裏切り行為と言うのは日常生活においてあまり褒められた事ではないでしょう。
ただし、場合によっては「裏切り」が互いの利益になりうることがあります。
「裏切らない」ことが良い選択だと思えるのに結果的に「裏切る」ほうが最適解であるような事例「囚人のジレンマ」を紹介します。
この話で重要なのは「最適解」を求める場合に一見不利益に思える行動が、多少の不利益を甘んじて受け入れることで結果として最悪の状況を回避すると言う点にあります。
目次
・囚人のジレンマ
・何がジレンマとなるのか
・「裏切り」は「最適解」である
・「原爆問題」と「囚人のジレンマ」
囚人のジレンマ
さて、早速本題である「囚人のジレンマ」についてお話しします。
この「囚人のジレンマ」には二人の囚人が登場します。彼らは互いに協力することで利益を得ることができるのですが、「裏切り」を誘発するようなあるルールが提示されます。果たして彼らは協力し合うことができるでしょうか。
二人の囚人はある事件で逮捕された共犯者です。
しかし彼らの犯行を確定させようとするには証拠不十分であり、犯したであろう罪に見合った懲罰を与えにくい状態でありました。
彼らの犯行を確定させるには自白させるしか方法が残っていない。そこで、取り調べを行う検事はこの二人にある司法取引を持ちかけます。
【司法取引の内容】
・犯した罪に対して本来であれば5年の刑期が与えられる。
・このまま二人とも黙秘(協力)を続ければ証拠不十分として二人の刑期は2年となる。
・もし一人だけが自白(裏切り)すれば自白した側は即釈放となる。ただし、自白しなかった(黙秘)側は刑期が10年となる。
・そして、二人とも自白した場合には刑期は本来あるべき5年である。
この場合、二人の囚人は自白すべきか黙秘すべきか。と言う問題。
彼らには個別に取り調べが行われており、お互いに話し合ったり口裏を合わせたりすることはもちろんできません。
二人とも黙秘していれば刑期は2年です。しかし、もし自分だけが自白すれば自分だけは即釈放。そして共犯者には10年の刑期が言い渡されます。
さて、彼らは自分の目の前にぶら下がった「釈放」と言うニンジンを前に共犯者を裏切らずに協力することはできるのでしょうか。
何がジレンマとなるのか
司法取引を突きつけられた囚人が最も利益を得られるのは”自分だけが自白する”と言う場合です。つまり共犯者を「自分だけが裏切る」ことが最善解となります。
しかし、「自分だけが裏切る」と言うのが最善解であるのは共犯者にとっても同じこと。自分も共犯者も「裏切り」を選択し二人とも自白してしまったら刑期は5年に確定です。
自分にとって最悪なパターンは自分は黙秘しているのに共犯者が自白してしまうこと。そうなると共犯者は釈放、自分は刑期10年です。
二人は互いに「協力」して黙秘すれば2年の刑期ですが、釈放か10年の刑期と言う大きなメリットとデメリットの狭間で「裏切り」と言う選択肢を考えずにはいられないでしょう。
彼らのように「協力」か「裏切り」かと言う二者択一の状態で、それらを決めかねるような状況のことを「ジレンマ」と言います。
二者択一のうちどちらを選んでも不利益やリスクがあるので決めかねるのですね。
では、彼らが選択すべき最適解は「協力」と「裏切り」のどちらでしょうか。
「裏切り」は「最適解」である
結果から言うと彼らにとって「裏切り」が「最適解」となります。
二人の囚人が取り得る「協力」と「裏切り」のパターンを表にして見てみましょう。
囚人Aと囚人Bはお互いに話し合うことはできないので相手がどちらを選択するのかはわかりません。
「裏切り」による「釈放」への小さな期待と「本来の刑期5年」を受け入れる覚悟。
「黙秘」による「5年から2年へ減刑」と言う比較的小さなメリットと「刑期10年」と言う大きなリスク。
感情論を抜きにして、あなたが囚人の立場ならどちらを選びますか?
まぁ現実は共犯相手の性格であるとか犯行前の事前の取り決めなどがあればそれなりに相手の行動を予測することはできるかもしれませんが、この「囚人のジレンマ」と言う問題においてそれらは無視します。
あくまでも司法取引の状況だけを想定して、彼らが取り得る最適解を見つけます。
さて、先述の通り囚人Aの側からは囚人Bがどちらを選択するかはわかりません。
そこで、囚人Aは囚人Bが「自白」と「黙秘」をそれぞれ選んだ場合に自分がとるべき選択を考えます。
【囚人Bが「自白(裏切り)」していた場合】
囚人Aは自分が「黙秘すれば刑期10年」か「自白すれば刑期5年」になるので囚人Aも「自白」する方が良い選択です。(囚人Aの裏切り)
【囚人Bが「黙秘(協力)」していた場合】
囚人Aにとって自分が「黙秘すれば刑期2年」か「自白すれば釈放」となるのでこの場合にも「自白」することが良い選択です。(囚人Aの裏切り)
このように自分自身の刑期の短縮を目的とするならば「自白」は囚人Aにとって最適解となり、それは逆の立場である囚人Bにとっても同じことです。
この司法取引は「釈放」と言う甘い罠がぶら下がっていますが、結果として両者は「自白」することにしかメリットが無いのです。
このことにおいて、「釈放」と言う最善解に辿り着けなくとも、刑期が加重されず減刑の可能性すらある「自白」は囚人たちにとってやはり最適解です。
本来であれば5年の刑期を避けたいがために司法取引に応じるわけですが、それに応じたが故に本来の5年の刑期を刑期10年に対するリスク回避として受け入れざるを得ない状況が生まれました。
もしも司法取引が行われなければ囚人たちはそのまま黙りを決め込んで刑期2年で済んだかもしれないのに、「釈放」と言う甘い罠は彼らを「自白」へと追いやりました。
「原爆問題」と「囚人のジレンマ」
「囚人のジレンマ」は思考実験として存在しているだけでなく、現実世界の現実問題として実際に起こっている出来事です。
その最たる物が「原子爆弾の保有」に関することです。
原子爆弾はその爆発の威力と範囲から非人道的な兵器の代表格としてよく取り沙汰されます。兵器に人道も非人道も無いわいとも思いますが、その議論は別の機会に置いておくとして、とにかく原子爆弾を少しでも減らそうと言う国際的な取り組みは長年行われてきました。
しかし、原爆が使用された第二次世界大戦の終戦から80年も経とうとしている現在も世界から原爆は消えません。
それどころか所有国が増えたり原爆必要論まで根強く残っています。
しかしながら原子爆弾を新たに持ちたいだとか、原爆が必要であると言う彼らの中にも「原爆は無い方が良いよね」と言う論調は根底にあります。
必要がない物、廃絶されるべき物が何故なくならないのか。
原子爆弾を持つと言うことは国際社会において大きな影響力を持つため、国にとってはメリットです。同時に、原子爆弾の保有は廃絶運動の観点から避難を浴びると言う点でデメリットでもあります。
そこに「囚人のジレンマ」が生まれます。
囚人たちを国に置き換えてみましょう。
A国とB国ではそれぞれ原子爆弾を同じ数だけ保有しているとします。そして原爆の保有数の数が同じであることから両国の力関係は均衡状態にあるとします。
A国とB国は互いに原子爆弾の廃絶を謳っており、そして今すぐにでも原爆を破棄することができる状況です。
この時、お互いに協力して原爆を両国とも破棄できれば「原爆廃絶」において全ての問題は解決されますが、どちらかが裏切れば国力の均衡は即座に崩れます。
国力に差ができれば政治経済面において有利になれるので「裏切り」は大きなメリットです。また、保有することで被る「非難」と言うデメリットは国力の差においてねじ伏せることのできるものです。(実際そうですし。)
せーので同時に「協力」と「裏切り」を提示しなければならない場合、両国は互いに協力し合い全ての原爆を廃絶することができるでしょうか。
現実問題やはりそれは難しいのです。
A国からしてみれば、B国が「破棄」しようが「保有」し続けようが、A国は「保有(裏切り)」を選択することが国力の維持にとって最適解であり、B国からしても同様もことが言えます。
現実問題として、国力の差は「原爆の有無」だけではなく政治経済面で複雑なバランスを保っている一方で、「原爆の有無」が大きな重みを持っていることもまた事実です。
「囚人のジレンマ」では囚人たちは1度きりの選択しかさせてもらえませんでしたが、現実問題では複数回かつ回数制限のない選択合戦が繰り広げられています。
こうした複数回にわたって選択が行われる「囚人のジレンマ」を「ゲーム理論」として発展させた話もあるのですが、長くなるので今回はここまでにしておきましょう。
他にも政治経済面において貿易やエネルギー問題、環境問題などなど現実世界で起こっている「囚人のジレンマ」はたくさんあります。
もっと身近なところで友人や恋人との駆け引きでも「囚人のジレンマ」に似た状況は多々あります。
とは言え、「裏切り行為」そのものが全て許容されるわけではありません。基本的には「裏切り」は非難されてしかるべき行為と言えます。
他者を信じるのは時に難しいことかもしれませんが、少なくとも自分自身は他者から信じてもらえるような振る舞いを心がけたいと思いますね。
そのためにもやはり「協力」の精神を持ち続けていたいものです。