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溺れる者は久しからず

2023.05
[SIZE] 575mmx455mm(額含)
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

どうにもならないような気がして、どうにかなるようにと足掻く。泳ぎ方なんて知らなくても良い。格好悪く不恰好にジタバタしている様を見せつけてやれ。努力の方向性だとか才能の使い方だとか、そんなことを考える前にまず足掻け。沼にはまって藻掻いてみるのだ。そのうち藁にでも手が届くかもしれない。

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2023.05
[SIZE] 489mmx489mm(額含)
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

もう少し、もう少し手を伸ばせば届きそうなところに在るのに。近づけば近づくほどに遠ざかっていくような感覚。行手を阻むものは何か。私の目を曇らせているのは何者か。

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胡蝶は月夜の夢を見るか

2022.06
[SIZE] 437mmx315mm
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

中国戦国時代の思想家である荘子(そうし)の「胡蝶の夢」という逸話から着想を得た作品。胡蝶となってひらひらと飛ぶ夢を見た荘子は、果たして自分は蝶になった夢を見たのか、それとも今ここにいる自分が蝶の夢であるのかと問うた逸話である。

 道教の始祖の一人とされる荘子の思想は、仏教で言うところの「空」の概念に近く、人の感ずるところの美醜からその生死まで人が目の当たりにする物事はただ見せかけであると説く。

 主に東アジアで説かれるような”空”的な概念を私たちは頭のどこかで知りながら、それでも何かを感じ考える。

 私が夜空の月を眺める時、胡蝶は昼寝でもしているのだろうか、と。

当作品の部分写真。蝶の羽の中に絵柄が浮き出るようになっている。

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激浪の夜明け

2022.05
[SIZE] 361mmx516mm
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

良きにつけ悪しきにつけ、夜中の考え事というのはどうにも過激になりがちだ。一晩中ぐるぐると思考が渦を巻き寄せては返す。気がつけば空が白み始め眩い太陽が暗闇を照らす。斯くして陽光と私の間には依然として激浪が渦巻いたまま暗く影を落とすのだ。

葛飾北斎作「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」から着想を得た作品。

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月夜を抱えて

2022.05
[SIZE] 271mmx220mm(額含)
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

月に手が届きそうな夜がある。とても明るく大きな月は周囲の星々の存在を掻き消して夜空に鎮座する。

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復活と豊穣

2022.05
[SIZE] 223mmx197mm(額含)
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

復活祭(イースター)では卵は「復活」と「豊穣」のシンボルとされる。日本においても初卵や大寒卵といったように吉兆の象徴とされる。

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自己防衛のすゝめ

2022.04
[SIZE] 344mmx280mm
フレームサイズ:465mm×389mm
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

自己防衛とは、ただやさしき言葉を知り、解し難き啓発を読み、自虐を楽しみ、生傷を作るなど、世上に実のなき生き様を言うにあらず。

 自分の身を守る方法をいくら知っていても、それを実践してこその自己防衛である。自分を守る方法を知り、自分自身を守ってこそ生き抜けるのだと思う。

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想い思う夜が重すぎて

2021.07
[SIZE] 168mmx168mm(額含)
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

夜というのは何と寂しいものだろう。あんなにも多くの星々が輝く中で凛として佇む月はなぜあんなにも孤独な存在に見えるのだろう。否。月よ、君はたぶん孤独など感じてはいないのだろう。そうだ、孤独を感じているのは……。

 私は一体誰と話して居るのか。月が私に語りかけるわけでもなし。妄想だけが膨らんで、不安感だけが押し寄せる。

 こんな様子ではチェシャ猫に笑われて当然だ。

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逃げも隠れもするが善し

2021.07
[SIZE] 222mmx196mm
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

現代社会、こと人間社会において「逃げも隠れもしない」事が勇敢であり正義であるように語られる。しかしながら動物とは本来、逃げもするし隠れもする。それは被食者だけに限らず捕食者ですらそうである。

 動物は過酷な自然環境の中で生き残るために身を潜め、全力で逃げるのだ。捕食者側も被食者側も好機を逃すまいと息を殺すのだ。

 人間社会が過酷で無いのなら何だと言うのか。生きたいのなら逃げろ。生きたいのなら隠れろ。

 生き残り、生き抜くこと。それこそが正義であるはずだ。

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666鬼も角折る\m/

2021.01
[SIZE] 450mm×332mm
[MATERIAL] Ballpoint pen , Silver leaf

正義とは何か。悪とは何か。真実はどこにあるのか。それは偽物ではないのか。混沌とする社会情勢の中で渦巻く思い思いの正義と悪。私たちの辿り着く先に平穏は訪れるのだろうか。

 見えない真実、隠された悪が翻弄するかの如く人々を惑わす陰謀論は後を絶たない。真実を知ろうとすればするほど陰謀と謀略の罠に嵌っていくかのような情報戦の世の中。

 陰謀論者たちは表象の世界の影で暗躍する実力者たちが隠語やサインを用いて連絡を取り合い裏で世界を操っていると言う。それが真実であるのかもわからないままに、それを真実だと思い込み、それを真実だとして流布する。

 陰謀や謀略が仮に真実だとして、その目的は何なのだろうか。

 おそらくそれは「正義」である。正義の反対は悪であり、悪の反対は正義であるような「正義」である。


 当作品《666鬼も角折る\m/》(読:ロクロクロクおにもつのおるコルナサイン)は陰謀論悪魔信仰日本的なアニミズムにおけるに置き換え、それが正義表裏一体のものであると主張する作品。

 作品に向かって左側の2つの手OKサインの形をしているが、これは悪魔の数字とされる「666」をシンボルとするハンドサイン

 作品に向かって右側の2つの手は人差し指と小指を立てた「悪魔信仰」のシンボルとされる「コルナサイン」と呼ばれるハンドサイン

 これら2つのハンドサイン秘密結社悪魔信仰によって世界を動かそうとする者たちが暗に連絡を取り合うための暗号であると言われている。

 大物の政治家著名なアーティストたちがこれらのハンドサインを頻繁に用いているとして演説の写真CDジャケットなどが陰謀論者によってよく取り沙汰されている。

 彼らは本当に秘密裏に世界を動かそうとしているのだろうか。

 陰謀めいた話をするのであればそれもあり得るのかもしれないが、実質的に彼らは実力者であり有力者でありカリスマであるのだから社会が彼らによって動かされているように見えるのは当然である。

 そう考えると私には彼らによって社会が動かされていると言うよりも、彼らの窺い知れぬところで陰謀論者たちが勝手に踊っているようにも見えてしまう。

 ともあれ、仮にそのような陰謀や謀略があったとしても彼らにとってもそれは正義であるに違いないとも思うのだ。

 そこで陰謀を企む者たちとそれを疑う者たち対立するのは「正義」と「」と言った完全な対立関係ではなく、思想信条の軽微な差異であり互いの「正義」は同時に「悪」であるような相反関係でしかない。

 世界中の人々が同じ価値観を理解し合い、分かち合えるとは私は思っていない

 しかしながら、互いの正義を見せ合い、時に「鬼が角折る」ように自身の悪を悪と認め、より良い正義へと昇華させることは可能だと考えている。

 そこにある思想信条を変えることなく自身の角を折ることはそんなに難しいことなのだろうか。

 「正義」や「善行」を見せびらかすことひけらかすことを時に偽善だと揶揄されてもそれが真に善であると信じるのであれば隠す必要も隠れる必要も無い。

 真に鬼が住うのは己が内なのだから。

 福は内、鬼も内。