意識が”ない”ことを確認するのは難しい:麻酔手術中に目覚めてしまった男の手記

 当ブログではたびたび哲学的には「意識が”ある”」ことを証明できないと言う話をしています。

 例えば「哲学的ゾンビ」などがそうですね。たとえ自分には意識があると自覚していても他者にも同じようにその”意識がある”のかを確かめることはできないのです。

 しかし、今回はその逆。「意識がない」ことを確認することが難しいと言う話を医学的な視点から紹介します。

 自分にはハッキリとした意識があるのに、お医者さんからは「この方はもう意識がありませんね…」と言われてしまったら……。

 様々な思考を巡らすことはできるのに、目も耳も全く聞こえず体が動かないと言う状況が発ししたら……。

 今回はそんな恐怖体験のようなことが実際に自分の身にも起こりうるというお話を「意識はいつ生まれるのか (著:マルチェッロ・マッスィミーニ)」という著書から紹介します。

目次
全身麻酔中に意識が覚醒してしまった男の手記
3人に1人が全身麻酔中に覚醒している?−麻酔による記憶消失の副作用
医療現場の「意識」の確認方法
身体は動かずとも脳のなかで意識が反応する
「脳活動=意識」ではない
意識だけの世界に取り残されたら……


全身麻酔中に意識が覚醒してしまった男の手記

 手術などで全身麻酔を体験したことがあるでしょうか。私は”親知らず”の歯を抜く時に全身麻酔を受けました(笑)

 全身麻酔はお医者さんからはわかりやすく”深い睡眠”と説明されることがありますが、厳密には睡眠と全身麻酔の状態は異なります。

 その大きな違いが脳活動です。全身麻酔では脳の活動を大きく抑制反射などの身体の活動自体を抑えます

 脳の活動が抑制されるわけですから意識は消失し、いわゆる”深く眠った状態”と同じような状況となるためお医者さんからは”深い眠り”と説明されるわけです。

 だがしかし、その全身麻酔の手術中に極めて稀に意識が覚醒してしまうと言う事態が起こってしまうことがあります。

 これから紹介するのはまさに全身麻酔の手術中に意識が覚醒してしまった男の手記の抜粋です(結構長いので少々割愛します)。


 ……あの灰色で無音の深淵が、突然カラー映像になって、最初はボヤッとした緑色だったのが、だんだんはっきりとした景色が見えてきた。
同時に、遠くぼやけた音が聞こえてきて、それがだんだん近く、はっきりとしてきた。

いまどこにいるんだろう。

ああそうだ、手術を受けているのだった。(中略)

半分開いたまぶたから、小さな布が見える。

最初に覚えるのは、自分が置かれている状況と自分とが結びつかない、と言う感じと、驚きが混じった無関心だった。

だがすぐに、どうしても体を動かさなければ、という想いに襲われた。

人間離れした努力をして、体を動かそうとしてみる。
だが、動かない。

縛り付けられた感じがしたわけではなく、体を動かさなければならない、という想いが湧きおこっていたのだ。

自分の物としては、宙に浮く脳しか残っていない感じがした。

(中略)

ああ、いま私は意識がある状態で手術を受けているのだ、とはっきり意識した。

何の痛みも感じないが、いまいましいほどに意識がある
もうパニックだ。

(中略)

それは空虚なパニックだった。
苦しい幻覚のように、そこから抜け出せないような気がしていた。

どれくらい続いたかわからないが、私には永遠のように思われた
どうしようもない気持ちで、お願いだから早く終わって欲しい、と祈っていた。

(後略)

意識はいつ生まれるのか」より抜粋


 これは絵空事ではなく、専門的な学術誌にも載った手記で、何とこの体験をして手記を残した人物自身が麻酔科医であったという何もと皮肉めいたもの。

 彼はその後長くとも数分でさらなる麻酔の投与で再度意識を失うのですが、術後にこの記憶が残ってしまいました。

 全身麻酔中に意識が戻ってしまっても、全身の筋肉が麻痺しているため「意識が戻っちゃったんですけど!」と意思を伝えることもできず、しかも呼吸すら人工呼吸器による自動的で機械的なリズムの中で行われるという何とも気味の悪い状況に陥ります。

 病院嫌いの私からすると想像するだけでも恐ろしい体験です。


3人に1人が全身麻酔中に覚醒している?
−記憶消失の副作用−

 このように全身麻酔の手術中に意識を取り戻してしまうケースは何と1000人に1人の割合で起こるという報告もあり、

 麻酔薬に加えて強い鎮痛剤も投与されることからほとんどの場合”痛み”を感じることはないもののそれはゼロではないとのこと。

 こうした体験をした患者はその後長年にわたりPTSD(心的外傷後ストレス障害)をはじめとした心理的なトラウマに苦しむことがあり

 全身麻酔中の意識の覚醒についてさらなる研究や原因の解明が求められるところではあるものの、

 そもそも”全身麻酔の仕組み自体”が完全に解明されているわけではないということもあってなかなかに難しい様子。

 そんな中で、どのくらいの割合で全身麻酔中に意識が覚醒してしまうのかとりあえず確かめることとなります。

 その方法は、麻酔前に片腕をチューブで締めて血流を低下させ、片腕だけには麻酔がかからない状態にしてそれ以外の体を麻痺させるという方法。

 この方法では仮に意識が戻ってしまってもチューブによる締め付けによって麻酔薬の入っているはずの血流が低下している片腕だけは少しだけ動かすことができるようになります。

 その結果……

 何と全身麻酔中に「意識がありますか?」との問いかけに掌を握った患者の割合が3人に1人というエゲツない数になったのです。

 つまり、術後の報告として「手術中に意識があったか」という問いかけに対しては1000人に1人という割合であったのに対し、

 まさにその手術中に「意識がありますか?」と問いかけたところ3人に1人が何らかの反応を示したということ。

 なぜそのようなことが起こるのか。

 これは麻酔薬の多くの場合に「麻酔中の記憶を消失させる副作用」があるためで、すなわち結構多くの人が全身麻酔中に覚醒してしまうものの術後にはその記憶が残っていない可能性があることを示唆します。


医療現場の「意識」の確認方法

 さて、そんな恐怖体験を紹介したところで本題に入りましょう。

 全身麻酔中は”意識がなくなる”と考えていたお医者さんですが、実は”結構な割合で意識がある”可能性が示唆されたことによってその認識を改めなくてはいけなくなりそうです

 とはいえ、前述の「記憶を消失させる副作用」によってほとんどの場合には問題がない(ように見える)とされ、その後も基本的に全身麻酔の方法に特に変更はありません。

 ただ、全身麻酔という状況下において”意識の有無”はほとんどの場合に無視できるものの、それが病気や物理的な事故による意識の喪失であった場合は問題が山積みです。

 車の免許を取得する際などに「救命講習」を受けたことがある方なら知っている方も多いですが、事故や病気など何らかの原因で目の前で人が倒れた場合

 まず最初に「大丈夫ですか?」「どこが痛いですか?」「お名前は?」などと言った問いかけを行います。

 ここで何らかの返答や反応があった場合、119番通報時などにはその状態を伝え、とりあえずは「意識がある」として判断されます。

 病院へ搬送後も常に声かけが行われ患者の意識の確認とその意識が喪失してしまわないことに注意が払われます。

 また、この意識の有無の判断にはレベルが設けられており、視覚→聴覚→嗅覚→痛みと言った順で確認を行い、それぞれに対してどの程度反応があるかを確認されます。

 つまるところ、基本的には「外部からの刺激に対する返答や反応」が医療現場での”意識”の有無の判断であるわけです。

 この判断方法からすれば、全身麻酔を受けている患者がたとえ意識を覚醒させていたとしても呼びかけや痛みには反応できないため現場としては「意識はない」という判断になります。


身体は動かずとも脳のなかで意識が反応する

 全身麻酔中意識が覚醒している可能性があることが示唆されたことによって、これまでの医療現場における意識の確認方法だけでは患者に本当に意識がないのかを確認することがとても難しいこととなりました。

 と、ここで”意識の有無”について医療現場にとって重大な問題が発生します。

 植物状態の患者に意識はあるのか?

 いわゆる植物状態とは体温の調整や血圧・心拍の調整、呼吸などと言った生命維持に関わる身体機能は働いている(脳の視聴下部や脳幹の機能)にも関わらず、思考や行動と言った脳機能(大脳の機能)が失われた状態を言います。

 この状態に陥ると、呼吸をはじめとした生命維持は自秩的に行える一方で、先ほどのような視覚→聴覚→嗅覚→痛みなどの刺激に対して反応することができず、長らく意識のない状態で生きていると言う症状となります。

 この”長らく意識のない状態”と言う認識に対して”本当に意識がないのか?”と疑問符が打たれることとなります。

 そこで脳科学の登場です。

 ケンブリッジ大学の研究室が体を動かさなくてもその行動を想像するだけで脳の活動が活性化されることを発見しました。

 具体的には「自宅をうろうろする」ことを想像した時と「テニスをしている」ことを想像した時とでは脳の活動マップ(活動部位)が異なることを発見し、また、それぞれ実際に身体を動かす必要がないことも実証済みです。

 こうした実験の結果から、植物状態の患者にも同様の実験を行いました。

 その結果、ご想像の通り。

 植物状態であると判断された患者にヘッドホンを装着して脳活動の測定器へ通したところ、「自宅をうろうろする」ことを想像することを指示された場合と「テニスをする」ことを想像することを指示された場合で健常者と同様の反応があることがわかりました。

 つまり、この植物状態の患者音が聞こえている上にその指示に従って脳内でそれをイメージできるだけの”意識”があることがわかったのです。

 植物状態と言う症状の定義上、思考や行動と言った脳機能(大脳の機能)が失われた状態だと考えられていた患者の中に、実際には意識があり、そこに意思があることの可能性があることが証明された実験でした。

 この実験は数十人に対して行われ、そのうち5人に1人の割合で同様の脳の活動が観察されました。

 これまで植物状態であると診断された患者のうち20%もの人々が体も動かせず目も開けられず、音のみの世界意識があり他者に意思が伝えられない状況にあることがわかったのです。

 また同時に、この実験では「音(音声)」に対する反応の観察はできたものの、音すらも聞くことができず無音と暗闇、そして無痛と無感触の中で意識のみが取り残されている患者の存在も否定できない形となり、

 結果として「意識がない」ことを証明することが非常に困難であることを示唆する形となりました。


「脳活動=意識」ではない

 では五感が全て失われた状態であっても何らかの方法で刺激が与えられたとして、脳の活動での反応が見られればそこに”意識がある”と言えるのでしょうか。

 それがまた困難な話なのです。

 植物状態にある患者意識があるとして、何らかの思考を巡らせばそれ相応の脳活動が見られるはずなのですが、

 その脳の活動を客観的に観測した場合にそれが意識や意思によるものであると言う確証が得られないのです。

 これは健常者の睡眠にも同じことが言えます。

 健常者一番深い眠りであるとされるノンレム睡眠の状態の時、この時には睡眠中の”夢”すらも見ない意識の消失状態にあるのですが、この状態でも脳の活動の量覚醒状態(起きている時)と同等であることがわかっています。

 さらに昏睡状態植物状態の患者の脳活動はその症状の重さに相応して脳活動も低下するのですが、この患者たちが意識を取り戻した時脳活動の量は昏睡や植物状態であった時とほぼ変わりがないのです。

 また逆に、「てんかん」の症状は脳の活動が過剰に活発(逆に過度に抑制状態)になることで起こるとされ、意識を喪失した状態であるものの脳の活動量で言えば非常に活発であることが観察されます。

 つまり、脳の活動量が低下しているからと言ってどの程度低下していれば意識がないのだと言うことができず、かと言って活発であるから意識があると言う場合にもどの程度活発であるなら意識を失っていないのかもはっきりと線引きができないのです。


意識だけの世界に取り残されたら……

 冒頭にも紹介したように「哲学的ゾンビ」のように「他者に意識がある」ことを哲学的には証明できないことと同時に、医療現場や臨床において「他者に意識がない」こともまた証明が困難なのです。

 両者にとって共通するのは少なくとも”自分自身”にとって”自分の意識”の有無は判断できると言うこと。

 まぁ、”自分の意識”についても哲学的には問題を孕むのですがそれはそれとして……

 デカルトが言うように「我思う故に我あり」という自意識だけはどれだけ疑っても疑いようのないものです。

 しかし、何らかの原因で自分の五感や意思疎通の方法が全て失われてしまい、何も存在しない無音と暗闇に意識だけが取り残されてしまったら。

 あなたはそこで何を思い考えるでしょうか。

「これが死後の世界なのか?」

「今までの世界は夢で、空虚なこちらが現実なのか?」

 意識とは五感を通して世界を認識するための機能であると同時に、”自分自身”と言う個の存在を観測するためのシステムであるのかもしれません。

 手を動かそうとして手が動き、その動きを見つめ、コーヒーの香りを嗅ぎ、カップが机と擦れる音が聞こえ、その感触と温かみに触れ、口の中で広がる苦味に安らぎを、感じる。

 ……感じる。

 ”意識”とは何なのでしょう。

 謎は深まるばかりなのでした。

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