「ミーム論というものをご存知でしょうか?」と人々へ問うことが多い。
いや何も不躾に唐突に狂信的なミーム論者としてこんな質問をしているのではなく、私に美術作家という側面があり”ミーム論”を作品の軸としているため、作品の発表や展示などで作品解説をさせていただく際にまず前提となるコンセプトやコンテクストを説明させていただくことになります。
私がミーム論を作品の軸とし始めたのは10余年も前のこと。この頃は「ミーム」という言葉の認知度はほぼゼロと言っても過言でないほど誰も知らない言葉でした。 もちろん人文系を学んだ方の一部には通じる言葉ではありましたが、一般的には全く知られていない言葉でしたね。
そころがどっこい、ここ数年。急に「ミーム」という言葉の認知度がグンと上がったように感じます。先述の通り美術作家としての仕事柄、ミーム論の話をさせていただく機会が多いので本当に実感しているのです。
さて、なぜここ数年で「ミーム」という言葉が人々に認知され始めたのか。今回はそんなお話です。
目次 ・インターネットの普及と流行の見える化 ・インターネット・ミームという言葉の出現 ・流行語にネットスラングが登場 ・ネットミームの形骸化事例 ・ミーム化する「ミーム論」
インターネットの普及と流行の見える化
ここ数年は「ミームという言葉を知っていますか?」と問うと3割程度の人が「言葉は聞いたことがある」「なんか流行ってるものみたいな感じ」「ネットで出回っている有名な画像とか」といったような返答が返ってくるようになりました。
これはやはりスマホをはじめとしたインターネット環境の十分な普及が強く影響しているであろうと思われます。現在多くの人が使っているiPhoneの第一世代が発表されたのが2007年のこと。
iPhone以前にも今で言う”スマホ”は存在していてWindows Phoneやblackberryなどがありましたね。私はこれら2機種を使っていたので「スマホを持っている人はオタク」的な見方をされていたことを実感しています。
それからほんの10年も経たないうちに若い世代でiPhoneを持つ人が多くなり、今では老若男女誰でもスマホを持つ時代になりました。時代の流れの速さと言うのは本当に驚愕ものです。
NTTドコモに属するモバイル会社研究所の調査によれば2010年時点でのスマホの普及率はおよそ4%であったのに対してその2019年にはおよそ80%、2022年現在では94%にまで急上昇しています。
この普及の側面としては携帯各社がスマホを販売端末のメインに据えた言うところが大きいでしょう。企業戦略に踊らされているとか、大企業の陰謀だなんて言ったところでわざわざガラケーにこだわり続ける必要もないですし、新規に携帯端末を持とうとする若年層はスマホを持つのが至極当然でしょう。便利なんだもん。
さてはて、スマホの普及とともに台頭してきたのがYoutubeやニコニコ動画などの動画配信サイトや2chのまとめブログです。
スマホ以前は基本的にパソコンでそれらに興じていたわけで、趣味としてパソコンを持っている人もまた”オタク的”であった頃からすれば、スマホの普及はインターネットという面白空間が”オタクではないと自認している人たち”へも大きく広まるきっかけとなったことは確かでしょう。
インターネットの普及以前の流行はテレビやラジオなどのマスメディアを通じて発信されたものを流行として捉えていましたが、現在ではそういった大きなメディアに”作られた流行であった”と非難する声も少なくはありません。
マスメディア側の戦略として大々的に宣伝し意図的な流行を生むことでコストを抑えて生産力を上げ大きな市場を形成するというのは市場原理として当然でしょう。こうした側面を知ってしまうとメディアに踊らされているような気がしてなんだか少し嫌な気持ちになってしまうのも、まぁ頷けます。
ただ何も全ての流行をゼロから生み出しているというわけではなく、極めて局地的な小さなコミュニティ(例えば”渋谷の女子高生たち”など)の小さな流行をマスメディアが拾い上げることで全国的にその流行が一斉に広く流布するということも起こります。
マスメディアの影響が絶大であった当時、その流行がゼロから作られたものなのか、局地的に発生した小さな流行の誇大な流布であったのかはさておき、流行そのものの発生時点やその場所、要因はブラウン管の向こう側に隠れていて見えにくかったのは事実。
それがどうでしょう。スマホによるインターネットの普及は地理的な壁を乗り越えてインターネット空間に小さなコミュニティが爆発的に増え人間一人が属するコミュニティの数も膨大に増えました。それまでが地元の知人たちによる趣味の集まりであったのがインターネット空間であれもこれも好きなもの嫌いなもので集まれるという環境が作られたわけです。
もちろんそれ以前からパソコンでインターネットに興じてきたものたちにとってそれらは当たり前のことなのですが、一般的に広く享受されたことで小さなコミュニティが新たに増え、小さかったコミュニティが大きくなりということは実感されていることでしょう。
こうした流れのあった中で起こった大きな変化の一つに「流行の見える化」があると感じます。
それまで流行は受け取るものであったのに対して、流行を生み出す側へ行くことができるようになったと言っても良いかもしれません。つまり流行の当事者となることが増えたのです。
これは何も自分の発言や発明が流行しているという話ではありません。自分の属している小さなコミュニティでの小さな流行が元ネタとなって別のコミュニティへと共有され、いつの間にか多くの人たちが知ることとなる流行の発信源に自分が属していたという経験をお持ちではないでしょうか。
「流行の見える化」として一番わかりやすいのが「いいね数」というやつです。現在ほとんどのSNSでいわゆる「いいね」の機能がついています。最初にその機能をつけたのはFacebook。次いでTwitterが「お気に入り(Favorite)」を実装し、mixiやGoogle+といったSNSもそれらに続きます。現在は各々のSNS上でのいいね機能はそれぞれに名称が異なりますが本質はあまり変わらないでしょう。
いわゆる「いいね」の数が多ければ多いほど「流行っている」と捉えられますし、Twitterでのリツイート(RT)は他者のタイムラインに共有されることから「いいね」よりも流行の指標とされやすい傾向にあります。
また動画配信サイトなどでは再生数やコメント数、チャンネル登録者数やコミュニティー会員数などなどあらゆるものが数値化されており、その数字が多ければ多いほど注目を集めているという指標とされます。
そしてマスメディアはSNSで起こっている”流行”を後発して報道し、「◯◯万回も再生されています!」「リツイート数は◯◯回!」なんて具合に数字で報道し、流行の後追いをしているのが現状でしょう。
一時期はYoutubeで再生数の多い動画をテレビで垂れ流してタレントがリアクションするだけの番組も非常に多かったですよね。普段からYoutubeを見ていた人たちにとっては同じ動画をテレビでも見せられているという現象も多く、”初期段階のテレビ離れ”の一因だったんじゃないかとさえ思います。
さらに捕捉すると「流行の見える化」は目に見える数字だけではありません。
アニメの面白ネタや面白画像、掲示板上でのスラングや言い回し、それらが慣用化されていく様を見て「本当の意味は違うのに……」「元ネタを知らずに使われている……」という経験。これらを経験するということは自分がその流行の発信源に属していたということでもあると私は捉えています。
自分が発信源のコミュニティへ属していたと自認すると、たちまちその流行の起りであるとか広まり方が見えてくるようになりませんか。誰かや何かから与えられた流行では見られなかった”流行が起こっていく様”が見えるような気がしませんか。
ミームの伝播が波紋のように広がる様が見えるような気がしませんか。
インターネット・ミームという言葉の出現
さて、また前置きが長くなりました。
「ミーム」という言葉が十数年前に比べて格段に認知されるようになったと感じるのはインターネットの普及によるところが非常に大きいのというのが私の実感です。
「ミームという言葉を知っている」という人の中での説明で一番多いのが「ネットで流行っている画像や動画」という答えです。これは俗に「インターネット・ミーム」と言われるもので、回答にもあったようなネット上で流行っている言い回しや画像などを総称して「インターネット・ミーム」と言います。
「ミーム」と言う言葉も「インターネット・ミーム」と言う言葉も日本語圏の人々にとっては全くと言っていいほど聞き馴染みのない言葉でしたが、「meme(ミーム)」は英語圏では日本語圏に比べればかなり以前から使われていました。
日本語圏ではミーム論に関する大きなネットフォーラム(コミュニティ掲示板)はありませんでしたが英語圏には存在し、また「meme(ミーム)」と言う言葉がそこ以外でも比較的広く使われていた印象を受けています。(私はほとんど英語ができないので正確ではありませんがそういう印象があります。)
少なくとも日本語圏の人々よりも随分先に英語圏の人々は「meme(ミーム)」と言う言葉を用いてネット上の流行を捉えていました。
とすると「インタネット・ミーム」と言う言葉自体は英語圏からの輸入品であり、日本語圏でのこの言葉の利用は英語圏に比べると後ということになります。
ではなぜこの「インターネット・ミーム」という言葉が日本語圏へ輸入されたかと言うと、海外の掲示板の翻訳まとめサイトや動画配信サイトを通じて海外でのネットの流行が日本語圏へ流入してきたことに端を発するでしょう。
海外のSNSではこんなものが流行っている。海外の掲示板ではこんな画像が面白がられている。と言ったように日本語圏のSNSやブログで取り上げられます。「スペースキャット(通称:宇宙猫)」は英語圏産のネットミームで有名なもののひとつですね。宇宙を背景に猫が何かに目覚めているような表情を浮かべているあの画像です。
そしてこれらの海外産ミームの紹介と共に「こうしたものは海外では”インターネット・ミーム”と言われています」と紹介され始めます。
Google検索機能で日本語で「インターネットミーム」と検索すると、古くは2010年頃から出現し始めますが極めて少数です。2015年時点ではまだあまり増えていませんが2016年から2017年にかけて一気に「インタネットミーム」と言う言葉が見られるようになります。
さて、この年代に何があったのでしょうか。まさか日本人の多くが急にリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読み出したのか?
おそらくはこれもスマホの普及が大きいでしょう。先ほど紹介したモバイル会社研究所の調査でのスマホ普及率は2017年時点でおよそ70%に到達します。若年層に限って見ればもっともっと多いでしょう。
いやいや、スマホを持ったからって皆がインターネットに熱心になるわけではあるまいよ。と思われるかもしれませんが、多くの人(特に若年層)がスマホを通じてインターネットにアクセスしそこから面白いものを吸い出してやろうと言う動きがあったことの根拠がもうひとつあります。
流行語にネットスラングが登場
2017年にマイナビティーンズが行った調査「2017年ティーンが選ぶトレンドランキング」での「コトバ篇」に語尾に「ンゴ」をつけると言うものがありました。しかも3位にランクインです(1位はインスタ映え)。これに某巨大掲示板はびっくり仰天します。ちなみに2016年の同様の調査では直接的にディープなネットスラングと思われるものは登場しません。
「○○ンゴ」と言う語尾は巨大掲示板2chの「なんでも実況(ジュピター):通称なんJ」にて2008年に発生したもので、元ネタは野球選手のドミンゴ・グスマン投手の不振に端を発するものです。
それから時を経て「流行った言葉」の調査があった2017年時点でのスマホ普及率はおよそ70%。若年層に限ればもっと多いという感想は先述しました。
調査当時「ンゴ」は単なる若者言葉としてマスメディアで紹介され、その元ネタや発信源は明かされることなく数年後には若者言葉としても忘れられて行きます。掲示板(特になんJ)にはおじさんしかいないと思いっていた利用者たちとしてはなんとも複雑な気持ちが錯綜したことでしょう。
とは言え、掲示板のおじさんたちも掲示板に直接若年層が来ているとは考えておらず、スマホの普及と共にいわゆる「まとめサイト」の台頭を通じてネットスラングが普及しているのだろうと捉えられました。(2017年時点でかなり多くのまとめサイトがありましたし、直接掲示板に行くのはなかなかにハードルが高いですからね……。)
このようなネットスラングが若者言葉として流行した背景にはスマホの普及率は大きな要因であるでしょうし、そうした時期に海外の流行や面白ネタが広く輸入されることになったと言うのも合点が行きそうです。また同時にSNSの爆発的な流行(特にTwitter)は面白いひと言ネタや画像を紹介するのに(当時としては)とてもマッチしていました。2017年当時からInstagramもありましたがやはりオシャレ系のSNSという印象で面白ネタといえばやはりTwitterでしょうな。
「日本におけるインンターネットの普及」というものをどの時期に置くかは社会的な視点や技術的な視点などによって変わるかとは思いますが、ミーム論者的な立場から私としてはこの2017年ごろであっただろうなと考えています。
それと同時に「インターネット・ミーム」と言う言葉が輸入され、現在に至り少しずつ認知度が上がってきているのだろうと考えられるわけです。
ちなみに、2014年に「壁ドン」という言葉がユーキャン新語・流行語のトップ10となったのを覚えている方もいらっしゃるでしょう。 「壁ドン」も「◯◯ンゴ」と同じくネットスラング由来の言葉ではあるので、2017年以前にネットスラングが流行語になっているじゃないかと思われるかもしれません。
しかし、流行語として世間に広く伝わった経緯が「壁ドン」と「◯◯ンゴ」では異なります。
長くなるので手短にお話ししますが、「壁ドン」という言葉の火付け役となったのは「L♥DK」という漫画原作の映画でのワンシーンで、イケメンが女性に迫り壁に手を付くシーンを表現する際の言葉として雑誌の記事などで「壁ドン」が使用された事例がマスメディアで最初の登場であったようです。
参考:新語・流行語に与えるマス・メディアの影響力― 「壁ドン」の二つの意味を例に考える ―(PDF)
この事からネットスラングとしての「壁ドン」に直接的に消費者が触れたのではなくマスメディアを通して(しかもネットスラングとしての意味とは異なった用途で)発信されて広まった言葉であると言うことがわかります。
言葉の由来としてはネットスラングであった可能性はありますが、その伝播経緯がインターネット上での自然発生的な流行ではなくマスメディア発信による広告効果の方が大きいことが伺えます。
ネットミームの形骸化事例
私は以前より「ミームは形骸化することで広く伝播する」と主張してきました。これはスーザン・ブラックモアが主張していたような「ミームは物事の骨子である」という主張に似ているところでもあります。
骨子と化した(形骸化した)ミームはその発信源や元ネタのコミュニティの存続を維持したり時に拡大することにもなります。
難しい話はさておき、いくつか例を見てみましょう。
【スペースキャット】
先ほど紹介した「スペースキャット(宇宙猫)」ですが、実は元ネタがはっきりわかっていません。英語圏での登場は2006年ごろと言われており、日本語圏での登場は2014年ごろと言われています。ニコニコ大百科の「宇宙猫」の項目によれば2006年に海外のブログで登場した「Space ARP」というタイトルで登場したものが紹介されています。(アクセス先のセキュリティレベルがわからないのでリンクは控えておきます。)
これが元ネタとなったかは定かではありませんが、この頃を境に宇宙を背景に達観した表情の猫が鎮座する画像は大流行することとなります。
この「スペースキャット(宇宙猫)」の意味するところは意味不明な物に出会った時の表現であったり、ある物事に対して何かを悟ったかのような表現であったりと様々ですが、それらの意味を抜きにして単純に可愛らしさとして受け入れられる場合もあります。
そこに意味のあるなしに関わらず、宇宙背景と猫という組み合わせだけで「スペースキャット」というミームの文脈上に置かれるほどに形骸化した一例とみられます。
【「○○ンゴ」】
先ほども紹介しました「○○ンゴ」。掲示板2ch「なんでも実況(ジュピター):通称なんJ」のスレッドにて2008年に発生したもので、元ネタは野球選手のドミンゴ・グスマン投手の不振に端を発するものです。
若者言葉としての使い方は「カラオケ行くンゴ」「勉強するンゴ」「遊ぶンゴ」などのような語尾に「ンゴ」を付けるだけですが、元々はドミンゴ選手が失態を冒した時に「ドミンゴwww」「ンゴwww」などのように使われ、次第に他の選手の名前に「◯◯ンゴ」と付けられることでその選手を嘲笑する意味として用いられ、後には嘲笑する意味だけが取り出されて「失敗したンゴwww」などの自虐ネタとなります。
文章の語尾に「ンゴ」をつけるだけの用法は汎用性が非常に高く、現在では嘲笑の意味はほとんど失われており若者言葉であったものと同様に単に語尾に「ンゴ」を付けるだけの用法が残る形で広く派生していきます。
これも本来の出どころや意味や含みが抜け落ちて汎用性が高くなることでインターネット・ミームが広く伝播した事例の一つでしょう。そしてこうしたネットスラングがコミュニティ内の会話を盛り上げたり雰囲気づくりとして作用することでコミュニティが維持されることにもつながります。
他にも「ぐうかわ(ぐうの音もでないほど可愛い)」「ニキ・ネキ(兄貴・姉貴)」などなどネットスラングの発生と消失は絶えることはありませんね。ぬるぽ。
【ゆっくりしていってね!!!】
最後にもうひとつ。
最近「ゆっくり茶番劇」という言葉が商標登録されたことで大炎上しましたね。それはさておき「ゆっくり動画」と聞いて饅頭頭がすぐに思い浮かぶ方は結構多いでしょう。知らない方にとっては「スローモションの動画かな?」といった印象なのでしょうか。
一応概要を補足しておくと基本的には”赤いリボンをつけた黒髪少女”と”魔女のとんがり帽子を被った金髪少女”の頭部だけが向かい合って会話劇を繰り広げる動画といったところでしょうか。
知っている人には言わずもがな、元ネタは同人ゲームである「東方Project」に登場するキャラクター「博麗霊夢」と「霧雨魔理沙」にあります。が、これは元ネタというよりも原典と言った方が正しいでしょう。
ゆっくり系の元ネタとなるところはこれもまた巨大掲示板2ch発祥の「ゆっくりしていってね!!!」というAA(アスキーアート)が元となります。
先述の「博麗霊夢」と「霧雨魔理沙」がゆるキャラ化されたような丸っこい顔になりその頭部だけがAAで表現されています。このAAのことを「ゆっくりしていってね!」と言い、その発祥も少々複雑で時系列的に正確なことは分かりません。
どのような形の流行にしてもそもそもが起源というやつは分かりにくいわけですが、ログが残るネット上においてすらもコミュニティ内で醸成されていく過程は複雑であるわけです。
このAAを元にイラスト化され、動画などに用いられたものが「ゆっくり動画」「ゆっくり実況」「ゆっくり解説」というもので音声は基本的に合成音声になります。
この「ゆっくり」系は日本発祥のインターネット・ミームとして英語圏で紹介されたものなども見ます。立派なインターネット・ミームのひとつです。
「ゆっくり」系の動画は権利関係が少し複雑で、原典となる「東方Project」をはじめイラスト化した作者やその二次利用に係る複雑なライセンスがあります。
二次利用にあたってのライセンス(認可)は基本的には個人利用はOKで個人や同人サークル活動として商用は許可されているが会社組織での商用は禁止となっていたり、個人でのYoutubeなどで広告収入を得ることはOKではあるもののその組織規模によってはグレー(法人はNG)であったりするため素人目には非常に複雑です。
しかし、Youtubeやニコニコ動画を見てみればゆっくり系動画は五万とあります。あり過ぎるほどあり過ぎて見ている側にとってはフリー素材のようにも見えてしまうため時折ライセンス違反の疑惑や違反そのものが見つかり炎上したりするわけですが、なぜこのような複雑な権利関係やライセンスがあるのにも関わらずここまで大きなミーム化が起きているのでしょう。
今言いました通り「ゆっくり」系の動画は数えきれないほど多くあり、見ている側にとってはフリー素材のように見える。つまり権利関係やライセンスは視聴者側にとって基本的に無視されるもので、いちいちそれらを気にしている人々の方が少数派であるわけです。
さらにはこれだけ多くの動画があると「ゆっくり動画」は知っているが「東方Project」は知らない(まして神主の存在なんて知らんでしょうなぁ)、ということが起こり「ゆっくり」だけが元ネタからは逸脱して一人歩きするわけです。
そしてその骨子となる饅頭頭の少女二人の合成音声による掛け合いというフォーマットだけが広く伝播し、時にはオリジナルのキャラクター(これは権利関係上の都合でもある)で「ゆっくり」と名打つものまであるわけです。
つまり「ゆっくり」系の形骸化したミームフォーマットは「饅頭頭の少女二人の合成音声による掛け合い」であり、それが「東方Project」のものであるとか「アスキーアート」が元であるとかは抜け落ちた形で先に受け入れられ、後から情報が補填されていくことになります。
流行が広まる際にたくさんの人々に共有されればされるほどに元ネタの要素は失われ、発信者側のコミュニティとしてはそのことを危惧したり面白くなかったりするわけですが、
時に形骸化したミームが元ネタ側へと人々を誘導することでコミュニティーの維持や発展に寄与する場合もあることが窺い知れる事例です。
ミーム化する「ミーム論」
「流行する」ことを「ミーム化する」と表現したりします。特にインターネット上での流行には「ミーム化」という言葉がよく使われます。
2017年ごろに「インターネット・ミーム」という言葉が日本語圏へ輸入されて数年。広く使われる言葉ではないにせよ一度は聞いたことのあるような言葉程度には認知されてきたように感じる昨今。
それと同時に、やはり「ミーム」という言葉の形骸化が伴うわけです。
「ミームという言葉を知っている」という人にその意味を尋ねて「文化の遺伝子」などの原典に近い説明がされることは100人いて1人いるかどうかという程度。ほとんどの人は「ネットの流行」や「流行っている動画、画像」といったところです。ミーム論の話をガッツリしたいという私のような稀有な存在に出会うことはほぼほぼありません。
ただまぁそんな現状を嘆いているわけではありません。ミーム論は既にミーム化が始まっていると言える状況にあります。「流行している物事」といった程度の認識で広く認知されることに危惧は感じていません。
むしろその程度で良いから知ってもらっているだけでもとてもありがたいのです。「ミーム」という言葉の認知度がゼロであった時代。私の作品のコンセプトを話すのにはまずミーム論の説明を本当にゼロからする必要がありました。
しかしながら「流行」というキーワードとそれに準ずる(ないしは属する)言葉であるとだけでも知ってもらっていればその説明はかなり大幅に省くことができます。”流行”すなわち”多くの人々が知っている物事”、それは文化や慣習にも同様のことが言える、そこで人々が共有している要点や内容がミームである。といったように本質に向けて逆流して説明することが容易になりました。
ミームという言葉を全く知らない人に同様の説明をしてもなかなか分かってもらえませんが、ミームという言葉を日常の中で触れたことのある人であればその人の中での解釈に捕捉する形で寄り添いあえるわけです。
「形骸化したミーム論」であってもそれはミーム論の一部を取り出した解釈のひとつであることには変わりないですから否定するなんてもってのほか。「ゆっくり」のような事例から見るに、リチャード・ドーキンスという神主がいて「利己的な遺伝子」という原典がある以上は「形骸化したミーム論」が本質を失うということはしばらくないんじゃないかと楽観視しています。
いやむしろ、これからミーム論はもう少し注目されるのではないかとさえ思っているくらいです。
「流行」という言葉が「ミーム」にくっついて回るのであれば、他の物事の流行にミームのミームを乗っからせてもらおうじゃありませんか。
ミームの利己的な振る舞いとして。