ミーム論 » デマの拡散と「危険のミーム」

デマの拡散と「危険のミーム」

 新型コロナウイルスの影響でマスクやトイレットペーパーが品薄で大変です。私は花粉症なのでマスクの品薄にけっこう怯えています。しかしながらマスクの検品はウイルスの感染や拡散の予防として致し方ないところ、対してトイレットペーパーの欠品はデマによる影響が大きく本来ならコロナウイルスと直接的な繋がりはなかったはずなのです。

 今回はそんなデマによる社会的な影響をミーム論の話とあわせてお話ししてみます。

目次
「生殖」「食べ物」「危険」のミーム
危険告知に対する本能
1973年:オイルショックとデマ騒動
 ー1973年:トイレットペーパー騒動
 ー1973年:豊川信用金庫事件
2020年:トイレットペーパー騒動の再来
予言の自己成就:善意の拡散がデマを現実化する

「生殖」「食べ物」「危険」のミーム

 ミームとは一般的には多くの人が知っていたり影響を受けている情報のことを指します。ネット上の流行やテレビの噂話などに対して「ミームが云々……」とたまに言われるのはこのためです。しかし本来は人々のやり取りする情報全般をミームと呼び、一時的な流行のような拡散力の強いミームや文化のように一定のコミュニティに定着したミームのことを「強いミーム」と言ったりします。

 この強いミームには大きく分けて「生殖」「食べ物」「危険」3つの要素に関連することが多く、ヒトが動物として生き延びていく上で重要なミームは強いミームになりやすいことがわかります。

 「生殖に関わるミーム」の例として学校や職場でささやかれる恋愛関係の噂話なんかはわかりやすいですね。また、異性にモテたいという衝動から発せられるようなファッションや話題のミームも一部この「生殖」のミームに含まれます。

 「食べ物に関わるミーム」も強いですね。テレビや雑誌では毎日食べ物の話題が発信され、流行の食べ物が何だとかどこの店が美味しいだとかで行列ができたりします。

 そして今回話題の中心にするのが「危険に関わるミーム」です。個人的にはこの種のミームが一番強く社会的な影響力も大きいと考えています。その最たる例が繰り返される「デマ騒動」です。


危険告知に対する本能

 私たちは普段、理性的に振舞っているつもりでもいざとなるとかなり本能的に振舞ってしまいます。特に強いミームと接触するとそれを鵜呑みにするように見受けられ、そのミームの本質を確かめる前に衝動的に行動する傾向があります。このような衝動的な行動は私たちがもっと動物的で野生に生活していた頃の名残でしょう。

 野生動物たちは私たちヒトのような高度な言語能力こそ持っていないものの警戒音や鳴き声などで自分の仲間や集団にメッセージを伝えることができます。その警戒音に対して動物たちは疑うことなく警戒態勢や臨戦態勢を瞬時に取ります。

 周りのどこにでも天敵がいるかもしれない野生の状況でいちいち「その警戒音は事実か?」など確認していては手遅れになって自分や仲間が襲われてしまいかねませんから当然無条件に反応せざるを得ません。それがたとえ”自分の信頼していない相手”であってもです。

サピエンス全史 (上)」で紹介されたサバンナモンキーの例を紹介します。動物学者たちがサバンナモンキーの警戒の鳴き声が複数あることを突き止めその鳴き声を録音してサバンナモンキーの集団に聞かせる実験を行いました。

 「気をつけろ!ワシだ!」を意味する鳴き声を聞かせると彼らは今していることをやめて一斉に上を向き、「気をつけろ!ライオンだ!」を意味する鳴き声を聞かせると一斉に木に登ります。誰が「気をつけろ!」と言ったのか、どの方向からどのような速度でどのような状況で……といった詳細な情報なしに無条件に反応しているように見えます。

 サバンナモンキーたちは彼らが聞いた「気をつけろ!」の鳴き声が人間の録音した”デマ”情報であるか否かなど確認することはないのです。

  危険のミーム「気をつけろ!」のデマに踊らされるのを見てバカバカしく感じている人も多いかもしれませんが、ヒトが野生の時代から今の時代まで生き残る上では必要な能力であったと考えると致し方ないのかもしれません。

 情報化社会と言われて久しい昨今、日本のスマートフォン普及率は8割ほどと言われており、ここ10年ほどで情報の入手方法や発信方法が劇的に変化しました。しかし、ミームは遺伝子とは比べ物にならないほど急速に進化し刻一刻と激変するものです。本能(と呼ばれるような)行動が遺伝子レベルでの衝動ならばそのようなミームの変化についていけるはずもありません。


1973年:オイルショックとデマ騒動

1973年のトイレットペーパー騒動

 1973年に起こったトイレットペーパー買い占め騒動をWikipediaの記事より抜粋して紹介しますね。

1973年に第四次中東戦争の影響により原油の価格が暴騰しました。俗に言う「第一次オイルショック」です。それと当時に当時の内閣が「紙の節約」を呼びかけたため世間では「オイルショックの影響で紙がなくなる!」という噂が流れます。

 実はこの「紙の節約呼びかけ」はオイルショック以前からのパルプの価格上昇によるもので多少影響はあったのかもしれませんが直接的な要因ではないようです。

 さらに「紙がなくなる」という噂が広まったと同時期に大阪にあるスーパーが「(”特売によって”)紙がなくなる!」との特売広告を打ち即完売。苦情を受けて追加の在庫を投入したもののそれらもたちまち完売。

 その噂を聞いた新聞記者が「あっと言う間に値段は二倍」と新聞に出したことからパニックはさらに拡大され全国で本当にトイレットペーパーの買い占めが起こりました。

 実際には当時トイレットペーパーの生産量は減っておらず、オイルショックの影響もなく騒動後にはむしろ増産されていたそうです。


1973年:豊川信用金庫事件

 こちらの事件も1973年のオイルショックに端を発するものです。こちらもWikipediaの記事から抜粋します。噂の経由がめちゃくちゃややこしいので詳細は省きますがだいたい以下のような伝言ゲームが起こりました。

 事件の発端は電車内での女子高生の会話でした。信用金庫に就職が決まった友人に対して”冗談”で「信用金庫は(強盗が入るから)危ない」との話をしていました。その友人は親戚に「信用金庫って危ないの?」と相談したところ親戚は知り合いの経営者に「信用金庫は危ないらしい」と話し、この話がまた別の経営者に伝わり……という伝言ゲームが起こります。

 最初は冗談であった”強盗が入るから”という部分はすっぽりと抜け落ち、噂が広まるにつれて「豊川信用金庫が危ない」という尾ひれが付いて噂だけが広まって行きます。

 そんな噂が広まっている中、噂とは全く別件の仕事で「豊川信用金庫から120万円おろせ」という電話での会話を聞いた者が「本当に豊川信用金庫は危ないんだ」と思い込み自身の預金を自発的におろします。

 するとまた”預金をおろした”という話を聞いた”アマチュア無線愛好家”が無線でこの噂を広めてしまい噂の範囲は一気に大規模化。噂は噂を呼び「危ないらしい」から「危ない」になり「潰れる」という話にまでなってしまいます。

 事態を重く見た豊川信用金庫は声明を出しますが、それを曲解されてしまい噂は現実味を帯びてしまいます。これによって「5億円の横領」や「理事長の自殺」など二次的なデマが発生して事態が深刻化してしまいました。

 信用金庫側の努力もあって2ヶ月ほどでパニックは収束します。この騒動を業務妨害の疑いで調査していた警察が「女子高生によるまったく関係のない会話」がきっかけであったことをつきとめますが、これもまた陰謀論などと言われてしばらくはデマが流れ続けていたようです。


2020年:トイレットペーパー騒動の再来

 さて2020年3月初旬現在リアルタイムで起こっているトイレットペーパー買い付け騒ぎのデマ騒動です。第一次オイルショックと大きく状況が異なる点は国民の多くがスマートフォンを持ち情報の発信と拡散が容易になった影響で噂やデマ情報の影響も大きくなっていることです。

 デマの発端はTwitterでした。センシティブな内容なので特定の発言を抜粋はしませんが、発端となったのは「コロナの影響で中国工場が止まり、中国で生産しているトイレットペーパーが品薄になるから買いだめしておかないと」という旨のツイートです。実際にマスクが需要過多で長期間品薄になっていることからこのデマを無条件に信じてしまう地盤は出来上がってしまっていました。

 これを信じた人たちがTwitterのリツイート(拡散機能)を使って”善意の注意喚起”を拡散します。このデマ情報は「トイレットペーパーの98%は国内生産である」ことを根拠に瞬時にデマであると反論されますが時すでに遅し、危険のミームに対する衝動的な行動によって一部の人たちが実際にトイレットペーパーを大量に買い始めます。

 同時に政府によって(コロナ対策による)マスク増産が業界に指示されたことで「マスクと同じ原材料である紙類が品薄になる」という旨のデマまで出てきました。これも「マスクは不織布(ポリプロピレンなど)を原材料としていてペーパー類(パルプが原材料)とは原材料が異なる」という情報にてデマだと反論されますが、この噂も拍車をかけたものと思われます。

 最初はデマを真実であると思った人たちが買い溜めの為に複数個購入して行きますが、これをチャンスと捉えた転売屋がデマであると知りながらもトレットペーパーを大量購入してオークションサイトで高値で取引をし始めます。彼らはマスクの転売でも高額の利益を上げており道義的な問題はさておきその嗅覚たるやすごいものです。

 これらの初動をきっかけにトイレットペーパーの品薄は現実化します。その情報はデマであるということを知っていながらも「なくなったら困るから」という理由で多くの人がトイレットペーパーを買い求め、結果的に物流量が追いつかず一時的な品薄状態となってしまいました。

 実際には卸業者の倉庫や生産元には大量の在庫があり生産量としての品薄はまったく発生していません。物流の供給量が追いついてきた現在(3月4日時点)では大型スーパーが「お一人様10点まで」とのポップを張り出し大量の在庫を放出して自体の収束をはかっています。この方法はとても面白いですよね。買いたい人はたくさん買えるし、普段程度必要な人も安心できるような物量があることを示してくれています。

 私の住む地域の量販店も毎日のように品切れしていましたが、生活用品専門店ではそれでも毎日大量に補充されていました。余談ではありますが、この騒動が起こる直前に私の家のトイレットペーパーがなくなり買いに行っていました。その日に私の妻もトイレットペーパーを買って帰ってきてしまっていたため一時的に大量のトイレットペーパーが押入れに入っている状態だったのですが結果的には助かりました。


予言の自己成就:善意の拡散がデマを現実化する

 このようなデマによる騒動が社会的に現実化されてしまうことを「予言の自己成就」と言います。たとえ根拠のない予言や占いなどの助言であってもそれを信じて行動することで根拠のない予言が現実化するというものです。

 個人レベルの話ではテレビの朝の占いで「今日はいいことがあります」と言われてその日に100円を拾うと「今日はいいことがあった、占いが当たった!」と思い込むような心理状態ですが、それがデマを発端とする社会全体の現象として起こった場合にはトイレットペーパー騒動のような大きな問題となってしまいます。

 「トイレットペーパーが品薄になる噂を聞いた」から自分も買いに行ってみると実際に品薄状態で「やっぱり噂は本当なんだ」と思い込み自分も大量に買ってしまう。そのようなスパイラルが繰り返し起こることで”品薄になる”というデマは現実化して実際に品薄になってしまいます。

 デマをデマだと知らない人はそのデマ情報をそのまま拡散するでしょうし、デマであると知っていても実際に品薄なのだから「〇〇で入荷がある」という情報を拡散します。これらの情報拡散は善意であることがほとんどです。けっして悪気があるわけではありません。自分の家族や友人を助けるためにそうした情報を共有しあいます。

 そうした助け合いの気持ちが結果的に社会的な不安や騒動を助長してしまうというのは少し悲しいことですよね。こうしたことができる限り起こらないように、やはりまずは慌てず騒がず可能な限り正確な情報を自分の力で探す能力が必要です。情報過多と言われる現代の情報社会だからこそ個人レベルでの情報の精査が必要なのです。本当ならばテレビや新聞がその役割を担ってくれればいいんですけどね。

 リチャード・ブロディが言うように私たちはミームに操られているのか。ダニエル・デネットが言うようにミームは危険な思想なのか。結局はミーム(情報)を扱う私たち人間次第なのです。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。