第14回【内側のミームとシェマ】

  前回の「第13回【ミームはどこに在るのか】」で、ミームの所在について「内側論」と「外側論」に分けられるのではないかと言う考察をしました。私自身はミームの実体を見つけることはほぼ不可能だと思っているのですが、それでもミームの在処の設定をどこに置いているかはミーム論を深く語ろうとする上では重要であると考えています。そこで、前回に引き続き今回から数回に分けて「内側論」と「外側論」をそれぞれ肯定的な視点で考察してみます。「内側論」ではミームがどのように内側で(脳内で)処理されているのかを、「外側論」では主体の外側にあるミームをどのようにして取り込むのかを考察することで、外側と内側のミームを統合したミームの所在論にたどり着けるのではないかと考えています。

ミームの所在は内側論

 前回の記事ではブラックモア氏とブロディ氏のミーム論を内側論だと考察しました。具体的にはミームは主体の脳の中にあると設定されており、ブロディ氏の言葉を借りれば「一つの考え」や「記憶に残る個別の単位」として格納されています。脳の中に記憶や考えがミームであると仮に定義づけるならば、主体の外側、つまり環境の中にある雑多な情報はミームを形作る素材ではあってもミームそのものではありません。主体の内側に収められているミームは言葉や行動、習慣などの「ミーム表現型」となって外側へ表現されますが、これらのミーム表現型はあくまでもミームとミームの間にある媒介物なのです。

 ミーム表現型として外側へ表現された内側のミームは媒介物(ミーム表現型)を通して誰かの脳に取り込まれることで誰かの脳内でミームとして再構築されます。さもなければミームを伝播するためにはテレパシーのような形で「一つの考え」が直接脳に伝達されなければなりません。

ミラーニューロン



テレパシーと言うとオカルト味が格段に上がりますが、実のところ脳のテレパシーのような振る舞いは「ミラーニューロン」という形で実際に行われているとされています。このミラーニューロン説は簡単に言うと他者の行動を観察するだけで観察者の脳内も神経細胞がまるで鏡写しのように働いているというものです。このミラーニューロンの働きによって小説や映画を見たときに共感や感動を覚えることができ、またより上手に他者を“模倣”できるとも言われます。

テレパシーと聞いて我々が一般に想像するような主体の感覚や考えを直接的に伝えることはできなくとも、ミラーニューロンを通じてミームが部分的にでも鏡写のように脳の神経反応をコピーできるのであれば、これを内側のミームの伝播だとすることもできるのでしょうか。「流行りの服を着て今人気のカフェに行くのが楽しい」などといった複雑なミームがミラーニューロンによって伝播するのでしょうか。この疑問についてはまた回を改めてやろうかと思っていますのでこれ以上の深追いはやめておきますね。

今回の記事では、あくまでも主体(個人)がどのような形でミームを脳内に格納しているのかを焦点にします。

概念の抽象化

 ミーム伝播に欠かせない能力である「摸倣」ですが、誰かの行いを自分に置き換えて考えることのできるという主観と客観の視点の移動が必要です。ブラックモア氏的にいえば「一つの視点から別の視点への複雑な変形」です。ここでの視点の変形は主観と客観の置き換えですが、ある事柄を別の事柄へと置き換えるようなより複雑な視点の変形はミームの発展にとって重要な能力となります。

摸倣が始まった最初の頃は、摸倣による行動と環境との関係が密接で「石を使って固い木の実を割る」という行動を模倣すれば「木の実の中の柔らかい部分が食べられる」と言う結果に直結します。このような思考の段階は器用な振る舞いではあれ初歩的と言えるでしょう。しかし、木の実を割るために石を使うと言うことだけではそれ以上の発展は見込めません。「石を使って固い木の実を割る」という経験から「固いものは、より固いもので割れる」といったロジカルな思考に置き換えて他の様々な行動への足掛かりとする視点の切り替えが必要です。これを私は「概念の抽象化」と呼んでいます。

概念の抽象化をもっと具体的に、お金を例にしてみましょう。必要なものを物々交換して回っていた経済が穀物や胡椒のような主要な食材や高価な食材を中心として交換されるようになり、後には珍しく美しい貝殻のような“役に立たないもの”へ代替され、時代が進み国王の権威のもとで金貨や銀貨の価値が保証される時代を経て現代ではデータ上の数字だけでもお金として取り扱うまでになっています。物々交換であった頃から時代が進むにつれて物自体の価値が無くなって行きますが、どの時代でも同じお金として機能していることがわかるでしょう。さらに言えば、現代で「円」と言うお金を使って生活している私たちは「円がお金である」ことが正しいと同時に「お金は円である」ということが正しくないことを知っています。「ドル」や「元」といった存在も同じお金という概念の中で取り扱い、グローバルな経済においてそのお金を使っている経済圏の存在との相互関係を認めているからこそひとまとめに「お金」として扱うことができるわけです。

外側論としてはこれらの概念もミームであるとしていますが、何れにしてもこのように抽象化された概念を内部に取り入れることで脳内でミームとして醸成されます。お金の「円」の概念を抽象化できなければ「ドル」や「元」を同じお金として同じように使うことは難しいでしょう。

オマキザルのお金と売春

蛇足ではありますが、私のようにミームを人以外の動物に認めている以上は、動物にもこのような概念の抽象化が起こり得ると考えなければなりません。実際に2005年に報告されたイェール大学での実験で、オマキザルに貨幣の概念を学習させることに成功しています。この実験ではオマキザルに貨幣代わりのトークンを渡しブドウやゼリーなどの嗜好品を与えるのですが、トークン何枚でブドウと交換できるのかを理解し、一枚のトークンでゼリーが2つもらえるような「価値の下落」を示すとゼリーとの交換を好むようになることも分かりました。さらにはトークンを巡って盗みが起きたり、餌を手渡す研究者とのギャンブルを好むようになったり、果てはオマキザル同士の売春まで観察されたようです。オマキザルのこれらの貨幣経済の概念がヒトのそれと全く同じものであるとは言いませんが、やはり萌芽的な貨幣の概念を理解していると言えるのではないでしょうか。

※ネットで見られるようなソースが見つかりませんでしたので、詳しく知りたい方は「オマキザル お金」などの単語でネット検索してみてください。


発生的認識論とシェマ



ヒトはどのようにして外界を認識し、世界を見ているのでしょうか。それがわかればミームが主体の中でどのように醸成されるのかがわかるかもしれません。ジャン・ピアジェ氏の「発生的認識論」はこの疑問に心理学的な答えを与えました。

 ジャン・ピアジェ氏は子どもの成長を観察することで、人がどのような手順を踏んで世界を認識しているのかを説明しました。「発生的認識論」ではヒトが外的環境の在り方を認知するための認知的枠組みを「シェマ」と呼びました。何も知らない子どもがどのようにして様々な概念を獲得していくかをシェマの「同化」「調整」「均衡」「操作」の順で形成されていくと言い、それらの相互作用によるシェマが強化されていく認知体系を提唱しました。それとともにヒトの子どもの認知的成長を「感覚運動期」「前操作期」「具体的操作期」「形式的操作期」の4段階に分けて「時間」「空間」「因果性」といった認識の形成を醸成していくものだとしました。

シェマの「同化」

まずは基本となるシェマの「同化」「調整」「均衡」「操作」について紹介します。ヒトは外界を認識する(内的に世界を構築していく)ために外的環境から獲得してきた情報を処理して「認知的枠組み」を構築していきます。これが「シェマ」です。人は外界を認識するために様々な変数(情報)をシェマに取り込みながら概念を形成していくことになります。

 幼少期のシェマは非常に単純な情報から成り立っています。初めてリンゴを見た子どもはリンゴに対して「丸くて赤い果物」という枠組みだけを持っているでしょう。この状態は「丸く赤い果物はリンゴである」という概念をシェマの中に“同化”している状態にあります。しかしこのままでは、リンゴよりも小さなイチゴやチェリーなどもリンゴとして認識してしまいます。幼い子供によく見るようなどの果物を見ても「リンゴ!」と答えてしまうような認知の不一致が起こります。場合によっては「指さし行動」と「リンゴ」という単語が結びついてしまい、何を指差しても「リンゴ!」と答えることもあります。

シェマの「調節」

しかし、未熟な同化状態にある「リンゴ」の概念は様々な食べ物を見て触れて食べ、そして教えられることでそれらの食べ物の形状や味や名称などを次々に獲得していきシェマが書き換えられていきます。このように既存のシェマに新たな情報を同化していくことを「調節」と言います。この調整がうまくいけば「リンゴ」「イチゴ」「チェリー」と言ったそれぞれ個別の果物の形状と名称をより正確に同化することができ、同時に「指さし=リンゴ」と言ったような間違った認識を改めることができます。シェマは同化と調節を経て、外的環境と主体の内部との相互作用によって構築されていき外界を観察しながら、新しいシェマを獲得していくのです。

シェマの「均衡」

同化と調節の相互作用を繰り返しながらシェマ(認知的枠組み)を作り出すことで、シェマは「均衡」を構築していきます。シェマの均衡が構築されることで様々な品種のリンゴを「リンゴ」の概念の内に収めることができるだけでなく、抽象化したシンボルやキャラクターといった高度なシェマも獲得していくことができるようになります。絵に描いたリンゴを「これはリンゴだよ」と言われても大きな認知の不一致を起こさず、絵に描いたリンゴをリンゴとしてシェマに同化してもリンゴの現物のイメージを見失うことはありません。つまりひとつの情報に対して認知の枠組みが大きく振り回されることが少なります。

シェマの「操作」

シェマの「同化」「調整」の繰り返しによる「均衡」で世界を認識し、その過程で外的環境に対する行為が内在化され、具体的に実物を動かしたりする動作を行なうこと無く頭の内で行為をイメージし結果を想像することができるようになります。これが「操作」です。すでに同化されているシェマの情報を頭の中だけで分解し再構築することができれば、論理的な思考へと発展させることができます。ヒトの子どもの認知的成長過程とした「感覚運動期」「前操作期」「具体的操作期」「形式的操作期」の4段階は、この「操作」を4段階に分けたものだと言えます。

「感覚運動期」

まずは生まれて間もない「感覚運動期」です。この「感覚運動期」は0歳〜2歳までの24ヶ月間に起き、この間の認知的発達はさらに6段階に分けられます。第1段階は生後0ヶ月〜1ヶ月の時期で、この時期は生得的な反射によって外界からの刺激に反応します。第2段階は生後1ヶ月〜3ヶ月に起きる自分の体への反応が中心となる時期で、自分の手を見つめたり咥えたりします。第3段階は生後3ヶ月〜8ヶ月、ここからは子どもは物を使うようになり、物を掴んだり投げたりするようになります。第4段階は生後8ヶ月〜12ヶ月、この時期に自分の目的と行為が紐付けされていきます。第5段階は12ヶ月〜18ヶ月、目的達成のために行為(手段)を変化させて試行錯誤するようになります。第6段階は18ヶ月〜24ヶ月、第5段階の試行錯誤がさらに複雑化していきます。

感覚運動期の成長段階をまとめると
・第1段階(生後0ヶ月〜1ヶ月):生得的な反射
・第2段階(生後1ヶ月〜3ヶ月):自分の体への反応が中心
・第3段階(生後3ヶ月〜8ヶ月):子どもが物を使うようになる
・第4段階(生後8ヶ月〜12ヶ月):自分の目的と行為が紐付けされていく
・第5段階(生後12ヶ月〜18ヶ月):目的達成のために試行錯誤する
・第6段階(生後18ヶ月〜24ヶ月):試行錯誤が複雑化する

 この「感覚運動期」に起こる発達に見るように、シェマを変化させるためにヒトが受け取る情報のうち最も初期のものは、ヒトとヒトとのコミュニケーションに頼るものではなく主体を取り巻く環境と主体の生得的な反射から始まる試行錯誤の相互作用です。この時点ではまだシェマの操作はほとんど行われません。同化と調整を始めたばかりでそれに手一杯です。この段階では「同化」「調整」「均衡」を繰り返すことでそのシェマの適用範囲を広げ、体の発達とともに徐々に「操作」を行なう基礎を身につけていきます。

また、ピアジェ氏は生後0ヶ月〜1ヶ月の行動を「生得的な反射」としていることから「新生児模倣」を模倣行動ではなく生得的な反射であるとしていることが伺えます。

「前操作期」

「感覚運動期」の次の段階が2〜7歳の時期の「前操作期」です。この時点でもまだ“前”とつくので完全な「操作」ではないにせよその発端をみることができます。前操作期はさらに「前概念的思考段階」と「直感的思考段階」に分けられます。「前概念的思考段階」ではある液体を形の違うコップに移した時に液体が同じものだと認識できません。具体的には、幅が広く背の低いコップAに入ったジュースを幅が狭く高さのあるコップBに移し替えたとき、容れられた液体をそれぞれ個別に認識してしまい、同じものだとは認識できない状態です。「直感的思考段階」になってようやく同じ液体が別のコップへ移動したと認識することができるようになりますが、その認識は視覚的な情報に左右されてしまい、コップの幅が狭く高さが増したコップBに容れられたジュースを見て「量が増えた」と認識してしまいます。しかし、“直感的”というだけあって、極端に幅が狭く背の高いコップCに対しては「幅が狭いから量が減った」と認識するようになります。このように直感的な知覚情報を調整しながら目の前にある事象を説明しようと試みるという点で、論理的な思考が芽生え始めた時期と言えます。

 そして、この時期にもっとも重要なのは「象徴化」を行なえるようになることです。具体的には「ごっこ遊び」ができるようになります。「おままごと」のように目の前にない食べ物を食べる仕草ができたり、積み木などを犬や車などに置き換えて遊ぶことができるようになります。これは「操作」にとって非常に重要で、頭の内で現象や実体を概念的な思考として発現可能な段階に達し「概念の抽象化」を行なっていると言えます。

「具体的操作期」

 次の「具体的操作期」は7歳〜11歳の時期です。この時期では数の保存や系列化などを具体的な事象を想像しながら簡単な数学的思考が行なえるようになります。この時期は物理的対象に対する操作を取り消して元の状態へ戻すことができるようになる「思考の可逆性」が芽生えます。さらに、並べてある5つのボールを間隔を空けて置き直した時に改めて数えることなく同じく5つのボールであると認識できるようになる「保存」の概念が形成されます。しかし、あくまでも具体的な事象を観察したり、リンゴやミカンなどの物体を想像したりしなければ思考は困難なものになるのが特徴です。

「形式的操作期」

 「形式的操作期」でようやくシェマの「操作」を行なう基盤が形成されます。この時期では、「具体的操作期」から発展し、具体的な現実の事象を扱うこと無く論理的な思考が可能になります。この段階になるとより数学的思考を行なうようになり「a>b」「b>c」であるならば「a>c」であるといった命題理論を行なえるようになのが特徴です。「a>b」を思考するときにわざわざ「aのリンゴはbのミカンより大きいからcのイチゴよりも小さいのだ」といったような具体的な物体を想像すること無く命題を抽象化したまま関連付けて結果を導くことができるようになります。さらに、複数の要素を組み合わせて別の目的の要素に組み替えるとき、ランダムに試行錯誤するのではなく、a+b,a+c,a+d,b+c,b+d…と系統化して調べることができるようになります。また、事象が変化する時にその変化を的確に予測することができるなど、これまでより高度な認識で内的世界を構築するようになっています。抽象化して論理的な思考を行なうようになることで、変化を伴う未来予測はその後の経験によって更に正確さを増して行くことになります。

内側のミームとシェマの関係

 ジャン・ピアジェの「発生的認識論」を少し急ぎ足で説明しましたが、要点をまとめると、生まれて直後から外的環境に対して生得的反射を通して外界との関係性を徐々に獲得していきシェマの構築が始まります。主体が自分自身を動かすことで外的環境との相互関係を認識し、その相互関係から物体の動きや事象を抽象化し、最後には抽象化した世界を内的に構築することができるという認識の発達過程が見えます。

 ヒトがどのように外界を見ているのか、そして外界からの刺激をどのように受け止めて内化させていくのかは、「ミームの所在は内側論」としては重要な論点です。ミームを獲得するということが外的環境から入ってくる刺激情報を取り込む行為であるならば、主体のシェマに情報が同化されることが内的なミームの構築だと言えるのではないでしょうか。そして均衡したシェマの中からどのミームを、どのタイミングで、どのように表出させ、それによってどのような結果がもたらされるかを形式的操作によって想像することなくしては的外れなミーム表現型となってしまうでしょう。シェマはミームの入れ物のような役割であると同時に、同化と調節によって様々なミームを絡ませ合い、考え方や思想の均衡と操作によって習慣や振る舞いが出力されると当てはめると相性が良いように思います。

次回は「ミームの所在は外側論」を「アフォーダンス理論」を用いて考察します。

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