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【スワンプマン(沼男)】細胞の入れ替わりと切り落とされた爪の自己同一性問題

 アイデンティティって何なんでしょうか。日本語にすると「同一性」という言葉になります。哲学や心理学などが好きな方は「自己同一性」という言葉を使ったり聞いたりする事も多いかと思います。この場合は「セルフアイデンティティ(self identity)」や「自我同一性」という言葉に訳される「エゴアイデンティティ(ego identity)」と区別されることもあります。

 「同一性」とは即ち「変わらない同じである性質」のことを言いますが、昨日寝た自分と今日起きた自分を”同じである”と客観的に証明しようとするとなかなかに難しかったりします。今日目覚めた自分に昨日の記憶があるから今日と昨日の自分は同一だって?そんな答えを覆しちゃうような思考実験「スワンプマン(沼男)」を紹介します。

 ただ少し話の内容が怖いのでホラーな話が苦手な方はご注意ください。そして、最後にはスワンプマンに対する私なりのアイデンティティの保ち方をお話しております。


本当は怖いスワンプマン(沼男)

 ある男が沼の側を散歩していました。すると突然のゲリラ豪雨!男の脳天に雷が落ち、不運なことに一瞬にして焼け焦げて絶命してしまいました。その時、2発目の雷が沼に落ち、沼の成分が化学反応を起こして死んだはずの男の体を再構成してしまいました。

 再構成された男の体は、雷に打たれて絶命した男の体と原子レベルで全く同一で、脳の状態すら(雷に打たれる前の)元の男と同じ状態で構築されています。着ていた服や差し歯や手術痕までもです。

 そして雷によって沼から生まれた沼男(スワンプマン)はそのまま死んだはずの男の家に帰り、死んだはずの男が読んでいた本の続きを読み、死んだはずの男のベッドで眠り、翌朝には死んだはずの男の仕事場へ出勤します。

 はたして沼男(スワンプマン)は雷に打たれて死んでしまった男と同一なのでしょうか。

 以上がスワンプマン(沼男)のお話です。いかがでしょうか。明日会う友人や恋人がスワンプマンであったとしても脳細胞レベルで再構築しているため気づくことはできません。仮に雷に打たれた死体が発見されて目の前の友人がスワンプマンであることを知ってしまっても、”それ”を変わらず同じ友人として接することができるでしょうか。

 スワンプマンであったとしても人道的な話をするのであれば同一性を認めたいところでありますが、それでは雷に打たれた死体について見て見ぬふりをしてお葬式にも行かずお墓も作らないなんてことができるでしょうか。

 自分の親しくしていた友人、愛していた恋人の”元の体”は黒く焼け焦げて目の前にあるのです。そして同時にその隣には、いつもと変わらぬ姿のスワンプマンが悲しげな顔で立っているのです。

 いや、完全にホラーですよ。思考実験とは言えめちゃくちゃ怖い。どういう感情で居ていいのかわからなくなりませんか。これが”同一性”というものの怖いところであり面白いところでもあります。


もし自分がスワンプマンだったら

 次は逆の視点です。もし自分が沼から生まれたスワンプマンであったら、自分は自分であるはずなのに”記憶の中の自分”ではないことを”認知”してしまったら。そんなことを考えた後、あなたは昨日眠ったはずの自分と今朝目覚めた自分とを同一のものだと確信を持って言えるでしょうか。

 もし自分がスワンプマンであったら一瞬の閃光の後にふと気がつけば何一つ変わらぬ光景が目の前に広がっているわけです。後ろを振り返り足元を見れば”自分の焼死体”が転がっているかもしれませんが、雷が落ちるほどの雨の中ですから足元を確認するまでもなく走り去ってしまうかもしれません。

 後日、沼の側から雷に打たれた死体が発見されます。その死体がなんと”自分”だというのです。そいつは偽物だ!ドッペルゲンガーだ!といくら言っても遺伝子構造も歯型も手術痕も何もかもが自分と一致するのです。見れば見るほど自分の面影が見え、ボロボロに焼けた服も、昔自転車で転んだ時の古傷の位置も形も見れば見るほど自分なのです。

 あれ?もしかして自分は死んだのか?では今ここにいる自分は誰なんだ?いや、やはりこの死体は偽物だ。自分は自分だ。自分は本物でこいつが偽物なんだ。そんな堂々巡りのアイデンティティ探しが始まってしまいます。


切り落とした爪は自分ではなくなる

 他者から見ても自分自身から見ても「スワンプマン」は恐怖の対象になってしまうほど不可解な存在ですが、少なくとも自分は自分であると思いたい。そう言う確信を持ちたいじゃないですか。たとえ自分の細胞が全て入れ替わったとしても「自分は自分だと自然と感じている」と言うことが自己統一性にとって大切だと思います。

 ここに疑問を持つと精神が過敏になるので、私なりの思考的解決方法を最後にお話しておきます。

 人間の体を構成する全細胞は新陳代謝によって7年程度で入れ替わる。なんて話を聞いたことがありませんか。人間の体を構成する約6兆個の細胞のうち1日で入れ替わる細胞の数が約5000億個と言われています。単純計算でおよそ12日程度で6兆個の細胞が入れ替わることになります。

 7年なの?12日なの?って話になりますが、実際の細胞の入れ替わりは臓器によってその速度が異なるため”全細胞”を入れ替えるとなると7年ほどかかるという通説があるのでしょう。

 消化器系の粘膜細胞は5日ほどで入れ替わり、骨細胞で90日、赤血球では120日という話もあります。調べれば調べるほどこれら数字は異なった見解があるため正確にはわかりませんが、少なくとも臓器ごとに代謝期間が異なるのは確かなようです。

 脳や心臓についてはとりわけ意見が分かれており、1年ほどで入れ替わるという記事から一生入れ替わらない(入れ替わっても一生のうち数十%)という記事まであります。私のような素人としては何を信じればいいのやら。

 ただこれらの記事の説明の違いを加味しても、仮に数年程度で脳や心臓まで全ての細胞が入れ替わっていたとして7年前の自分と今の自分が違う自分だということが言えるでしょうか。逆に数パーセントでも一生変わらない細胞があるとしてその一生変わらない細胞を根拠に自分が自分であると言うのでしょうか。

 髪の毛や爪は個人差はあれど定期的に突き落とすものですよね。切った後の残骸である”爪や髪”は自分の細胞ではありますが自分自身とは切り離された別物だと認識している人がほとんどでしょう。だからこそそのままゴミ箱に捨てられる美容院に自分の一部であった残骸をほったらかして帰ってこられるわけです。

 たとえ「一瞬にして60兆個の細胞が死に絶えた元々は自分であった死骸(元の自分)」と「一瞬にして再構築された新しい60兆個の細胞である自分(スワンプマン)」とが対面したとしても、雷に打たれた元の自分の死骸を切り捨てた伸びた爪の延長として捉えればやはり細胞が全て入れ替わろうが何だろうが今生きている自分(スワンプマン)を”自分”として認識している限り”自己同一性”と言う視点で言えばアイデンティティは保たれていると私は考えています。

 こういった思考実験って好きなんですよね。実験内容がと言うよりも、それを自分ならどう考えるかっていう行為が好きです。今後も思考実験系の記事はたくさん書いていこうと思っています。



参考記事
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