魂の重さは21グラム?人の体は死と同時に軽くなるのか。

 幽霊や心霊現象を信じてはいなくても漠然とした「魂」の存在を自身の体の中に感じる人は多いかもしれません。客観的な観測という意味で魂を見るということは難しくても自分が生きているという実感は確かにあり、それが故に自身に宿る魂の存在だけはなかなか否定しづらいものです。

 そんなあるんだかないんだかよくわからない「魂」を実存するものとして証明しようとする科学者がいました。アメリカのマサチューセッツで医師をしていたダンカン・マクドゥーガル博士が今回の中心人物です。彼は「魂」がもし実存するのなら空間を占める物質的な物体であろうと考えていました。

 魂が物体であるということはそれには”重さ”があるだろうとの推測から、マクドゥーガルは瀕死の病人をベッドごと秤(はかり)に乗せて、息を引き取るその瞬間に体重が減るかを観察することにしました。死の直前と直後で明らかな体重の減少が観察できれば、魂の実体を見ることはできなくともその実在を証明できるのではないかと考えたのでした。

目次
・被験者1:死の直後、体重が21グラム減った21グラムは魂の重さだったのか?その後の被験者たちの実験結果犬の魂は何グラム?アカデミズムで否定され……たどり着いた「星間エーテル」結局、魂ってなんなんだろう

被験者1:死の直後、体重が21グラム減った

 マクドゥーガルの時代にはデジタル体重計はまだありませんので、大きな天秤のような秤(はかり)を用意し、患者を寝かせるためのベッドごとその秤(はかり)に乗せました。そして、今にも息を引き取りそうな患者をそのベッドに乗せることで死の直前直後の体重を比較し「魂の重さ」を測ろうとしたのです。

 1901年4月10日。結核によって瀕死の状態の患者がこの実験の被験者となることに同意しており、その日の17時30分に秤つきのベッドへ寝かされました。

 ベッドへ寝かされてからは1分間におよそ0.5グラム弱(1/60オンス)ずつ体重の減少が見られましたがこれは呼吸や粘膜そして発汗による水分の蒸発で減ったものと思われ、マクドゥーガルは患者が息を引き取るまでのあいだ秤の錘(おもり)を調整し続けました

 患者がベッドに寝かされてから3時間40分後の21時08分。いよいよ危篤状態となりマクドゥーガルはそれまでにも増して慎重に秤の重りを調整します。

 そして21時10分。ついに患者が息を引き取り、呼吸筋による最後の一呼吸を行い顔面の筋肉が最後の運動をすると同時に秤がグンと動き、これまでに比べて大幅な体重の減少が見られました。この時の様子をマクドゥーガルは「まるで錘(おもり)がベッドを持ち上げたかのよう」と表現しています。

 錘(おもり)に持ち上げられたベッドに1ドル銀貨2枚を錘(おもり)として乗せると秤はバランスを取り戻しました。その重さが3/4オンス。グラムにして約21グラムの重さが死の直後に減少したことを示していました。

 これが「魂の重さは21グラム」という逸話のあらましです。


21グラムは魂の重さだったのか?

 この実験を行ったマクドゥーガル自身がこの実験結果に疑問を持っていました。21グラムの減少によって”何か”の重さを測ったことは確かでしたが、それが「魂」である確証は得られていません。しかしながら尿の損失や内臓の運動など測定に影響するような問題も見つからず、マクドゥーガル自らベッドに乗って激しく呼吸をすることで肺からの空気の漏れなどが影響しないかなどを確認しましたがそれらも測定には影響を与えませんでした

 これらのことからマクドゥーガルは「やはり魂の実体を発見したのだろう」と考え、同時に再実験を繰り返すことにします。


その後の被験者たちの実験結果

 マクドゥーガルは2度目の実験を行います。2度目の実験でも患者は結核で瀕死の状態でした。この患者での実験では正確な死亡時刻を決定するのが難しかったようで、1度目の実験と全て同条件とは行かないまでも、1オンスと50グレイン(約31グラムほど)の体重の減少が見られました。

 以後4例の実験を繰り返し、その結果は以下のようになりました。

 3度目の実験では半オンス(約14グラムほど)の体重の減少がみられます。

 4度目の実験では糖尿病の患者をベッドの上に乗せましたが秤(はかり)が正確に調整することができないながらもこちらも半オンスほど減少が見られました。しかしながら秤の調整不足もあり実験結果を否定的に記録しています。

 5度目の実験では10グラムほどの減少が見れれましたが原因は不明。

 6度目の実験では被験者が重度の合併症でベッドに横たわって数分で息を引き取ってしまったため記録をとることができませんでした


犬の魂は何グラム?

 結果的にマクドゥーガルが慎重に数値を計測できたのは1度目の結核患者のみであり、その1例の結果だけでは”何の重さ”を測ったのかを同定する参考にはできません……。医師とはいえ毎日のようにこのような実験ができるわけではありませんのでマクドゥーガルは犬でも同様の実験を15回も行っていました。

 しかし、犬による実験では死の直前直後では大きな体重変化が見られず。これに対してマクドゥーガルは「人間と他の生物の間にはこれまでに気づかれていなかった生理学的な違いがある。」と語り、同時にこのことを「”霊魂的な意義”を剥ぎ取って公表したい」と別の博士に語っています。

 この時点ではマクドゥーガルはやはり自分の計測した21グラムのそれが「魂」であるという確信を得ておらず、犬と人との対象実験において単純に犬は体重が減らなかったから魂を持っていないと言いたいのではなく、体重の変化のあるなしには”生理学的”な相違があるとだけ言いたかったようです。とはいえやはりマクドゥーガルは「この重さが魂でなかったとしたら他に説明できるだろうか?」とも語っており、客観的であろうとする科学者的心理魂の実存を証明したいと言う心の内の葛藤が見えてきます


アカデミズムで否定され……たどり着いた「星間エーテル」

 マクドゥーガル自身ですら確信を持ててはいなかったためこれらの実験結果をを5年間もひた隠しにしていた彼は、1901年に行った実験についてついに「魂の重さ”21グラム”を計測した」と公表しました。すると案の定アカデミズム中心の科学界から多くの批判が寄せられます

 秤(はかり)の精度もさることながら実験環境への疑問(2度目以降の実験では近辺からの批判も多く、実験を妨害されていたりした)、そして先にも述べたように実験回数も少なくそれらの結果も正確性を欠くものであったため科学界では否定的に捉えられました。

 多くの批判が巻き起こりマクドゥーガルは必死に反論し、1907年の終わりまでその討論は続いたもののマクドゥーガルは一旦静かになり、この21グラムについての議論は終わったかに見えました。

 その4年後、1911年。マクドゥーガルは「魂の重さではなく、魂を写真に収めることに成功した」と急に公表します。魂は”星間エーテル”に似た光であり、死ぬ瞬間に頭の周りに現れると言い出したのです。そしてこの光こそが21グラムの正体であると言うのです。

 「エーテル」といえば現代科学では否定されている光の媒質とされていた物質です。音の波が空気や水の振動によって伝わるように、光は空間に満たされたエーテルを伝って伝播すると考えられていました。

 19世期後半にはエーテルについて物理学的に多くの実験や研究が行われておりすでに否定的な雰囲気であったもののアインシュタインによる1905年の特殊相対性理論によってエーテルは完全に否定されています。マクドゥーガルが実験を行なった1901年時点ではエーテル擁護派も多かったかもしれませんが、星間エーテルを唱え出した1911年時点では「エーテルって…(笑)」みたいな雰囲気だったのかもしれません。


結局、魂ってなんなんだろう

 この疑問は簡単に答えの出るものではありません。現代科学を生きる私たちにとって「魂」は宗教的概念であったり神秘的な存在として捉えていたり漠然とした「魂」のあり方を受け入れている節があります。それゆえに私たちが一般的に「魂とは何か」を真剣に考えることなどほとんどないかもしれません。

 それこそ「魂」が物体や物質であると確信している人もそれほど多くないでしょうし、こと日本人の現代文化においてそれは顕著でしょう。心霊番組や肝試しを楽しむことと、そこで出てきた幽霊がホンモノであるか否かはあまり重要なことではありません。

 しなしながら冒頭にも述べましたように、自分自身の中に宿る「魂」の存在だけはこれもまた漠然と受け入れられる気がします。自我や意識のようなものがあり、自由に体を動かし、巻き起こる事象に一喜一憂するこの感覚こそが魂の存在を肯定してくれているのではないかと。

 たとえ物理的に物質的に魂が存在しないとしても、現象としての概念的な魂は確かに存在しています。それは炎が燃焼という物理的変化による現象であるように、脳の電気信号の伝播による現象としての魂を私は受け入れています。

 仮に魂が身体とは別に存在するものであり、死後の世界というものがあったとしても、現象としての現世での命を大切にしたいし大切にして欲しいと思うのでした。

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