルの場合はどうでしょうか。

動物文化にみる累積的変化

 刺激強調による行動のコピーはブラックモア氏のいうような模倣とは別物のように見えてきました。そこで次はブラックモア氏の3つの技法を基にした模倣を抜きにして、累積的な文化的変化という点で動物の側を観察してみましょう。動物の刺激強調には(ブラックモア氏的な)模倣が伴わないのだから累積的な変化は起こらないと断言してしまうのは早計かもしれません。

「社会的学習」の一つとしてイモを洗うニホンザルについても紹介しましたが、彼らは芋を洗うだけにとどまりませんでした。土の中に混ざった麦を土ごと水中に投げ込んで、浮いて来た麦を水面から掬うことで選り分けるという新たな方法を生み出しそれもまたコロニー内に広がっていきました [Bonner, 1982]。単に土のついたイモを洗って綺麗にして食べるだけではなく、土の中の麦を選り分けるために土ごと麦を水へ放り込むという方法に発展させたのです。これを動物の持つ文化の累積的変化と言ってしまうことこそ早計なのかもしれませんが、単なる再生産以上のことを行なっていることは確かではないでしょうか。確かに人間の摸倣能力はブラックモア氏的な模倣の視点で言えば他の種の動物に比べて柔軟性があり累積的変化も大きいので進化的な発展が見えやすいです。それに比べて動物のもつ学習方法では累積的変化が非常に稀ではあっても、ニホンザルのようにそれが起こる可能性がある以上、全体を排除するわけにはいかなくなります。

模倣3要素のまとめ

ブラックモア氏の模倣の3つの技術を再引用します。

「何を摸倣するかについての決定、一つの視点から別の視点への複雑な変形、および適合した体の動きの創出 [Blackmore, 2000]」

「何を摸倣するかについての決定」とは様々な情報からどの情報を活用するかを選択することであり、「一つの視点から別の視点への複雑な変形」とは一つの事柄から得た情報を他の事柄へ転用する技術であり、「適合した体の動きの創出」とはそれを実行するための新たな行動を生み出すことを指します。これらの3つの要素をニホンザルのイモ洗いから麦選別への変化に当てはめてみましょう。

「何を摸倣するかについての決定」では「イモを水で洗う」ことから「食べ物を水で洗う」ことに抽象化され、麦を洗ってみようと「一つの視点から別の視点への複雑な変形」がなされます、そしてイモを水につけてゴシゴシ洗う行動から土ごと麦を放り込むという「適合した体の動きの創出」を起こしています。多少強引かもしれませんが、私はこのように解釈しておりブラックモア氏の模倣3要素を用いても動物による模倣を全否定することはできなのではないかという立場です。

ニッチ構築

動物による累積的変化のひとつに「ニッチ構築 [F.John Odling‐Smee, 2007]」というものもあります。しかしこれは質的変化を伴わないため、残念ながら文化的な累積的変化ではありません。

生物が生態的環境の中で作り出す固有の環境のことをニッチと言い、固有の生物による環境への働きかけが世代継承によって形成されることをニッチ構築と言います。特定の環境下で暮らす生物はそのニッチ環境を代々継承することで生態的環境の累積的な変化を起こしていくのです。ビーバーのダム構築はニッチ構築の例として挙げられるもののひとつで、ビーバーが作り出すダムは世代継承とともに累積的に拡張されていきます。ただしこれは、“文化的な累積的発展”ではなくあくまでも環境に対する累積的な変形です。例えばより強固な素材を作ろうとか新たな建材を探し出そうといったような質の発展は行われません。あくまでも遺伝的な習性によってダム建築が拡大されていくだけなので、世代継承によってより広範囲のダムが建築されることはあっても鉄筋コンクリート製の高層マンションが立ち並ぶ無機質で近代的な大都市を形成することはありません。ビーバーのダムはずっと昔から今も基本的には泥と枯れ枝でできておりこれから先もずっとそうでしょう。

しかし、ヒトによる「ニッチ構築」は動物のそれとは少し異なります。生態的環境の世代継承のみならず知的情報も継承することができるため、その2つの要素の継承によってヒト特有とされている文化は累積的変化を起こすのです。ニッチ構築を例にしてみれば、ここで言う知的情報の継承がミームの伝播であり、ブラックモア氏的な模倣3要素とは別次元の情報継承(情報伝播)によるものと言う考えも新たに出てきます。

今回はスーザン・ブラックモア氏が言う「模倣」の定義を整理して、実はその狭義の模倣ですらヒト特有のものでなく動物にも共通のものなのではないかと言う考察でした。次回は、これまでにも度々出てきたボナー氏の見解を紹介しながら考察していきたいと思います。彼は動物のミームに前向きな論者で、様々な動物の学習行動を通じて動物のミームを考察するほか、動物の教育行動にも触れようかと思います。ではまた次回。

次回→第9回【動物はミームをもつか#3】

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