ヒヨコを粉砕すると何が失われるのか:ポール・ワイスの思考実験

 無垢な瞳でこちらを見つめピヨピヨと鳴く可愛いヒヨコをミキサーにかけて粉砕するのを目の前にすれば「なんて可哀想なことをするんだ」と大抵の人は感じるでしょう。その可哀想だという感情はなぜ湧くのでしょうか。

 ミキサーにかける前のヒヨコとミキサーにかけた後のヒヨコでは何が違い、何を可哀想だと感じたのでしょう。

 無論、可哀想だと言うのは命が失われたことに対しての感情です。しかし”命”は科学的に定義されていません。もしこの残酷な行為を科学的な文脈で語ったとしたらどのような答えが帰ってくるのか。

 今回は生物学者発案の「ポール・ワイスの思考実験」を紹介します。

目次 
ポール・ワイスの思考実験
ポール・ワイスの解答
生物学的機能=「生」ではない

ポール・ワイスの思考実験

 1961年、生物学者であるポール・アルフレッド・ワイスは細胞の研究が盛んにおこなられる中でいくら細胞について調べても生物の本質について知るには限界があるということを提示しました。そこで提示されたのが「ヒヨコ(正確には発生過程の鶏の胎児)をホモジナイズすると何が失われるのか」という思考実験です。ホモジナイズは日本語に訳すと「均質化」となります。

 食品や医療品を製造する際に、別々の物質をよく混ぜたり粒子を細かく用途で”ホモジナイザー”という機械が用いられますが、めっちゃ強力なミキサーで粉々にするんだ(ホモジナイズ)と考えていただければ今回の記事については支障ありません。

 つまるところ、生きたヒヨコを超強力なミキサーで粉砕して得られた液体からは(生きたヒヨコに対して)何が失われているのかを考えるのです。

安心してください、画像は”トマトジュース”です(笑)このトマトジュースをホモジナイズされたヒヨコだとして考えた時、この引き算の答えは何でしょうか。

 この思考実験の論点は、ホモジナイズする前後では物質的にはなにも変わっていないのにも関わらず、何かが失われている”気がする”という点です。

 その失われている”何か”を「命」や「魂」という概念で説明することもできるかもしれませんが、それらの答えではあまり科学的ではありません。


ポール・ワイスの解答

 思考実験とは言え想像するだけでも人としての良心が失われそうな気がしちゃいますね。この思考実験を提示したポールワイス自身の解答はどのようなものだったのでしょうか。wikipediaから引用します。

ワイスは、ホモジナイズにより失われたものは生物学的組織 (Biological organization) と定義している。また、生物学的組織が失われたことにより生物学的機能も失われていることから、この両者は生物において不可分であることが明示されている。


 ポールワイスの解答では「生物学的組織」と「生物学的機能」が失われたとしされています。たしかにヒヨコと液体とでは物質は同じではあるものの、生物としての機能が失われているので「生物学的組織」と「生物学的機能」という答えは(感情論を抜きにすれば)納得できるものかと思います。なんとも科学者らしい解答です。


生物学的機能=「生」ではない

 ヒトの体は約60兆個の細胞から成り立っており、ひとつひとつの細胞がそれぞれの役割を果たしながら相互作用することでヒトの形が構築されて”個体”として生きています。私たちのヒトのように複数の細胞から構成されている生物を「多細胞生物」と言いますね。ちなみに細胞数の一番少ない多細胞生物が「シアワセモ」という植物で、細胞の数は4つだそうです。

 多細胞生物に対して「単細胞生物」に分類される生物群はその名の通りひとつの細胞だけで個体として生存しており。私たちのよく耳にするものではアメーバやゾウリムシなどですね。他にミトコンドリアなどの原核生物もいますが、今回は割愛しておきます。

 単細胞生物の場合、その一つの細胞が破壊されれば生物学的機能が失われてしまうのでその時点で生死がはっきりしますが、多細胞生物の場合そう簡単にはいきません。

 多細胞生物の場合たとえひとつの細胞が破壊されても残りの細胞が生きている限り直接的な死ではありません。細胞の数が極端に少ないシアワセモの場合には一つの細胞が失われるのは体の1/4を失うのと同義ですから死活問題かもしれませんが、ヒトの場合には1/60兆の細胞が壊れたところであまり気になりません。ここが多細胞生物の強みですね。ただ、どの程度の細胞が失われると生物学的機能が失われてしまうのかは明文化できません。

 以前に紹介した生体機能チップをはじめとした臓器オルガノイドによる構築物は、人工的に試験管内で作り出した様々な臓器(のオルガノイド)をつなぎ合わせて人体を擬似的に再現しているものです。それらの培養された各々の臓器は1/100万というサイズでありながら生物学的機能を十分に備えているように思えます。

 十分な機能を備えた生体機能チップを生物学的機能を備えているとするならばそれは”生きている”と言えるのでしょうか。なんて疑問も浮かんできます。

 生きていると言うことを”意識がある”と認識している方も多いかもしれませんが、実のところこの”意識”というやつがけっこう厄介でまずその”意識”と言うものの存在が証明できていないんです。「我思うゆえに我あり」の我思うことすらも実は怪しいのです。詳しくはまた後日「哲学的ゾンビ」に関する記事を書くのでその時に掘り下げたいと思います。

哲学的ゾンビについての記事はこちら
哲学的ゾンビとアンドロイドのクオリア


 ポール・ワイスの思考実験であなたは何が失われたと考えますか?「生物学的組織」と「生物学的機能」というワイスの科学的な答えもひとつだとは思いますが、非科学的な視点であっても生命とは何か”を考えさせるような思考実験でした。

 この実験に対する私の個人的な答えは「主観的時間」です。が、これを語ると長くなりそうなのでまた後日。是非いろんな方の答えが聞いてみたいです。


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