第18回【全体子ミーム論:前編】

 今回の記事は、これまでのような既存の理論の紹介ではなく、これまでに紹介した各理論の概念を使って「私の考えているミーム論」を説明するものです。これからお話しする内容は誰が認めてくれているものでもありませんし、その正否を問うものでもありませんが「ミーム論」の視点の一つとして楽しんでいただければと思います。

 「全体子ミーム論:前編」として当記事の最後では私の考えているミームの単位的な本質についてお話しして次回に続く予定です。

第18回【全体子ミーム論:前編】目次
脳とニューラルネットワークは別物
ニューラルネットワークのシェマ的な学習
シェマのホロン性
ニューラルネットワークはシェマを操作するか
主体がミームを取り込むとき
主体がミームを表現するとき
主体の持つシェマのネットワーク

脳とニューラルネットワークは別物

 ニューラルネットワークの各モデルは脳の構造を模して作られているものの、ニューラルネットワークが脳の構造を完全に再現できているとは言えません。ディープラーニングで行われている脳的な処理は大脳新皮質の部分であると言われ、仮に脳が多層パーセプトロンと同じ構造で動いていたとしてもごく一部の再現にしか至っていないことがわかります。脳は海馬や小脳、扁桃体などなど様々な機能を持った部位で構成されており、昨今ではこれらの脳機能を機械的に再現して組み合わせることで脳に近づけて行こうとする「全脳アーキテクチャ」という研究が行われている真最中だったりします。

 いずれにしてもニューラルネットワークと脳全体から見れば別物なのでそれらの構造を同じものであるとして考えてしまうのは危険なのですが、私がこれからのお話しするのは認知機能の1つである「シェマ」の認識プロセスがニューラルネットワークの学習方法に類似するという考えです。

ニューラルネットワークのディープラーニングが人の認知や判断に関わる大脳新皮質を再現しているモデルであるという点からもそれらが同じようなプロセスで学習しているだろうという憶測を立て、それによって脳よりも比較的ブラックボックスの少ない話としてミーム伝播の仕組みを単純化させて理解しようと考えています。


ニューラルネットワークのシェマ的な学習

 さて、脳とニューラルネットワークは別物であるということを念頭においた上で、ニューラルネットワークの学習方法とシェマによる人の学習の類似点を見て見たいと思います。

 機械と人に「丸く赤い果実」をそれぞれ複数見せて学習させるときのことを考えてきましょう。

 ニューラルネットワークによるディープラーニングでは複数の果物それぞれに見られる特徴量を検出することでそれぞれが別種であるか同種であるかなどを自動で分類します。分類されたそれぞれに「それはリンゴだよ」「それはトマトだよ」と教えるのは人間の仕事ではありますが、特徴の検出と分類の仕方は機械自身が自分で学習しているのがディープラーニングのすごいところです。

 人の場合にも同じように複数の「丸く赤い果実」を見せたとき、最初は分類することが難しいかも知れませんが学習を重ねることで「リンゴ」と「トマト」を正確に分類することが出来るようになります。このとき機械にも人間にも共通して行われていると思われるのはシェマによる学習方法である「同化」「調整」「均衡」のプロセスです。

 人においても機械においても学習初期の段階ではまず入力から得られる情報を網羅的に受け取り情報の全てをとりあえず「同化」することから始まります。ですからもちろんこの学習初期段階では明確な分類はできません。その状態で出力された回答に対して「それはりんごではない」「それはトマトではない」ことを学習させ、次の段階である「調整」を行なっていきます。

 このとき機械では誤差逆伝播方(パックプロパゲーション:Backpropagation)を用いて行いますが、人の脳ではどのような順序や方法論で行なっているかは分かっていません。しかし、調整の方法としては出力に対しての正否を対外的に示されるという点で同様のものと言えます。

 人の調整の方法論が正確に捉えられないにしてもシェマの「調整」を何度も繰り返すうちにどの品種のリンゴを見てもそれを「リンゴだ」と判断することが出来るようになりシェマの「均衡」を作り出します。ニューラルネットワークを持つ機械では誤差逆伝播方によってノードのつながりである重みの調整が行われ、トマトを見せても「リンゴ」に反応するノードが活性化しにくい状態になり、逆に「リンゴ」を見せるとそのノードが活性化しやすい状態に落ち着いていきます。この状態がニューラルネットワークの「均衡」のプロセスで、「機械がリンゴの特徴量を捉えた」と言える状態であり、その状態になるとどの品種のリンゴを見ても「リンゴ」であるとある程度分類できるようになります。

 ここまでの学習段階で「青リンゴ」を見せると「これはリンゴだ」と答えられる確率は一旦下がりますが、これもまた同様の同化と調整により「青いリンゴもあるのだ」という学習が行われ判断の決め手となりうるような「赤い」という情報の価値は減衰します。さらに、「梨」や「赤梨」を見せるとどうなるでしょうか。おそらくまた全てを「リンゴ」として出力されますが、それに対しても正否を与えてやれば人にしても機械にしても自動的に学習可能です。

 もし青リンゴと梨を見た目だけで判断できる自信がないという方がいらっしゃれば、それぞれに画像検索をしてざっと見比べて見てください。そうすれば即座に言語化は難しいにしても“なんとなく”リンゴと梨の違いは見えてきます。しばらくすると具体的に「表面の艶」や「形状」などの“特徴”が異なることがわかってきます。このようにそれぞれの事物の違いを認識していくことが機械学習においての特徴量の検出であり、人の学習における同化と調整です。それが繰り返されることで新しい情報に対しても大きな調整をあまり必要としない「均衡」の状態へと近づけていくことができます。


シェマのホロン性

 前回の記事でお話ししたように、ノードはホロン的性質を持っています。ホロン的性質と全体に対する部分がその部分における情報の全体を網羅的に持っているということです。

 入力層のノードは入力に対する情報の全体を持っていますし、出力層にほど近いノード層ではそのニューラルネットワークが分類可能な情報をそれぞれに持ち、人の顔の特徴が送られてきたときに活性化するノードや、猫の顔の特徴が送られてきたときに活性化するノードなど、それぞれの分類の概念的な情報を持っています。

 ノードが持つ概念的な情報がホロン的性質にとって重要な部分で、新しい猫を見ても逐一新しい構造として細分化させなくても「これは猫だ」と判断できる総合的な基準を持っているということにホロン的性質(全体性)を持つ意味があります。猫の顔性を持つノードは猫の顔情報について「均衡」した状態であると言い換えることもできます。

 前述のように人と機械の学習方法はシェマの認識プロセスと比較すると類似するものと考えています。このとき、機械にとっての「シェマ」はニューラルネットワークの節である「ノード」です。であれば、人の持つ「シェマ」とは認識プロセスにおける「ノード」的役割を担うのではないかと考えます。

 例えば、「リンゴ」のシェマは微妙に形や味が異なるそれぞれの品種のリンゴを複数学習することでリンゴ性を学習し、リンゴの概念を均衡させることができます。そしてリンゴのシェマは、上位の階層に果物のシェマという階層があり、果物のシェマは野菜などを含んだ食べられる植物のシェマの一部であり、それらは食べられない植物も含めた植物シェマの一部です。

 これは「リンゴ」の生物における分類学的な階層構造ですが、このような分類方法を学ぶことで各階層の概念である「果物のシェマ」「植物のシェマ」などを獲得し、様々な動植物に適応可能なシェマを次々と形成することができます。これができなくては新しい野菜を見るたびに「これは動物か植物か」というレベルで調べては分類するということを繰り返さなくてはなりません。

 以上がシェマとニューラルネットワークのインプット、つまり学習のプロセスです。次に出力について考えてみます。


ニューラルネットワークはシェマを操作するか

 リンゴは品種によってより美味しく食べるための調理法や育て方が異なりそれぞれに全体性と部分性を持っています。リンゴの概念を獲得するには全ての品種を覚える必要はないし、調理方法を知っていることとリンゴの育て方を知っていることとは無関係です。

 それらは個別のシェマではありながらシェマがノードのパーセプトロンようにつながることでネットワークを形成し、どこ産の何という品種のりんごはあの調理法が適しているという出力を産むことができるようになります。このように各シェマを組み合わせて出力する過程がシェマの「操作」であると考えています。

 リンゴは生物の分類学上は下位の層に品種を持ち、複数の品種を観察することでリンゴの概念を獲得しましたが、主体がリンゴの品種を自分で分類するときには「リンゴの品種」は認識において上位の層になります。

 認識の上で分類されたリンゴはそれぞれの品種ごとに美味しく食べるための調理法が異なるかもしれません。その品種の調理法は「食べ物の調理法のシェマ」へ伝達されることでどの調理法が最適であるかを判断し、どのように盛り付けるかというシェマへ伝達されます。

 このシェマの伝達過程は必ずこのようになっているとは限りません。リンゴの品種を分類することができなくても調理はできるため品種のシェマは無視することができますし、この例の場合にはリンゴを起点としたプロセスでしたが、例えば「このお皿を使いたい」という主体の意思や欲求を起点にすると(最終的に同じものが出来上がったとしても)シェマの繋がりの順番が入れ替わったり、ときにはそれぞれの選択プロセスが同時進行したりすることもあります。

 このようなネットワークの可塑性を階層型ニューラルネットワークは持っていません。階層を入れ替えたり飛ばしたりすることはなく常に一定のベクトルを保っています。この点においてシェマのネットワーク構造とニューラルネットワークは明らかな違いがあり、このネットワークの可塑性を「操作」と表現できるのであれば現段階での単機のニューラルネットワークにはシェマの操作は難しいものと考えられます。

 ただし、個々のニューラルネットワークを一つのホロンとして並列に繋げた大きなネットワークを作れば様々な出力が可能になり、どの出力を選択するかによって可塑性のあるネットワークを構築することができるのかもしれません。この辺りは人工知能について不勉強な部分なので良い例が出せませんが、最初に紹介した「全脳アーキテクチャ」などはそれに近いものだと思います。


主体がミームを取り込むとき

 さて、これまでは「リンゴ」というものについて中心に考えてきましたが、ミームの伝播をこのようなシェマの入出力プロセスへ当てはめたときに問題はあるでしょうか。

 主体がリンゴのシェマを構築するときに入力されるものの基本は「視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚」のいわゆる五感による入力です。五感を使ってリンゴを認識するときに用いられる情報は以前アフォーダンス理論の時に紹介したジョン・ロック氏の認識論で言うところの一次性質です。五感を経由して入力される情報は客観的な性質であって、主体の主観は基本的に関係ありません。

 「味」や「音」は二次性質として扱われることもありますが、あるリンゴを「甘い」と感じるか「酸っぱい」と感じるかの主観は二次性質であっても、その味を構成する物理的な性質は客観的なものです。

 ミームを主体に入力するときにももちろんこれらの五感を使うことになります。そのため、リンゴのシェマを獲得することとミームを取り入れることには差が無いものと考えられます。その入力されるテーマが物理的なものか非物理的なものかにかかわらず「同化」「調整」「均衡」そして「操作」のプロセスは同じように働くものと考えます。

 では物理的なリンゴの概念を理解することとミームをシェマに取り込むこととで全く同じものをシェマに取り入れているのかと言うと、その性質が違いのではないかと思っています。そこで大きく違うのはミームの場合にシェマに内化されるものは二次性質を持つものであるかもしれないと言うところです。

 少し前に若い女性の間で「赤い口紅」が流行しました。それを認識するのは視覚による情報で「赤い口紅の流行」を認識していますし、パンケーキが流行したときもメディア露出による視覚情報や聴覚情報とパンケーキの味覚情報や嗅覚情報の総合的な入力により「パンケーキの流行」を認識しています。リンゴを認識するために入力される情報と比べて何も特別な入力はありませんし、入力情報が同じ刺激情報なのであれば「同化」「調整」「均衡」のプロセスにも変化は無いでしょう。

 しかし「赤い口紅」の流行に対して興味のない者にとっては「赤い口紅」自体はほとんど価値を持ちませんし、パンケーキの流行も同様です。それでもそれが流行していることは認識できますし、「だれかがそれを好きなのだろう」と言う共感を同化することはできます。この追体験による共感によって普段口紅を塗らない男性がガールフレンドに「赤い口紅」をプレゼントするようなこともあるでしょうし、甘いものが苦手な父親が娘を連れた家族旅行で有名なパンケーキ屋さんを散策コースに入れるかもしれません。

 流行の外側にあってもの流行を追体験するかのようにそれを認識できるのです。「何かが好きだ」と言った価値観や「だれかが好きだのだろう」と言った価値観は主体の主観的なものであり認識において二次性質となります。

 すでに一次形質として同化済みのリンゴを改めて見て、そこから得られる情報は「甘そう」だとか「酸っぱそう」と言う完全に主観的な二次性質も含まれますし、そのリンゴがおしゃれなカゴに入れられていれば「リンゴをこのように盛り付ければかっこよく見える」と言う間主観的な二次情報も得ることができます。


主体がミームを表現するとき

 そしてミームを出力するときのプロセスもまたシェマの「操作」によるものと解釈できます。ミームの出力とはつまり「ミーム表現型」です。リチャード・ブロディはミーム表現型を「ミームの物理的現れ」と言いましたが、それに倣えば実は先ほどのリンゴの調理の例で出力されたものは「ミーム表現型」であると言えます。ではそのように「編みカゴの中に盛られたリンゴ」を「ミーム表現型」と言うとき、どこにミームが介在しているのでしょうか。

 「ミーム表現型」と言うからには「ただリンゴを編みカゴに盛っただけ」のことにミームを登場させねばなりません。ここで重要となるのが「リンゴ」と「編みカゴ」を結びつけたモノやそれを選択させたモノです。

 先ほどの図を簡素化したものを用意しました。盛り付け皿を4種類持っている状態で、リンゴをそのまま盛り付けたいときそれぞれに盛り付けることができます。すると盛り付け方の出力も4種あり、どれを選択するかの決定をしなくてはなりません。その選択の時に物理的な制約ももちろんあります。リンゴが複数あるのであれば、リンゴが1個しか入らない茶碗には盛り付けません。

 しかし、そういった制約がなければ大きな平皿に一つのリンゴを盛り付けるのが「かっこいい」として平皿を選択する場合もありますし、どんぶりに果物を盛り付けるのを「おしゃれだ」としてどんぶりを選択することもあります。ここにミームの入り込む余地があります。平皿とリンゴを結びつけたような「かっこいい」と言った価値観は主体の経験によってシェマに同化された非物質的な情報であり二次性質の情報です。

 この二次性質の情報は人が何かを表現する時に一次性質の情報を結びつけて選択する要因となるもので、シェマをノードのように扱ったときには出力の「重み」の役割を担います。ここで二次性質のシェマに同化されている(もしくは同化される)情報がミームの正体であり単位なのではないかと私は考えています。

 つまり、一次性質を持つ事物に対して人々が「どう思っているのか」「何を考えているのか」と言う二次性質の部分がミームの本質ではないか、と言うのが私のミーム論におけるミームの最少単位です。


主体の持つシェマのネットワーク 

 とはいえ、パーセプトロンのようにノード対ノードが一対一の「重み」を持っているような構図ではなく、複数の一次性質と複数の二次性質のシェマが結びつくようなネットワークを構築しているようなモデルを考えています。用意した図は非常に簡略化したもので、実際の人の選択や判断はもっと複雑なシェマのネットワークの階層を持っていることでしょう。

 シェマによるネットワークの階層は入れ替えが可能な可塑性を持つと言いましたが、それをより柔軟にしているのが二次性質のシェマ層が担う「重み」の可塑性で場所や時間や同席している人々との関係性を鑑みて選択肢を増やしたり全く別のものと入れ替えたりすることができます。

二次性質のシェマを「かっこいい」「かわいい」「おしゃれ」などの単純な言葉で表現しましたが、リンゴの一次性質を特徴量として全て書き出すのが難しいように二次性質もまた煩雑な情報を含んだシェマであり、そのシェマはミームの坩堝なのです。

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