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逃げも隠れもするが善し

2021.07
[SIZE] 222mmx196mm
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

現代社会、こと人間社会において「逃げも隠れもしない」事が勇敢であり正義であるように語られる。しかしながら動物とは本来、逃げもするし隠れもする。それは被食者だけに限らず捕食者ですらそうである。

 動物は過酷な自然環境の中で生き残るために身を潜め、全力で逃げるのだ。捕食者側も被食者側も好機を逃すまいと息を殺すのだ。

 人間社会が過酷で無いのなら何だと言うのか。生きたいのなら逃げろ。生きたいのなら隠れろ。

 生き残り、生き抜くこと。それこそが正義であるはずだ。

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Art MACHI Museum21

Art MACHI Museum21

【イベント概要】
■公式webサイト:http://artmachi-blog.ranbu-hp.com/?eid=448

■会 場
梅田スカイビルタワーウェスト 3 6 F (新梅田シティ・空中庭園)

6月20日まで緊急事態宣言が延長されたため日程が変更されております。ご注意ください。
会場も例年のタワーイーストからタワーウェストに変更となっています。

■開催日程(日程変更済)
日時:2021年7月17日(土)、18(日)

■入場料:500円 ※今年は前売り券の販売はございません
※小学生以下は無料です

新型コロナウィルス感染予防対策について主催者より(必確認)


一年越しの延期開催となりました「Art MACHI Museum21

上記リンクにある感染予防対策をご確認いただき、たくさんの方々に来ていただけると嬉しいです。

今年は、イベント開催日の2日間に限りオンラインでの作品販売が予定されています。

私個人としては個展の計画などをはじめ、全てが白紙になってしまったこの1年。

およそ2年ぶりの外での展示となりますので非常にワクワクしております。

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666鬼も角折る\m/

2021.01
[SIZE] 450mm×332mm
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

正義とは何か。悪とは何か。真実はどこにあるのか。それは偽物ではないのか。混沌とする社会情勢の中で渦巻く思い思いの正義と悪。私たちの辿り着く先に平穏は訪れるのだろうか。

 見えない真実、隠された悪が翻弄するかの如く人々を惑わす陰謀論は後を絶たない。真実を知ろうとすればするほど陰謀と謀略の罠に嵌っていくかのような情報戦の世の中。

 陰謀論者たちは表象の世界の影で暗躍する実力者たちが隠語やサインを用いて連絡を取り合い裏で世界を操っていると言う。それが真実であるのかもわからないままに、それを真実だと思い込み、それを真実だとして流布する。

 陰謀や謀略が仮に真実だとして、その目的は何なのだろうか。

 おそらくそれは「正義」である。正義の反対は悪であり、悪の反対は正義であるような「正義」である。


 当作品《666鬼も角折る\m/》(読:ロクロクロクおにもつのおるコルナサイン)は陰謀論悪魔信仰日本的なアニミズムにおけるに置き換え、それが正義表裏一体のものであると主張する作品。

 作品に向かって左側の2つの手OKサインの形をしているが、これは悪魔の数字とされる「666」をシンボルとするハンドサイン

 作品に向かって右側の2つの手は人差し指と小指を立てた「悪魔信仰」のシンボルとされる「コルナサイン」と呼ばれるハンドサイン

 これら2つのハンドサイン秘密結社悪魔信仰によって世界を動かそうとする者たちが暗に連絡を取り合うための暗号であると言われている。

 大物の政治家著名なアーティストたちがこれらのハンドサインを頻繁に用いているとして演説の写真CDジャケットなどが陰謀論者によってよく取り沙汰されている。

 彼らは本当に秘密裏に世界を動かそうとしているのだろうか。

 陰謀めいた話をするのであればそれもあり得るのかもしれないが、実質的に彼らは実力者であり有力者でありカリスマであるのだから社会が彼らによって動かされているように見えるのは当然である。

 そう考えると私には彼らによって社会が動かされていると言うよりも、彼らの窺い知れぬところで陰謀論者たちが勝手に踊っているようにも見えてしまう。

 ともあれ、仮にそのような陰謀や謀略があったとしても彼らにとってもそれは正義であるに違いないとも思うのだ。

 そこで陰謀を企む者たちとそれを疑う者たち対立するのは「正義」と「」と言った完全な対立関係ではなく、思想信条の軽微な差異であり互いの「正義」は同時に「悪」であるような相反関係でしかない。

 世界中の人々が同じ価値観を理解し合い、分かち合えるとは私は思っていない

 しかしながら、互いの正義を見せ合い、時に「鬼が角折る」ように自身の悪を悪と認め、より良い正義へと昇華させることは可能だと考えている。

 そこにある思想信条を変えることなく自身の角を折ることはそんなに難しいことなのだろうか。

 「正義」や「善行」を見せびらかすことひけらかすことを時に偽善だと揶揄されてもそれが真に善であると信じるのであれば隠す必要も隠れる必要も無い。

 真に鬼が住うのは己が内なのだから。

 福は内、鬼も内。

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手の鳴るほうへ

2020.07
[SIZE] 398mm×309mm
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

人々は何かに導かれることを望み、また同時にそれを拒絶する。未来は自分自信で切り開くものなのか、はたまた誰かや何かに決められてしまうものなのか。それらは俯瞰して見ればそのどちらとも捉えることができる。人々を導くのは社会構造が作り出すルールや暗黙の了解であり、その社会を構成するのは亜全体性を持つ小規模な集団で果ては個人なのだ。全体が部分を支配的に振舞う一方で部分は全体に対して多大な影響を与えている。それは私たち一人一人は導かれる者でありながら導き手にもなり得ると言うことだ。導かれているうちは盲目的にガムシャラにでもそこに向かい続けてみるのも悪くない。何かにたどり着いたとき、今度は自分自身が誰かを導く側となっているかもしれない。鬼さんこちら、手の鳴るほうへ。

——–制作メイキング動画——–

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EXHIBITION PAST

【終】個展[REFLECT]

REFLECT

2015年09月
会場:valö/大阪


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面白きこともなき世をおもしろく

2020.04
[SIZE] 209mm×151mm
[MATERIAL] Ballpoint pen

人々はミーム表現型として何かを生み出しながら生きています。それらひとつひとつの持つ影響力は極めて小さなものかもしれません。しかし、そうした小さなミーム表現型が世の中を動かす力となると私は信じています。私一人、あなた一人の持っているヒトカケラの表現型は人類文化という大きなパズルを作り上げるための大切な表現型なのです。

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キラコのおてて

キラコのおてて(右)

2015.05
[SIZE] 178mm×128mm×148mm
[MATERIAL] Ballpoint pen,Cray

キラコのおてて(左)

目は口ほどにものを言うといいますが、私個人としては”手”が更にものを言う気がするのです。私の描く手はそういった考えからかなり誇張した表現になっています。”手”の持つ魅力を描くだけでな立体的に見て欲しいと言う想いから、本当にそのまま立体化した作品です。絵の中から飛び出してきたような「キラコのおてて」。

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アマビエ

2020.04
[SIZE] 256mm×169mm
[MATERIAL] Ballpoint pen

2020年新型コロナ(COVID-19)感染拡大の一刻も早い事態の収束を願っています。そんな中、ミームの海から突如として現れて人々を楽しませ勇気付けてくれているアマビエ様。
「アマビエ」は江戸後期に瓦版で紹介された妖怪で、豊凶と厄災を伝え自身を描き写すことで除災すると言われています。
そんなアマビエに願いを込めて、様々な人が多種多様な解釈でアマビエを描いたり作ったり表現することでネットミーム化しました。江戸時代に描かれた空想の妖怪が科学文明の発達した令和時代に大量に描かれたことを根拠に、200年後の人々が「アマビエは実在したかもしれない」とか言い出したら面白いですよね。

以下のブログにてアマビエについて考察した記事を書いています。
SNSで話題の妖怪「アマビエ」とは

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心拍

2018.01
[SIZE] 454mm×382mm
[MATERIAL] Ballpoint pen

盆栽の”真柏(しんぱく)”をモチーフにした作品。盆栽における真柏は枯れた幹(舎利)と枯れた枝(神)が特徴的で、まだ生きた状態の幹や枝葉とのコントラストがとても美しいものです。枯れてしまった部分に美的感覚を抱くというのは暗にヒトの生死感を強く刺激するものと思います。生きていることの素晴らしさ、そして死んでも尚その美しさは失われず生を引き立てる。胸に鼓動する「心拍」と盆栽「真柏」を重ねた作品です。

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芒に月

2019.01
[SIZE] 530mm×454mm
[MATERIAL] Ballpoint pen,Silver leaf

作品部分抜粋

花札の「芒に月」をモチーフにした作品。近代的な花札の元祖となる絵札は当初手描きであったが、花札の庶民化による量産化と印刷技術(手刷り)の限界により「芒に月」の図案は極端に形骸化されました。当作品は単純な図形の組み合わせによって構成していますが、花札のミームを持つ人にとってこの図形の組み合わせはススキの野原と夜空の月に補完されることと考えられます。時間の経過とともに形骸化するミームと、逆説的にミームによる情報の補完について考察した作品です。