【わかりやすいミーム論】ミームは文化の遺伝子?ミーム の正体は共有可能な情報そのもの!

 昨今たまに耳にする「ミーム」という言葉。普段インターネットをよく使う方なら「インターネットミーム」という言葉をよく目にするかもしれません。

 ではその”ミーム”って一体何なんだ?

 言葉の由来は社会生物学者のリチャード・ドーキンスによる著書《利己的な遺伝子》にあります。この本では動物がいかに遺伝子によって操作されているか、また生物が個体ではなく遺伝子を共有する集団として生きようとするかが主に語られます。

 《利己的な遺伝子》で遺伝子に似た性質を持つものとして「ヒトの持つ文化」を挙げ、文化は遺伝子のように進化(変化)するものでありまた集団に共有されて人々を操作する存在であると語るのです。

 その文脈で「遺伝子(gene:ジーン)」になぞらえて「ミーム(meme)」と言う言葉を造語したため「ミームは文化の遺伝子」と言われるのです。

 ミームを簡単に調べるとこの「文化の遺伝子である」という答えがよく出てきますが、文化というのは人々が同じ情報を共有していることで生まれるものです。そしてその文化の大小に関わらずある特定のコミュニティで共有されている文化を構成する情報ミームと呼ばれます。

 結論としては、ミームとは人々に共有され得る情報のこと。”共有された”ではなく”共有され得る”という点が重要です。

 とは言ったものの、実はミーム論って科学的実体がない疑似科学なのです。私はいわゆるミーム論者でありますが、それは疑似科学であるということを前提にした上でです。

 今回のこの記事での「ミームとは何か」に対する答えはミーム論における一般論にすぎませんがミーム論に興味を持った方なら楽しんでいただけるものと思います。


ミームとは共有可能な情報のことである

 例えば日本人というコミュニティに共有されたお祭りマナーなどは大きな範囲での文化となり、家族というコミュニティで共有されたリモコンを置く位置晩ご飯の時間帯などの小さな範囲での文化ミームの一種です。

 極端に小さい範囲で言えば、恋人同士や親友同士でしか通じない二人だけの合言葉もミームだと言えますし、あなただけしか知らないけれど誰かに伝えることのできる情報潜在的なミームとなります。

 ヒトは他の動物たちと一線を画する存在であると言うと大袈裟かもしれませんが、頻繁におしゃべりをすると言う点では確実に他の動物と異なる生態を持っています。

 人々は口から発する言葉をはじめボディーランゲージ手話のようなコミュニケーション、そして本や看板など文字記号を用いても頻繁に情報をやりとりしています。

 このとき人々の間で行き来する情報を総称して「ミーム」と呼びます。

 あなたが昨日見つけた美味しいお店の場所や営業時間から道路標識のような無機質と思えるような情報まで、そこに含まれている情報は広い意味でのミームです。

 そしてこのミームはコミュニティー単位で存在しています。先述の通り大きなコミュニティとしては国際的な同盟や条約、それぞれの国が持つ独特の文化慣習などが挙げられますね。

 小さなコミュニティーとしては地方の名物料理やそれぞれの地域でしか通じないような都市伝説、学校のクラス単位、小さな友達のグループ自分の家族にしか通じないルール。と、コミュニティーの大きさは異なるものの複数人の人が共有している情報をミームとすることが多いです。

 では自分だけが知っている情報ミームではないのかと言うとそう言うわけではありません。その情報が他者に伝達可能なものであればそれは潜在的なミームです。

 例えば、学校のクラスで「赤色が流行っている」と言う情報はそのクラスと言うコミュニティー単位では既知のミームですが、そのミームを知らない別の友人グループ(サークルやクラブの仲間など)にとってはまだ共有されていない(知られていない)自分だけが知っている情報です。そかしそれを知っている者(自分)によって伝達共有が可能であり、またそのグループにも赤色を流行らせることが可能です。

 このとき伝えられるミームは単に「赤色が流行っている」と言う事実だけではなく「赤色を持つとカッコイイ」などと言った個人や集団の認識に基づくミームも同時に伝えることになります。

 情報の伝達には誇張と言った虚偽のミームも含まれる可能性がありますが、そのような偽の情報もまた(その真偽は別にして)共有可能な情報と言う点でミームとなります。これはミームそのものが必ずしも事実に基づくものではないと言う点で噂話都市伝説陰謀論などにも共通することです。


他者に伝えられない情報「クオリア」

 他者に伝えられない情報はミームになりません。他者に伝えられない情報とはあなたが感じている”美味しい”とか”痛い”とか”赤い”と言った感覚的な情報です。これを感覚質と言い、この感覚質は絶対に人に伝えることができないことを「クオリア問題」と言います。

 クオリア問題についてはこちらの「クオリアとは何か:科学者メアリーの部屋」で詳しく解説しています。

 要はあなたが伝える「赤い」と言う表現のその”赤さ”であるとか、「痛い!」と伝えるときのその”痛さ”は伝えることができないと言うことです。

 タンスの角に足の小指をぶつけたときの痛さはそれを経験したことがある人ならば伝わりそうなものですが、そのとき伝わっているのは互いに持っている経験則から得られる共感であって”痛さそのもの”ではありません。

 美味しいお店の情報を伝えるときに”美味しさそのもの”は伝わりませんが、美味しいと言う感覚は互いに”共感”することができるので会話上問題がないわけです。


神の存在と文化のミーム、ルールと法律

 クオリア問題のある情報はミームとして伝えることができないのですが、誇張と言った事実に基づかない虚偽の情報はその実態がなくとも伝達可能です。

 先述の通り噂話都市伝説陰謀論などがそれにあたりますし作り話物語なども事実に基づかない情報として共有可能です。さらに究極的には神の存在もまたそれに該当します。

 神の存在が嘘だとか言うつもりはありませんよ!

 感覚質(クオリア)神の存在の決定的な違いはそれが習慣慣習そして教養として人々に共有され得るか否かです。

 ギリシャ神話日本神話などのはあまり教訓めいておらず物語としての性質が強いのですが、対して生活に密接した宗教としての神は人々がどのように暮らすか、どのように生きるべきかなどの指針を示したものが多くこれらはその宗教を信仰し共有するものにとっては日々の慣習となり文化となります。

 こうした宗教を基にした文化はいわば生活のルールです。リモコンをどこに置くか、夕食は何時に食べるのかと言った家族のルールとほぼ変わりません。そのルールをどの程度の人々が共有しているかと言う規模の違いでしかありません。

 その生活のルールを決めたのが神と言う存在であり、なぜそれを守らなければいけないのかと言うことにおいて絶対的な権威を持つ者としての神を共有するわけです。

 日本人はよく無神論者だと言いますが、お正月に初詣へ出かけたりお餅を飾ったり、お年玉も本来は宗教的慣習のあるものです。それらは宗教的な儀式としての本質は薄れているものの文化として定着しておりそれを行うか否かに関わらず日本人のほとんどが知識として持つ宗教由来のミームなんですね。

 宗教はほとんどの場合よりよく生きるためのミームが盛り込まれていますが、その宗教は多種多様であり宗派によってもルールが異なります。ルールが異なっていては互いにぶつかり合うことも避けられず、歴史上何度も宗教戦争が起こる原因でもあります。

 それら信仰する宗教に縛られず人々の生活を良き状態である一定水準まで守ろうとするのが法律です。国によっては国の法律が宗教的規則が基になっていることも多いのですが、その国に入った以上個人が信仰する宗教に関わらず国の法によって罰せられます

 知らなかったで済まされないのが法律と言うミームであり、ある程度能動的に自ら取り入れるべきミームもあると言うことです。


ミーム論は疑似科学である

 ここまで語っておいて何なんですが、実はミームって何なのかわかっていないんです。と言うよりそもそもミームについて議論する必要があるかどうかと言うところまで行っており、科学や哲学の専門者側からはいわゆる疑似科学として扱われています。

 ですので、「ミームとは」とか「ミーム わかりやすく」などでネット検索してもなかなか具体的な答えは返ってきません。何せその具体的な答えがないのですから。

 ミームとは何かを突き詰めていくと、情報とは何か伝達とは何か意味とは何か、と言ったような話になっていきそれらのテーマはすでに行動学社会生物学そして心理学宗教学などで議論や研究がされていますし、わざわざミーム論を用いるまでもないんです。

 ちょっと難しい話、科学とは何かを定義しようと試みる科学哲学の文脈でミーム論を捉えるにしても、ミーム論は科学としての必要条件を満たしていません

 具体的には、ミーム論を科学的な学問として成立させようとする上で一番ネックになるのが反証可能性と言うものです。「反証可能性」はその理論が反駁可能理論的に反論検証可能か科学非科学境界とする科学哲学の用語なのですが、ミーム論はこの反証可能性を持ちません

 つまり科学的な文脈でミーム論を語ることができないのです。とはいえ実用書なんかではたびたび「ミーム」と言う言葉は使われるくらいには浸透しており、ミームの意味を理解している者にとっては”わかりやすい例え話”になると言う点で非常に有益な概念です。

 私は結構熱心なミーム論者であります。本職はミーム論をテーマに作品を作っている美術作家です。ですので、ほとんどの事柄をミーム論を中心に物事を考えています。ただそれは疑似科学であることを前提にしていて、ミーム論的な思考方法から専門的な分野への興味を引き出したりすることで本物の科学や哲学に触れるきっかけを与えてくれるものだと思っています。

 ミーム論での議論のテーマはすでに別の分野で多く議論されていると言いましたが、それを逆に利用すればミームとは何かをずっと考え続けることで他分野の学問に興味を広げることができます。

 そんな私はミーム論をミームネットワークを形成する人類全体の構造として捉える「全体子ミーム論」という概念を構築しています。

 疑似科学と言うと聞こえが悪そうですが、この疑似科学というもの奥が深いものなのでまた改めて記事にしましょうかね。


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