ときに考古学的に重要な発見がなされたとき「炭素年代測定の結果、約○万年前に作られたもの…」といった記事やニュースをよく見ます。歴史物や考古学が好きな方は比較的よく耳にする言葉かもしれません。
世界中で発見される化石や出土品などが、いつの時代に生まれ作られたのかをある程度知ることのできる「放射性炭素年代測定」という技術ですが、実はこの技術の発展に日本にある福井県の「水月湖」と言う湖が大きく貢献していたのです。
今回はそんな「放射性炭素年代測定」について少し触れつつ、福井県の「水月湖」がどのような貢献をしたのか紹介していきます。
目次 ・放射性炭素年代測定とは ・歴史のものさし「IntCal」 ・「IntCal」を劇的に変えた「水月湖」の年縞
放射性炭素年代測定とは
まずは「放射性炭素年代測定」について簡単にですが軽く触れておきましょう。その方が後の話がわかりやすいかも。
「放射性炭素年代測定」はその名の通り物質内にある放射性を持つ炭素の量を調べることでその物質が何年前のものであるかを調べる方法です。そして、この方法で調べられる物質は有機物に限られます。
ここから少し理科と化学のお話です。
この「放射性炭素年代測定」に用いられる炭素は「炭素14」と呼ばれるもので自然界に一般的に多く存在する「炭素12」と「炭素13」の同位体にあたります。
では同位体とはなんぞやという話。
学校の理科などで「スイ・へー・リー・ベー」なんて覚え方をさせられた元素の周期表を思い出してみましょう。
周期表を見ると炭素(C)の原子番号は「6」となっています。そしてこの原子番号はその元素に含まれている「陽子」の数です。
「陽子」に同数の「中性子」がくっつくことで原子核となりその周りを「電子」が回ると言うのが一般的に学校で教えられる原子のモデルですね。
と言うことは炭素の「陽子」の数は「6」ですから「中性子」の数も「6」であることが一番安定します。ここで「陽子の数が6」「中性子の数が6」これらの数を合わせて「炭素12」が安定した形になり、自然界に多く存在するわけです。
■元素の同位体
ただし、「陽子」に対する「中性子」の数は必ずしも同じであるとは限りません。余計に1個や2個くっついている場合があり、炭素の場合には「陽子が6」に対して「中性子が7」といったこともあります。これが「炭素13」です。
これら「炭素12」と「炭素13」は自然界における炭素の中で99.9%以上を占めています。最も安定的な「炭素12」は炭素全体の98%以上を占め、少し不安定は「炭素13」は1%ちょいくらいしかありません。
では件の「炭素14」の数はというと…なんとその数は1兆分の1程度。極めて少ないですね。
そんなごく少量のものが年代測定のあてになるのか…と疑わしいものですが、大事なのはここからです。
なぜそんなに数が少ないかといえば”不安定だから”ですね。基本的には「陽子」の数に対して「中性子」の数は同数に近ければ近いほど”安定”するわけですから中性子が2つも多い「炭素14」は非常に不安定なうえ自然界でもあまり作られることはありません。
このあまり作られないはずの「炭素14」の自然的な生成方法は、宇宙から降りそそぐ宇宙線の中にある中性子が「窒素」にぶつかることによって窒素が持つ陽子をひとつ弾き飛ばしてしまい、弾き飛ばされた陽子の代わりに宇宙線中性子がそこに入れ替わることで「炭素14」が作られます。
「窒素」の原子番号は「7」ですから陽子の数は「7」ですね。そこから「陽子」が一つ追い出され中性子となるため「陽子の数が6、中性子の数が8」と言う非常に不安定な「炭素」に変わってしまうのです。
■炭素14の放射性
不安定な元素は様々な方法で安定する形に変わろうとします。
自然界に極わずかしか存在せず、宇宙線中性子との衝突によってイレギュラーに作り出された「炭素14」もまた不安定な元素であり安定した形に変わろうとします。
具体的に「炭素14」の場合には、内部で過剰に持っている「中性子」のうちのひとつを「陽子」に変えることで元の安定した形である「窒素14」に戻ろうとします。
さぁこの作業が大変なわけです。そんなことをポンポンと簡単にできるものではありません。
「中性子」が「陽子」に変わるには「ベータ崩壊(ベータ壊変)」と言う現象が必要です。
この「ベータ崩壊」は「中性子」が電子(ベータ線)とニュートリノを放出することで「陽子」になる現象で、この時放出される「電子(ベータ線)」がいわゆる「放射線」と言うやつの一種です。
「炭素14」の中にあるひとつの中性子がベータ崩壊により陽子に変わったことで「窒素14」として安定した形に戻ります。
このことにおいて、炭素14は放射線を放出する物質であると言うことから「放射性炭素」と言われるわけですね。
そしてなんと、12個の「炭素14」のうち6個が「窒素14」に変化するにはなんと5730年もかかります!めっちゃ頑張るなぁ!
これがいわゆる「半減期」です。
少し話を整理しておきましょう。
・「炭素14」は「中性子」を過剰に持った不安定な炭素である。
・「炭素14」は「中性子」をひとつ「陽子」に変化(ベータ崩壊)させて安定した「窒素14」になる。
・ベータ崩壊時に放射線を放出することから「炭素14」は「放射性炭素」と呼ばれる。
・12個の「炭素14」のうち6個(全体の半数)が「ベータ崩壊」を起こすのに5730年かかる。(半減期)
といった具合ですね。この辺りをなんとなーく抑えておけば、この後の本題の面白みが増すかもしれません。
歴史のものさし「IntCal」
放射性炭素である「炭素14」の半減期が5730年であると推定されている。と言うことであれば勘の良い方はそれを用いて考古学的な遺物の年代を特定できるのでは?とお気づきかもしれません。
まさにその通りで、有機物内に含まれている「炭素14」がどのくらいの割合で崩壊(ベータ崩壊)しているかがわかれば半減期の年数を用いてその有機物の生きていた時代をある程度推定することができます。
ここで”有機物”と繰り返していることにも訳があります。
先述の通り、自然界には一定の割合(現在では1兆分の1)で存在する炭素14は生物が呼吸や食事によって体の中に取り込まれ、生物体内の炭素14の割合と空気中に含まれている炭素14の割合はほぼ同じとされています。
しかし、生物は死後に呼吸や食事が止まり炭素14を取り込むことをしなくなり年月の経過によって炭素14が崩壊していくだけになります。
そのため空気中の炭素14の割合に対して、有機物(生物体)の中に含まれている炭素14の割合は徐々に減少していくことになります。
そこで、その有機物(生物体)に含まれる炭素14と空気中の炭素14の割合がわかればその生物がどのくらい前に死んだか(すなわちどの時代に生きていたか)がわかると言うわけです。
とはいえ、自然界には一定の割合(現在では1兆分の1)で存在する炭素14ですが、時代や場所によってその割合にはばらつきがあります。そのため単純に現在の炭素14の割合と比べても誤差が生じてしまいます。
そこで使われる指標が「IntCal」です。
世界中の遺物や地質学的な研究から過去のどの年代の空気中にどの程度の割合で炭素14が含まれていたか、またどの程度の炭素14が崩壊しているかを総合的に観察し、「ものさし」のようなものを作る必要があります。つまりこのものさしが「IntCal」です。
「IntCal」が最初に提案されたのは1998年と割と最近のこと。それから世界中の地質学・考古学的な資料やデータが加わっていき、2004年、2009年、2013年、2020年と「IntCal」が更新されています。
このことからも分かるとおり「IntCal」自体が割と不完全な”ものさし”であり日々続く研究の中でその指標は現在進行形で変わっているものなのです。
しかしながら、不完全であるとはいえ大まかな年代測定には「IntCal」がとても役に立っています。
たまに「最新の研究でこの遺物はもっと昔のものだった…」などの記事が出てきますが、こういった事情もあるのかもしれません。
考古学的な発見とともに「炭素年代測定によると…」とよく耳にするように、一定の推定基準としては広く用いられている指標ですので”眉唾物”と言うわけでもありません。
「IntCal」を劇的に変えた「水月湖」の年縞
2013年改訂版「IntCal13」で「IntCal」の歴史の中で大きなターニングポイントとなった資料が追加されました。
その資料こそが「水月湖」の年縞から得られたデータです。
年縞とは湖や沼地などの底に堆積した土や泥の層のことで、一年おきにその堆積物が縞模様になって現れます。
この年縞が現れるには一定の条件が必要で、その条件を福井県の「水月湖」が満たしていたためにとても綺麗な年縞データを得ることができました。
その条件を「福井県里山里海湖研究所」のwebサイトから引用します。
①流れ込む大きな河川のない地形
水月湖には、直接流れ込む大きな河川がなく、三方湖で緩やかになった流れが静かに注がれるため、水の動きがほとんどありません。そのため、大雨による大量の水の流入がなく、湖面の水がかきまぜられず、堆積物が静かにたまっていくことができました。
②山々に囲まれた地形
周囲が山に取り囲まれていたため、風が遮られ、波が起こりにくいことにより、湖水がかき混ぜられることがありません。
③生物のいない湖底
水月湖は、水深が最大で34mと深く、湖水がかき混ぜられないため、湖底近くには酸素がありません。そのため、湖底に堆積物をかき乱す生物がいません。
④埋まらない湖
通常、湖は堆積物が積もり続ければ、水深が浅くなっていきます。しかし、水月湖は、周辺の断層の影響で、長い間少しづつ沈降し続けています。そのため、水深が深いまま湖底に堆積物が溜まり続けています。
福井県里山里海湖研究所(https://satoyama.pref.fukui.lg.jp/feature/varve)より
このような条件が整っていたため、水月湖の年縞は地質学上とても優れた研究データが取れると言うわけです。
そして先述の通り、放射性炭素年代測定には有機物しか使えません。年縞は泥や土で形成されるわけですからそれらは無機物なので炭素年代測定ができないのかと思いきや、その年縞の中には大量の落ち葉や花粉が遺されていたのです。
年縞は1年で1層と言う比較的わかりやすい指標があるため、その層で採れた葉などの有機物がおよそ何万年前に堆積したものかがわかります。
年縞による年代とその当時の炭素14の割合を非常に高い精度で調査可能となったため「IntCal」の2013年改訂版に「水月湖」由来の大量のデータが含まれることになり「IntCal13」の中核を担うものとなりました。
最新の2020年改訂版「IntCal20」では中国の「葫芦(フールー)洞窟」から得られた鍾乳石(石筍)のデータが加わったことにより「IntCal13」では5万年前まで推定可能であったものが5万5千年前にまで遡ることが可能となりました。
この最新版「IntCal20」で追加された「葫芦(フールー)洞窟」の鍾乳石(石筍)のデータが約250点であったのに対し、「水月湖」のデータは約500点が「IntCal20」に引き継がれています。
このことからも「水月湖」のデータがいかに大きく貢献しているかがわかりますね。
”歴史のものさし”とでも言いましょうか、こういった研究の中核を担う自然が日本にあると言うのはとても嬉しいことですね。
同時にこうした自然環境を守っていきたいという気持ちにも改めて気付かされます。
参考
・年縞博物館(福井県)
・福井県里山里海湖研究所
・原子の構造と周期律(環境省)
・炭素14年代測定の際に同位体比の標準物質としてベレムナイトの化石が使われるのはなぜでしょうか?(日本第四紀学会)
・「世界標準のものさし」を生んだ奇跡水月湖の地形と年縞博物館(未知の細道)