ヒトは何を見ているのか?生態学的視覚論とアフォーダンス理論による知覚の仕組み

 私の机の上にはよくホットコーヒーの入ったマグカップが置いてあります。そのマグカップを手に取るとき、私は特に何を意識することもなくマグカップの取手に手をやり熱々のカップの側面に手が触れないように持ち上げるでしょう。

 この一連の行動をなぜ半無意識的に行えるのでしょうか?カップの側面は経験則から熱いということを知っているし、その熱いカップを手に取るための取手に手をやるのはごく自然なことのように思えますが、そのマグカップが初めて見た色や形であっても(どこのコーヒーショップのマグカップであっても)自身の持つ経験則から同じように何の迷いもなく取手を持つことができるというのは実のところとても不思議なことなのです。

 対象に対して当たり前に思えるような行動を当たり前にできる。これに疑問を投げかけてその答えを導き出そうとしたのがアメリカの心理学者であるジェームズ・ギブソンの「生態学的視覚論」です。

 そしてギブソンは「生態学的視覚論」の中で対象物自体が”そのように振る舞えるような情報を内包している”と考えました。これが「アフォーダンス理論」です。対象が情報を持っているというのはどういうことか。それをヒトがどのように知覚しているのか。今回はその理論の仕組みを紹介します。

目次
・アフォーダンス理論:対象物が行動の可能性を内包している一次性質と二次性質包囲光:私たちは光の情報に包囲されている不変項:見る位置が変わっても変わらない関係性五感のアフォーダンス:慣性モーメントシグニファイア:アフォードをデザインする

アフォーダンス理論:対象物が行動の可能性を内包している

 例を少し変えますね。体育の授業や障害物競走で使われるハードルを思い浮かべてみます。そのハードルの高さは自分の腰あたりの高さがあり、助走を付ければ飛び越えられそうですがハードルの下を潜ることもできそうです。

 全く同じ高さのハードルに対して自分よりも身丈の小さな子供が挑戦しようとしています。その子供からすればそのハードルは自分の頭の位置ほどの高さかもしれません。この子供にとってそのハードルをジャンプして飛び越すという選択はほとんど不可能です。彼に残された選択はハードルの下を潜るか、もしくはハードルを無視して横を通ってしまうか(!)

 また、別のハードルで子供が飛び越えられる程の高さならば大人にとっては下を潜るよりも上を跨いでしまった方が楽でしょう。わざわざジャンプしたり横を通り抜けたりする必要もないかもしれません。

 このように、ハードルの高さは変わっていないのにヒトの行動は選択の幅を制限されたり増やされたりします。このように対象物が人の行動の様々な可能性を持っていて、それを観測者(対象物に対峙する人)に”与える(アフォードする)”というのがアフォーダンス理論の基本概念です。


一次性質と二次性質

 物理的な性質が変わっていないのに、それに対処する選択が異なるということはギブソン以前の認知論でも議論されていました。17世紀中頃、哲学者のジャン・ロックは対象物が持つ”客観的な性質”のことを「一次性質」と呼び”主観的な性質”のことを「二次性質」と呼びました。

 ハードルの例で言えばハードルの高さや形状が「一次性質」であり、それは飛び越える物なのか潜る物なのかが「二次性質」と言い換えることができます。

 今度は「一次性質」と「二次性質」に注視しながらもう例を考えてみましょう。

 高さ40cm、天板は丸く直径は100cmほどの形状の物があったとします。これが自宅のリビングに置かれていた場合、あなたはどのように使いますか?

 なんか写真がずるいですかね(笑)日本をはじめとする多くのアジア圏の文化に馴染んで暮らしている人々からしたらこの形は”ちゃぶ台”ですね。家の中では靴を脱いで暮らす日本において”このくらいの高さ”で”このくらいの大きさ”は多くの場合「テーブル」としての役割を強く”アフォード”してきます。

 対して、家の中でも靴を脱がないなどで床に座る文化をあまり持たない人々からすれば”このくらいの高さ”で”このくらいの大きさ”は「スツール」つまり「背もたれのない腰掛」としての役割が強く”アフォード”されます。

 これが日本においてであっても、美術館の広い観覧室の中央に並べられていればほとんどの人はそれに腰掛て休憩するでしょう。室内で靴を脱ぐ文化を持っていたとしても美術館の床に座り込むようなことはあまりしません。自宅にあれば「テーブル」と認識される物でも、時と場合によっては「スツール(椅子)」としての役割の可能性を私たちは受け取るのです。

 この物が持つ「高さ40cm、天板は丸く直径は100cmほどの形状」というのは一次性質であり、その一次性質には材質・質感・色・表面の肌理など様々な客観的な性質を含みます。その一次性質に対して、それをテーブルとして使うのかスツールとして使うのか、はたまた庭において園芸棚として使うのかという、観測者の感覚に依存する主観的な価値や利用方法などは二次性質というわけです。

 お金の価値もそうですね。日本国内においては日本円のお札は千円札であれば1,000円の価値を持ちますが、他国でそれを別の通貨へ換金できないできない場合にはただの紙切れでしかありません。

 アフォーダンス理論ではこれらのような例にあげられる「一次性質」と「二次性質」をどちらも対象物の側から観測者へ与えられるものだと考えます。


包囲光:私たちは光の情報に包囲されている

 アフォーダンス理論の基本的な概念についてはなんとなく分かってきましたでしょうか。でも重要なのはここからです。それらの与えられる情報を私たちは”どのように知覚”しているのか

 まずギブソンは動物が外的な情報を得るための最重要器官である眼からどのような情報を得ているのかを考えました。視覚による知覚を議論のテーマにしているので「生態学的”視覚論”」なわけですね。

 まずもってよく言われるのが、私たちが目で見ている情報は”二次元的な平面の像”であり、それを両眼を使って見ることで両眼視差が生じて擬似的に立体的に捉えることができているということです。そして、それらの視覚情報はとして私たちの眼に届くことで知覚されます。

 私たちが明るい場所で物を見て情報を得ようとする時には必ず光を受け取っています。その光は太陽や電灯などの光源から発せられ、周囲の物にぶつかっては乱反射を繰り返し、最終的に私たちの網膜へ到達することで視覚的に知覚されます。

 さらに私たちがその場所から動けば網膜へ到達する光がそれに伴って変わり、その距離や位置関係によって物の持つ”肌理(きめ)”を知覚することができます。ギブソンはこの肌理ということについて視覚的にとても重要視しています。

 例えばアスファルトの道路の遠近感は手前のアスファルトは荒くゴツゴツとして見え、奥のアスファルトは細かく平坦に見えることで知覚されるというような意味での”肌理”で、視覚的に知覚するこのような肌理のことを「光学的肌理」とも呼んでいます。ただこの”肌理”の概念について詳細を話すとそれだけで一記事書けてしまうほどなので今回は割愛しておきます。

 そのような”肌理”を知覚するには常に様々な方向から飛び込んでくる光を網膜が捉えることが必要で、明るい場所での私たちは常にその光に囲まれています。つまり、絶えず情報が光として四方八方から飛び込んできているような状態。これをギブソンは「包囲光」と呼びました。


不変項:見る位置が変わっても変わらない関係性

 包囲光のなかを動き回ることで視覚的には光を情報元として知覚するということをギブソンは再確認しました。これは直感的にも受け入れやすい話だったかとは思います。そこでギブソンはもう一歩踏み込んだ疑問を投げかけてきます。

 物を見る位置が変われば物の形(包囲光)が変化するのに、なぜ私たちはそれを特定の形状の物(一次性質)として知覚できるのか。

 うむ。何言ってるのかわかんないのはわかります。またひとつ図を例にして考えてみましょう。

 全く同じ形状のテーブルが三つ並んでいます。これらのテーブルを見てみると二次元平面的には天板が台形に見えますね。それぞれの台形は視点によって様々に変化しますので私たちが完全に二次元平面的に物体を捉えているのであればそのテーブルはグニャグニャと変形する不定形な物体なのだと認識しかねません。

 しかしそうはならないのは、その対象物(この場合テーブル)が持つ天板の角のそれぞれ角度や台形に見える時の全体的な変形具合の”関係性”を知覚しているため特定の形状として知覚できる訳です。図にあるような「角A」は視点によって開いたり閉じたりしますが、他の角も同じように開いたり閉じたりしますね。その時の角の開き具合それぞれの関係性において常に一定であるはずです。

 テーブルをぐるっと一周して戻ってきたときに、最初に見た角Aの角度戻ってきた時も同じ角度であり、他の角の角度もまた同様であるからこそそれが形を変えない物体であるということが知覚できるわけです。

 このように対象物の持つ不変な性質のことをギブソンは「不変項」と呼びます。この「不変項」はまさに「一次性質」です。この「不変項」を知覚することで物の形状を捉え、それをどのように活用することができるのか主観的に判断二次性質)することができます。

 そして、この不変項は対象物が別の物へ置き換わったときに発揮されることで”アフォーダンス”として私たちに知覚されます。ある特定の高さ、硬さ、表面の凹凸と言った一次性質を備えた物は「テーブル」としての不変項や「椅子」として不変項の性質を主体の経験則の中から参照されることでそれらの役割を持っていると認識することができるのです。

 たとえ程よい高さであっても表面がトゲトゲしていると椅子としてアフォードされませんし、ある程度の硬さがなければ物を乗せるためのテーブルとしても使えません。対象物が持つ様々な一次性質が「テーブルとしての不変項」「椅子としての不変項」に合致しなければそれらはその性質をアフォードしないのです。


五感のアフォーダンス:慣性モーメント

 ギブソンは視覚論としてこのアフォーダンス理論を提唱しましたが、ヒトの知覚が視覚だけに頼ったものではないのは自明ですよね。すなわちアフォーダンスも視覚による知覚にしか発生しないというものではありません

 環境の情報を獲得するために触れたり振ったり叩いたりすることを「ダイナミック・タッチ」と言います。このダイナミック・タッチによる知覚は様々な情報を与えてくれるものですが、その一例として心理学者の佐々木正人氏が彼の著書《アフォ-ダンス-新しい認知の理論 》の中で「慣性モーメント」を紹介しています。

佐々木正人「アフォーダンス-新しい認知の理論」から引用

 この図はグレゴリー・バートン氏らによる実験方法とその結果を「アフォ-ダンス-新しい認知の理論」からの引用したものです。

 被験者はつい立によって視覚的に遮られた右手に物体を持ち、それを振ることで目の前にある数種類の物体の中から右手に持っている物体と同じものを選ぶように言われます。

 図の下側がその実験結果です。100%正確に知覚しているわけではありませんが、先の尖った形と尖っていない形というような大まかな物体の区別慣性モーメントだけで得られることがわかります。「モーメント」とは回転する物が生じさせる力のことを指しますが、端的に分かりやすく”物を持って振り回した時の感覚”だと考えていただければ話に支障はありません。

 物体の正確な形を把握するのであれば視覚に勝る知覚情報はありません。しかし、慣性モーメントを利用したこうした実験により、環境から情報を得ているのは視覚だけに頼っているわけではないということもわかります。

 視覚的には柔らかいバナナでもカッチカチに凍ったバナナなら釘が打てそうだと感じることができますし、見た感じ重く硬そうなハンマーを手に持ってみるとプラスチック製のオモチャだったなんてこともあり得ます。

 アフォーダンスにとって重要なのは光による包囲光ではなく五感を使って知覚される不変項を知覚することなのです。


シグニファイア:アフォードをデザインする

 アフォーダンス理論はデザインの世界でたびたび間違った紹介のされ方をします。

 デザインの教本やブログ記事などで「アフォーダンスを抽出知覚可能な情報をデザインに盛り込むことでユーザビリティを向上させる」というような言われ方をします。

 が、これは必ずしも間違った用法ではないのですが、厳密には何か目的のために人為的に抽出されたアフォーダンスは既にアフォーダンスではありません

 アフォーダンスはあくまでも環境や対象物が持つ様々な情報の可能性を意味する言葉であり、そこから目的を持って抽出された情報のことを指しません

 認知工学者のドナルド・ノーマンも過去に彼の著書の中でアフォーダンスについて間違った用法してしまい、後に訂正するとともに「シグニファイア」という新しい概念を作りました。「シグニファイア」は人為的なデザインによる情報の示唆であり、アフォーダンスから意図的に絞った情報を観察者に提示する方法を指します。

 つまりアフォーダンスシグニファイア概念的に入れ子の構造にあり、アフォーダンスからシグニファイアを抽出してデザインするといった使い方がより適切である思われます。


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