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「認知革命」:毒キノコ原因説−前編−

「認知革命」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。今回お話しする「認知革命」について重要となる書籍がこちら「サピエンス全史 (上):ユヴァル・ノア・ハラリ著ー柴田裕之訳」です。この言葉は2017年のビジネス書大賞に選ばれたことで有名になった「サピエンス全史 (上)」にて登場したことで広く世に広がりました。

 今回は人類がもつ文明文化の根源とも言えるこの「認知革命」がなぜ起こったのかを前編・後編に分けて考察していきたいと思います。

 結論から言えばタイトルにある通り「毒キノコ食ったからじゃね?」という話に行き着くのですが、それを様々な文献や研究を見ながら「認知革命:毒キノコ原因説」を考えていきたいと思います。
 私自身は学者でもなければ研究者でもないので、おもしろ話程度に読んでいただけると幸いです。ちなみにこの記事「前編」ではまだキノコについてはほとんど触れていません(笑)まずはキノコを食べるに至った経緯をホモ属の進化過程とともに考察をしていこうかと思います。

目次

前編
認知革命とは
ホモ・サピエンスの起源
雑食化したホモ属、キノコを食べる。
大きくなった小脳


後編
−キノコ毒の主な作用と症状
−身近な毒キノコ:シビレタケ
−言語の発達と虚構、そして幻覚作用
−幻覚で見えるキメラたち
−まとめ

認知革命とは

 この「認知革命」という言葉は元々は1950年代に認知科学の諸学問が活性化したことを総称して指し、昨今でいう人工知能や神経科学などが発展してくる初期段階のことを言ったようです。科学で人の認知の仕組みを本格的に議論しようというムーブメントのこととでも要約しておいていいでしょうか。google検索でも「認知革命」を検索して一番最初に出てくるwikipediaの記事ではこの事に触れているのみです。しかし、「サピエンス全史 (上)」にて登場した「認知革命」はWikipediaで紹介されている内容とは全く異なる文脈で使われています。

 「サピエンス全史 (上)」での「認知革命」という言葉の文脈は「産業革命」「農業革命」と同列に扱われます。つまり、人の生活様式を大きく変えたきっかけのひとつとして位置付けたわけです。

「産業革命」は18世紀から19世紀にイギリスで起こった石炭を燃料とする蒸気機関をはじめとする”軽工業”の発展、そしてその後に石油を燃料とする”重工業”の発展を指します。

 「農業革命」はそれよりもずっと以前、紀元前9500年〜8500年頃に起こった狩猟採集の生活様式から農耕の生活様式へと変わった時期を指します。最初期には小麦の栽培が始まりヤギが家畜化され、徐々に豆やオリーブなどの栽培に拡大していくことで従来の狩猟採集から畜産や農業へと生活様式が変化しました。細かいことを言うと「農業革命」と言う言葉も2通りの意味と時期を指してしまうのですが、「サピエンス全史」においては上記の意味合いでとりあえず問題ないです。

 さて、その文脈の上で語られる「認知革命」とは紀元前9500年前の「産業革命」よりもずっと以前、「サピエンス全史 (上)」では約7万年前に”歴史を始動させた”と語られる時期を指します。この時期に、私たちヒトは多くの野生動物とは違う”世界観”を構築し始め、道具を作り、火を操って脆弱な肉体を知恵で補いながら”野生生活”をくぐり抜けてきました。そうしていつしか野生の世界から隔離されたヒトの住む世界を構築し、傲慢にも自分たちを「ホモ・サピエンス(賢いヒト)」と呼ぶまでになったのです。

この「認知革命」は具体的に何がきっかけで起こったのでしょうか。この疑問に対する答えは「サピエンス全史 (上)」の中でも語られませんし、今後も認知科学や人類進化を研究する上で大きな壁となるのでしょう。
 「認知革命」にとって重要と思われる”原因”については触れられることなく話が進んでいく「サピエンス全史 (上)」。学者の方々にもわからないことが私のような素人にわかるはずもなし。わからないながらも本を読みながら色々と考えていた私。そこで個人的に出てきたひとつの考察を科学的には何の裏付けもない話ですがしてみようと思います。
 まぁ、記事のタイトルでネタバレをしてしまっているのですが、その原因ではないかと私が個人的に考えているのが「毒キノコ」と言うわけです。


ホモ・サピエンスの起源

進化と生物的分類の目線で見れば私たちホモ・サピエンス・サピエンスと呼ばれはホモ・サピエンスの亜種とされています。「ホモ・サピエンス(賢いヒト)」がもっと賢くなった!みたいな意味合いですかね。では、私たち以前のホモ・サピエンスはどこで生まれたのでしょうか。

 結論から言えば人類進化の系譜は現在の科学的研究(DNA解析など)をもってしても正確なことはわかっていません。しかし、原始のホモ・サピエンスが生活していた同時期には他のホモ属(ヒト)が多種存在していことが分かっています。余談ですが、よく名前を聞くネアンデルタール人ももちろんホモ・サピエンスと同時期に生存していて一説にはネアンデルタール人もホモ・サピエンスの亜種のひとつだとみなす場合もあり、その場合にはホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスと呼ばれたりします。この記事では「ネアンデルタール人」と記す場合は「ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス」の意味も有し、「ホモ・サピエンス」と記す場合は「ネアンデルタール人と比較して言うホモ・サピエンス・サピエンス」としています。

 どのような系譜でホモ・サピエンスが生まれたのか正確なことはわかりませんが、その起源は東アフリカであるということが科学界での共通認識(※)となっているようです。(※「ホモ・サピエンス」(wikipedeia))
 ホモ・サピエンスの起源をアフリカであるとする説はミトコンドリアDNAの系統樹分析によって導き出されたもので、これを「出アフリカ説」や「アフリカ単一起源説」と言ったりします。これに対して一部「多地域進化説」を唱える学者もいますが、私は前者の「出アフリカ説」が有力だろうと考えているのでそれを前提に話を進めたいと思います。


雑食化したホモ属、キノコを食べる。

現在のところ最初に地上生活を行ったホモ属(最初のヒト)がホモ・エレクトスと言われています。彼らはそれまでの猿人の樹上生活とは違い、地上に降りて二足歩行を行いました。この時、彼らの食性が草食中心の生活から肉食中心に変化したと考えられています。
 彼らの肉食は狩猟ではなくスカベンジャー。つまり腐肉食です。腐肉食というと少し語弊があるかもしれませんが、つまり他の肉食動物の食べ残した肉を漁っていたという説が 米スミソニアン国立博物館の古人類学者ブリアナ・ポビナー博士らの研究でわかってきました。(人類は「スカベンジャー(腐肉食)」として進化してき:エキサイトニュース)
 この時のホモ・エレクトスはすでに道具を使っていたと考えられています。上記の同研究でも石のナイフで骨から肉を切り離していたことがわかっており、「認知革命」への礎があったものだと見ることができます。でも「認知革命」はもう少し先です。

 その後、様々なホモ属の出現でホモ属の食性は強い雑食へと変化します。ホモ・サピエンスが持っていたと考えられているホモ・エレクトスと一線を画した特徴として「何にでもトライし(generalist)、それを極める(specialist)オープンな能力を持っていた(※)」とする論文があります。(※8月12日:ホモ・サピエンスと他の人類との違いを考える(Nature Human Behaviour7月号掲載論文)

 ホモ・サピエンスはこの特徴により出アフリカをはじめとしてあらゆる場所に進出し、そこに住むことで勢力を拡大できたという説があります。本来であれば命の安全と食が安定して確保できる環境に定住し続けることが望ましいですが、その安定した環境というのも中長期的に見れば変化するもので、そこで獲れる食料の量によって人口が調整されてしまい、そこでの食料が尽きればそのグループは全滅してしまうデメリットを抱えています。しかしホモ・サピエンスはその好奇心と挑戦心によってひとつの地域に定住せず安住の地を離れるというリスクを負いながらもその勢力を拡大することが”結果的に”できました。

 そこで考えられる大きなリスクのひとつが移住先での食べ物の確保です。

 ネアンデルタール人も一般的に偏食であったと考えられており、一部ではネアンデルタール人は肉食であったため環境の変化により肉が食べられなくなり絶滅したと言われていました。しかし、2010年の研究でネアンデルタール人の化石からこの説を覆す研究結果が出ています。化石の歯石から植物の穀類や根茎部を食べていたことや加熱調理していたこともわかりました。(ネアンデルタール人は野菜も食べていた、米スミソニアン博物館:AFPBB News)
 地域によってはネアンデルタール人もキノコ食べていたであろうことが予測されています。(ネアンデルタール人が鎮痛剤、歯石分析で検出:ナショナル ジオグラフィック)また、現生の我々にもっと近い縄文人も農耕以前からドングリやトチをはじめキノコも食べていたとされ(農耕以前から私たちは炭水化物をたくさん食べていた:ナショナル ジオグラフィック)キノコは重要な食料であったことが伺えます。
 ここで疑問なのが、彼らは食べられるキノコと食べられないキノコをどのようにして見分けたのか。当時彼らの手元にキノコ図鑑があったはずもなく、ほぼ確実に”食べて見なければわからない”状況なわけです。ネアンデルタール人や縄文人(サピエンス)がキノコを食べていたのであれば、最初期には持ち前の好奇心を生かして手当たり次第に色々なキノコを食べたことでしょう。その中にはもちろん毒キノコが含まれており、それを食べたことで命を落とした者も少なくないはずです。
 それでもキノコを食べ続けた私たちの祖先はやはり好奇心と探究心の塊だったのだろうと思います。最初にナマコやウニを食べた人ってすごいよねって話をよく聞きますし、毒のあるフグやコンニャク芋を食べられるように開発するというその挑戦心と極める力って実は原始のホモ・サピエンスから脈々と受け継がれてきた私たちの能力なのかもしれません。


大きくなった小脳

 おそらくホモ属の各種人類はキノコを食べたであろうという憶測の上で話を進めていきますが、ではなぜ同じように毒キノコを食べたであろうネアンデルタール人はホモ・サピエンスのように「認知革命」を起こすことができなかったのか。それはやはり脳の作りの違いだろうと考えられます。

 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの脳の違いは何だったのか。ネアンデルタール人や類人猿との脳の比較は軽く例をあげるだけでも脳の大きさやEQ(e脳化指数)の差、大脳皮質の厚さなど様々あり一概にどれが正しいと言うことはできないのですが、個人的にひとつ思うことは脳には部位によって様々に機能が分かれておりその機能の差を見ることが重要であろうと言うことです。その機能差についての研究のひとつが小脳の大きさです。

 小脳は脳の下部(首の付け根の後ろ)にある部位で、その昨日は「知覚と運動機能の統合であり、平衡・筋緊張・随意筋運動の調節などを司る。(wikipedia)」と言われます。また、小脳は脳全体の10%ほどの大きさなのに対して大脳に比べて神経細胞の数が圧倒的に多く脳の神経細胞の大部分が小脳にあるとのこと。小脳は大脳のシュミレーターであるとの研究もあるようでかなり高次の機能を有していると考えられています。

 この高機能な小脳の大きさに現生人類とネアンデルタール人とで相対的な差があることが以下の研究報告(2018年5月プレスリリース)でわかりました。ネアンデルタール人は私たちと比べて小脳が小さかったのです。

脳の形態復元により、ネアンデルタール人のほうがホモ・サピエンスより小脳が小さいことを発見 -絶滅の背景に脳の機能差が関係か?- (PDFが開きます)

 ここでもネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの「交替劇」について触れられており、環境の変化や混血などといった複数要因に対して脳機能に相応の差が生じたことによって適応能力に差が生じたのではないかと言われています。また文中でも「小脳は運動機能に重要な役割を持ちますが、近年の研究により認知機能との関わりも示されています。(引用)」と述べられているように、ホモ・サピエンスだけが「認知革命」を起こすことができたことの一要因が脳機能の差にあったのではないかと言う裏付けのひとつと考えられます。

「何にでもトライし(generalist)、それを極める(specialist)オープンな能力」の差が小脳の大きさと直結したとまでは言えませんが、小脳の違い以外にも大脳皮質や後頭葉の大きさ(後頭葉はネアンデルタール人の方が大きい)などそもそもネアンデルタール人とホモ・サピエンスとでは脳の作りが違ったと言うことは重要です。

 さてこのように”認知機能”に特化した大きな小脳を持つホモ・サピエンスが毒キノコを食べたとき、特に幻覚作用のあるキノコを食べた場合に何が起こるのか。ネアンデルタール人にどのような幻覚作用が起こったのかは分かりかねますが、私たちホモ・サピエンスに関する事例は数多ありどのような症状が出るのかはわかっています。

という訳で、やっとの事で後編より「認知革命」:毒キノコ説の主要な部分を語っていこうかと思います。
 ついにキノコを食べ始めたホモ属たち。もちろん毒があろうがなかろうが手当たり次第に食べていれば色々な毒性のキノコに”中った”ことがあったでしょう。次の記事:後編ではキノコの毒性である幻覚症状による虚構の発生について考察をしていこうと思います。

 ついにキノコを食べ始めたホモ属たち。もちろん毒があろうがなかろうが手当たり次第に食べていれば色々な毒性のキノコに”中った”ことがあったでしょう。次の記事【「認知革命」:毒キノコ原因説−後編−】ではキノコの毒性である幻覚症状による虚構の発生について考察をしていこうと思います。

「認知革命」:毒キノコ原因説−後編−


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